慰労会編④ ヘンリーのチカラ
私はピタリと立ち止まって、ギギギギと音が鳴りそうな感じでゆっくりと後ろを振り返る。
「ヘンリー殿下、先ほど、なんと?」
「ああ、だから私の縁談相手は君なのだけど」
「キミ様って方が縁談相手ってことですか?」
「面白いことを言うね。君っていうのは、つまり、ひよこちゃんが縁談相手ってことだよ」
……え?
「う、嘘ですよね? あり得ないです! だって私、魔法使いの血筋ではありません!」
「ん? もちろん、君が純粋な家畜であることは知っているよ」
純粋な家畜って……もっと他の言い方があるんじゃなかろうか!
っていうかその前に、え、どういうこと、ちょっと思考が追い付かないんだけど。
「な、なんで私がヘンリー殿下の縁談相手になり得るんですか? ご冗談ですよね? 私を王族に加える意味は? 私は、農民の子で、魔法使いの血筋じゃない」
超たちの悪いご冗談ですよね? ゲスリアンジョークですよね?
だって、魔法使いは基本的に血筋で生まれる。
私みたいに、魔法使いの血筋が入っていない農民と結婚して、子供ができたとしても、その子供が魔法使いである確率はほとんどない。
だから、王族の結婚は、というか王族じゃなくたって貴族の結婚は血筋が重要視されているはずだ!
冗談であることを期待してゲスリーを見上げると、彼は涼しい顔で胡散臭い笑みを浮かべた。
「君と私の間で生まれる子供に国は何も期待してないよ。ただ、君と王族が結婚しているという事実が欲しいだけだ。魔物の災害で、王国の威光が失われつつあるらしい。代わりに約束された勝利の女神と呼ばれる者が、人々に支持され始めているから、王国の威光を回復するために、王家に約束された勝利の女神を取り込むつもりなのだろう。そしてしばらくして、王国への反感が落ち着いてきたら、私に別の縁談が来るんじゃないかな。魔法使いの子供を産ませるために。……ハハ、家畜のご機嫌取りのために、よく考えるものだと思うよ」
そう他人事のように言ってくるゲスリーを信じられない気持ちで見つめた。
マ、マジで? マジでいってんの!?
「し、信じられません……」
「信じなくてもいいけれど、そういう話があるのは事実だね」
「そんな……」
え、まじで?
どこか現実感のない話に私が呆然としていると、ゲスリーが堪えきれないとばかりに吹き出して笑い出した。
「ああ、すまない。余りにも反応が面白いものだから、ふふ。やはり、家畜は可愛い。可愛い存在だ。そう家畜は、そうでなければならない」
そう言って、吹き出しそうな笑いをこらえるようにゲスリーが言う。
私が、なんか突然笑い出すゲスリーを睨んでいると、彼はふと顔を上げた。
「冗談だよ。君との縁談の話は、確かにあるにはあるが、通らないだろう」
「え?それは、どういう……?」
私が縋るように確認すると、胡散臭いゲスリーは胡散臭い微笑みで頷いた。
「そういう話は確かにあるが、たくさんある縁談の一つに過ぎない。城の中には色々な考えを持つものがいる。私と家畜が婚姻することをよしとしない者の方が多いよ。君との縁談が通るのは、可能性としては、相当低いだろうね」
ですよね!!
なんてたちの悪いゲスリアンジョークをかましてくるんだこのゲスリーは!
「ゲス、ヘンリー殿下! 冗談が過ぎます!」
「まあ、私も、家畜との婚姻はどうかと思うし、私が許さない限り、この縁談の話は進まないさ」
まあ、それもそうか。
そうだ、よく考えればゲスリーさんはゲスなのだから、家畜と思っている存在との婚姻なんていやに違いない。
そしてゲスリーが嫌と言えば、たいていの話は通らないだろう。なんせ、次期王様と名高い人なんだし。
よかった。ゲスリーのゲスさに救われた!
