商会長編⑤ 旅立ちの前に
「リョウ、王都に行くんだろ? 俺もいく」
ノックもせずに突然私の私室に入ってきたシュウ兄ちゃんがそう言った。
「え? 王都に? な、なんでですか? あ、あと入る時はノックしてください」
「いや、だって。王都なんて行ってみたいじゃんか。王都だぞ」
「でも、きたところで、そこで暮らす当てはあるんですか? それと、ノックはしてくださいね」
「お前のところの商会で働くかすればいいだろ」
「それよりノックの話聞いてますか? ちゃんとノックしてくださいね!」
「わかったよ。はい、コンコン。それでさ、王都に行ったらお前のところの商会で働けばいいかなって」
何今のノックに関するとりあえず感!
絶対次もノックしないよこのうちの兄は!
もし私がお着替え中とかだったらどうするんだ!
「もう、次回からはちゃんと、ノックしてくださいね! それと、王都に行ったらわたしの商会で働くつもりなんですか? 読み書きできないと、採用しませんけど……?」
コネ入社は許しません。
だいたいせっかくルビーフォルン伯爵邸で馬車の御者役っていう仕事をバッシュさんから貰ったっていうのに。
「おいおい、何言ってんだよ。俺には誰もが羨む御者能力がある。馬車をはこばせたら王国一だって、知ってるだろう?」
いや、知らないけど。
シュウにいちゃんの御者の腕前は知ってるけれど、別に普通だと思うけれども。
「えー。読み書きできないと、ちょっと厳しいです。お金の計算だってできないじゃないですかー。だいたいシュウ兄ちゃんバッシュさんからせっかく屋敷の御者役もらったのに、もったいないですよ」
「まあ、それはしょうがねえ。王都が俺を呼んでるからな。ということで、出発の時はちゃんと声かけろよ!」
えーーーー!
と不満な目を向けてみたけれどもシュウにいちゃんは気付くことなく笑って、そして思い出したように付け加える。
「あ、あと、俺が一緒に王都に出るってことは誰にも言わないでくれよ! 俺が王都に行くってなったら、みんな、悲しむもんな……」
といって突然アンニュイな表情をしたシュウ兄ちゃんは部屋から去っていった。
そこまでみんな、悲しまないと思うけれども……。
まあ、とりあえず、バッシュさんに、なんかシュウ兄ちゃんが王都に一緒に行こうとしてるってちくらないと。
そう固く決意すると、また突然シュウ兄ちゃんが勝手にガチャリと扉を開けて、「ちゃんと出発するとき声かけろよ」と念を押してきた。
「シュウ兄さん! だから、ノック!!」
もう! 淑女のお部屋を何だと思っているのか!
しばらくぷんぷん怒っていたけれど、シュウ兄ちゃんに堪えたところは一切なかったので、あきらめた。
絶対に王都には連れていかない!
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明日は、王都に向けて出発することになったので、私はバッシュさんに挨拶をするため書斎に赴いた。
これからルビーフォルンでやっていて欲しいこととか、シュウ兄ちゃんのこととかを一通り確認してあってから、改めてバッシュさんに向き直る。
「バッシュ様、それでは王都に向かいたいと思います。ちょっと早めですが、レインフォレストにもよる予定もあるし、王都で経営しているお店も見たいですし」
「そうか。情勢は落ち着いてきたところではあるが、道中くれぐれも気を付けるのだよ」
そう言って、人のよさそうな笑みを浮かべるバッシュさんは、いつも通りの気の良いバッシュさんだ。
私は、聞こうかどうか迷っていたことを告げるため思い切って口を開けた。
「バッシュさん、お話があるんですが、まだお時間大丈夫ですか?」
「いいよ、リョウ君のためならいくらでも時間は用意する」
「ありがとうございます。その、親分の、アレク親分のことなんですけど……。バッシュさんは、親分は何をやろうとしているかわかりますか?」
バッシュさんの表情の一つ一つを逃がすまいという気持ちで、彼の顔を食い入るように見る。
バッシュさんは、首を振って残念そうな顔をした。
「申し訳ない、私には見当もつかないよ。あれはいつも突拍子もないことをやる……。まさか神殺しの剣を本当に作ってしまうとは思わなかった」
そう言って苦々しく微笑む。
「神殺しの剣は、今は?」
「魔物も落ち着いてきたので、国にばれないように今はすべて地下に隠しているよ」
そうか。神殺しの剣は、屋敷の地下か……。
それにしても、親分はどうやって神殺しの剣を用意したのだろう。
私とコウお母さんが親分と一緒にいた時は、4,5年でまさか神殺しの剣を作れるようになるとは思えなかった。
4,5年、短いようにも感じるけれど、神殺しの剣を用意するには十分な時間だった、ということなのかな。
ウヨーリ教だって、数年で、まんまと恐ろしい集団になってしまったし。
あ、ウヨーリ教のこと考えたら頭痛くなってきた。
でもこれもバッシュさんに確認しなくちゃ。
「あ、それと……ウヨーリのことなんですけど、すみません、収拾がつかない状態になってしまって」
「ああ、それについてはすまない。リョウ君にはタゴサク先生が暴走しないように言われていたのに、結局はこんな事態になってしまった。私の考えが甘かったようだ」
そう言ってすまなそうな顔をしたバッシュさん。
バッシュさんは、今までも私によくしてくれたし、領主として真面目ないい人だと、思ってる。
でも……。
「今となっては、人の傷をも神聖な力で治すだなんてことも言われて、より勢いが増してしまったね。コーキとリョウ君の治療師としての知識がこんなことになろうとは。知識のない農民にとっては、薬での治療も魔法のように見えたのだろうが、いやはや厄介だ」
そう言って、バッシュさんフーとため息をついて憂いている。
本当に、ウヨーリのことが、こんなことになったのを残念に思っているようなそぶりに見える。
でも……。
多分、バッシュさんは、ウヨーリ教のことを本気で止めようと思っていない、ような気がする。
今までのことを振り返ってもそうだ。
私がバッシュさんに訴えても、本気でタゴサクさんを止めようとしない。
それに、ウヨーリの教えが書かれた紙。
紙は、この国では、そこまで安いものじゃない。用意できるのは、一部の権力者。
つまり、ここでいうなら、バッシュさんのような伯爵様だ。
紙で広めようしたタゴサクさんに紙を渡したのは、バッシュさんだと、思う。
従業員のストライキ事件についてもそうだ。
私はバッシュさんに、相談していた。
ウヨーリ教を強制的にでも廃止したほうが今後のためには、いいのではって、訴えた。
その時、バッシュさんは、確かに国に目をつけられるのは恐ろしいと言って、頷いていた。
そして数日後に、何故かその私の考えがばれて、従業員がストライキを起こしてきた。
多分、裏でバッシュさんが、手を引いた、可能性が、あると、思う。
「そうですね。皆さん、何かあるとウヨーリの奇跡にしてしまうので、困ったものです。国に知られる前に、何とかしないとですね。以前バッシュさんからご助言頂いたように、ウヨーリと私を切り離すことには成功しましたけれど」
そう言って、私は柔らかく微笑むと、バッシュさんも微笑み返した。
私とウヨーリを切り離したほうが、安全かもしれないと言ってくれたのは、バッシュさんだった。
暴走するウヨーリ教徒から私を守るためにって、バッシュさんが提案してくれて、タゴサクさんを追いやって、それはうまくいった。
私が、ウヨーリであることを知っているのは、昔から屋敷に勤めていた使用人ぐらいで、多くの領民は知らない。それにもともとウヨーリ教はウヨーリについてはあまり話さない傾向のある教えなのもあって、切り離すのは簡単だった。
でも、それも全部バッシュさんの手のひらの上のような感じがしなくもないような気がしてきた……。
確かに、ウヨーリの正体が私であるということが広まることのリスクは高い。でも、切り離されたことで、ウヨーリという名が、ますます暴走して、私の手に負えないものになってしまいそうで……。
いや、もともとすでに手に負えないものになっていたけれども。
ああ、だめだ、なんか、一度疑い出すと、あれもこれもって……色々思っちゃう。
「ウヨーリ教のことはできる限り目を光らせているから、リョウ君は気にせず行っておいで」
そう言って、バッシュさんは人のよさそうな笑みで私に頭をなでる。
私は、優しくしてくれた人には無条件に信用してしまうところが、正直ある。
これから商人として活躍するなら改めないといけないのだろうけれど……。
いやだな。人を疑うのって。優しくされても素直に喜べなくなっちゃう……。
「はい。あの、それではバッシュ様、失礼します。明日は早いので、そろそろ部屋に戻りますね」
私はそう言って、バッシュさんの執務室から出た。
扉の前で少しため息を吐く。
バッシュさんは……何かあったときに、私の味方になってくれるとは限らない、と思った方がいいかもしれない。
ウヨーリのことは、自分でなんとかしなくちゃ。
バッシュさんが何を思っているのかは正直わからないけれど、問いただして簡単に言うような人じゃないし。
ウヨーリ教のことをどうにかする作戦は、漠然としたものだけど、なんとなく考えてはいる。
でも、それをするためには、バッシュさんの協力が必要だった。
領主様の力添えが欲しかったのだ。でも、もう、頼れない。
とりあえずは、私の力で、できる限りのことをやってみよう。
まずは、商人としての地位を盤石なものにする。
そうすれば、開ける道もあるはずだ。