「だが、もし君がどうしても、というのなら、婚姻を考えても良いよ。私はね、可愛い家畜にお願いされると、甘いんだ。知っているだろう?」
いや、知らんけれども。
「そうなることは、ないかと思うので大丈夫です。遠慮なく、他の素敵なご令嬢方との縁談を進めてください」
私がそう答えると、ゲスリーは、ますます笑みを深めた。
「そう、君はいつでもそうだね。学園にいた時、私が在学中だった時も、私の差し伸べた手に縋らなかった。だが、そんなひよこちゃんでも、いつか必ず私の力が必要になる時がくると思うよ。君が家畜である限りね」
どこか自信にあふれたゲスリーに、思わず私は眉をひそめる。
そして、少し視線を下げて、考えた。
でも、確かに、私が、ゲスリーと結婚したら……。
私は、権力を手っ取り早く手に入れることができる。
そうなれば、ウヨーリ教のことも、グエンナーシスのことも、もしかしたら……。
いや、いやいやいや。
こんな気分の悪いことを考えるのはやめよう!
そんなこと……だって、婚約って、結婚、でしょ?
それは特別な、こと、だよ。
私だって、女の子だし、好きな人と結婚を……。まあ、好きな人なんて今はいないけど。
それにしても国って、候補の一つだとしても、なんて恐ろしいことを考えるんだ。
自分たちが崩した信用を回復するために私みたいなやつを利用するとは……。
そんなんで回復すると思わないでほしい!
と言いたいけれど、慰労会のことを考えるとそうも言えない。
私の役が準主役の劇、商人ギルドでも言われた通り、今回のお祭りには約束された勝利の女神を売りにした商品が大盛況。
勝利の女神の名は、王都の人々の心を掴んでしまっている……。
学園じゃあ私、人波を割ることができるモーゼ使いだし……。
ちょっと自分の考えに没頭していた私は思い出した。
そうだ、今は時間がない!
劇の会場に急がないと!
とりあえず、ゲスリーとの婚約なんてモノは起こりえないことだ。
もうこのことは忘れよう。
こんなところで、話し込んでいる場合じゃない。
「今は急ぎましょう。もう時間がありません」
私はそう言って、会場へと向かって歩き出した。
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会場に向かうと、後半の幕が上がっていて、ヘンリー殿下役のアランが舞台に上がっている。
もうすぐでちょうどゲスリーの出番というところだった。
アランはちらりと私たちの到着を確認して、少しホッとしたような顔をした。
このまま私たちが間に合わなかったら、アランがぶっつけ本番で魔法を使う感じになるから、私たちが到着して安心したようだ。
そのままゲスリーを控室に連れていき、衣装に着替えてもらった。
そして今、目の前には、ザ・王族! みたいな恰好をしたヘンリー殿下がいらっしゃる。
この衣装、舞台用の派手な衣装なのだけど、ゲスリーが着るとしっくりする。
生まれながらのオーラとでも言うのだろうか。
アランも似合っていたけれど、このしっくり感はさすがだなって感じだ。ゲスだけど。
そして、アランが一度舞台を降りて、準備のできたヘンリー殿下が舞台に上がると、観衆から大歓声が響いた。
すごい。
ゲスリー大人気じゃないか。
殿下は、保身に走った王とは違って、魔物の結界がほころんだ際も、王都の救援、それにピンチになっていた学園の救援に駆けつけてくれていた。
そう、大人気のゲスリー殿下なのだ。
別に私を妻にしなくても、ゲスリー殿下が王位につけば、民衆や領主たちの反感なんて解決するような気がする。
私は先ほどの胸糞わるいゲスリアンジョークのことを思い出して、そう心の中でひとりごちていると、ゲスリーが呪文を唱えた。
すると、彼のいた舞台が盛り上がる。
そしてゲスリーは小高くなった場所から手を振って、何かを空高く放る動作をした。
おそらく鉱石の粒だ。
魔法を使って風に運んでもらっているのだろうか、はるか上空にその鉱石が舞い上がっていく。
あれを呪文で剣にして、炎をまとわせて舞台に降り注ぐ手はずになっている。
舞台には、手作りの魔物の置物がある。あれが魔法で作られた剣で串刺しになって、魔物退治は終焉を迎えるのだ。
けれども違和感を覚えた。
私の隣にいたアランも何か違うことに気付いたらしく、小さく声を上げる。
「ヘンリー殿下が放る鉱石の数が多すぎる」
私は眩しい太陽に目を細めながら上空を見る。
空中で、先ほど風にのせてはるか上空に放られた鉱石が剣に形を変えた。
ヘンリー殿下が魔法で作られた剣が、空中に広がっている。
明らかに、数も多いし、展開された範囲が広すぎる。
え? これって、舞台の上だけで済まないよね?
観客席にまで落ちないだろうか?
そんな風に考えている間にも、炎をまとった剣が上空から落ちてくる。
あの量、間違いなく観客席にも落ちるし、それに私たちの頭上にも……!
炎の剣から守るかのように、アランが私を腕の中に抱き込んだ。
そしてアランから素早く呪文を呟く声が聞こえる。
この呪文は解除の呪文だ。
間に合う……!?
私が、アランの腕の中で祈っていると、爽やかな風が吹いた。
恐る恐る目を開けて状況を確認する。
どうやら私が恐れていたことは起こっていないようだった。
魔法でヘンリー殿下が作られた剣はすべて、人がいないところに刺さっていた。観客席を囲むように剣が突き刺さり、人がいるところに落ちそうな剣は、粉々に崩れ去っていく。
そして、風が吹いて、その粉々になった剣の残骸すらも観客席には届かないように吹き飛ばされていく。
一瞬の出来事なのに、とても焦って、長い時間に感じた私は、その光景を見て、ゆっくりと息を吐き出した。
お、驚いた。
だって、あんな風にする予定じゃなかったのに、舞台の上だけ、魔物の形を模したものに剣を突き刺さる予定だった。
舞台に視線を戻すと、予定通りたくさんの剣に貫かれた魔物の模造品が目に入る。そして、魔法で床の盛り上がりを崩したヘンリー殿下が降り立った。
観客席からどっと歓声が沸く。
先ほどのは、演出か何かだと思っているらしく、ヘンリー殿下の華麗なる魔法を目のあたりにして、沸いているようだ。
けれども観客の中には青白い顔をした人もいる。
特に、顔色が悪かったのは、縦ロールの髪の毛の男性。カテリーナ嬢の父上であるグエンナーシス伯爵が、青ざめた顔で、ヘンリー殿下を見ている。
観客席が無事だったのはほっとしたけれど、ゲスリーの盛大な魔法で盛り上がっている観客みたいに私も素直に殿下をすごいと喜べない。
だって、あんなの、あんな魔法。
いまだ、アランに抱かれていたような形だったので、私はアランの胸を押してアランの顔を見上げた。
アランも、青い顔をして、会場の様子を呆然と見ていた。
「一部の剣が崩されてましたけれど、あれは、アランが……?」
私がそういうと、アランは首を横に振る。
「できなかった。アイツの魔法の方が強すぎて、間に合わなかった……」
ということは解除の魔法を使ったのも、もちろんゲスリー。
つまりそうなることも計算に入れて、ゲスリーは剣を放った。
ここまでの演出はきっと、何かの間違いじゃなくて、もともと彼がそうするつもりで動いたってことだ。
ゲスリーは、すごい魔法使いだとは聞いていたし、魔物から学園を救ってもらった時も、確かにすごいとは思った。
でも……。
改めて考えてみると、今のって、私たちなんていつでも殺すことができると言っているようなものじゃないだろうか?
そして、実際にそうなのかもしれない。彼は私たちを簡単に殺すことができる。
あのまま、何もせずにいたら、ここにいる人々は、あの魔法の餌食になっていた。
もしかして、城側が、慰労会でこの劇をしてほしいと提案した目的は、ヘンリー殿下の力を見せつけるためじゃないだろうか。
観客席の周りを突き刺す剣が、ぐるりとこの会場を囲っている。
まるで、檻のように見えた。