商会長編④ 約束された勝利の女神
私の商会の従業員であるアリーシャさんが柔和な笑顔で私の前に立っている。
私が今一番頼りにしている従業員のカナリアさんの娘さんで、もともとは開拓村出身の農民の方。
アリーシャさんは若くて体力があったので、結構遠方の領地への旅を任せていたのだけれど、しっかり仕事してくれて本当にありがたい。
もちろん彼女もウヨーリ教徒。
というか、ウヨーリ様の経典を読み解くためにほとんど独学で文字を覚えた勤勉なるウヨーリ教徒が、私のルビーフォルン商会では大半を占めている。
だって、ウヨーリ教徒、勤勉だし、真面目で、すごく優秀なんだもの……採用しちゃうよね。
そしてその結果、ストライキ事件へと勃発するわけだけども……。
私は先日の恐ろしい記憶を心の隅に追いやり、改めてアリーシャさんに向き合った。
「ご苦労様でした、アリーシャさん。物資の配達は問題ありませんでしたか?」
「はい、無事に運ぶことができました」
「ありがとうございます。道中魔物に襲われることは?」
「ありがたいことに、最後の方はほとんど魔物に襲われずに済みました」
そっか、よかった。
最近は、近隣の領地でももう魔物の被害の話は聞かないし、結界も張り終わりやっと落ち着いたのかもしれない。
ああ、でもグエンナーシス領だけはいまだに、魔物を見かけるという報告をきく……。
グエンナーシス領か……。カテリーナ嬢達の領地だ。大丈夫かな。
「どの商会も今後の取引を打診しております」
アリーシャさんのハキハキした声に、意識を戻して話に集中することにする。
「ここまで取引が続いている商会は、こちらで渡した物資を横領することなくきちんと自領に配ってくれた信用できる商人です。もちろんお付き合いさせていただきます。カナリアさんに頼んで、契約書を作ってもらってください。そのほか、確認事項もカナリアさんから聞けると思います」
「かしこまりました。では、そのようにいたします」
と言って、アリーシャ殿は綺麗な角度でお辞儀をした。
礼儀正しい。
これもすべてウヨーリ様を崇めるために身に着けた祈りスキルだなんてことは忘れてしまいたい。
そしてアリーシャ殿は、お辞儀をしたらそのまま部屋から出て行く、はずだったのに、何故か苦々しい顔でまだ突っ立っている。
何? 何か報告したいことでもあるの?
「ど、どうしたんですか?」
「ああ、その、なんといいますか、商会長殿は、『約束された勝利の女神』と呼ばれる存在をご存知でしょうか?」
え……。
今、なんて……?
「えっと、約束された……?」
「約束された勝利の女神です」
それって、私の……ドッジボールの時のあだ名、だった、ような。
約束された勝利のリョウとか女神とか、なんかそんな感じで……呼ばれていた、ような。
……まさかその名をルビーフォルンで聞くことになるとは思わなかった。
なんで、いきなり私の黒歴史っていうか、恥ずかしい中二病ネームが出てきたの!?
「……ちょっと、聞いたことないですね」
私は盛大にとぼけることにした。
いや、だって、それ私ですなんて、言えないし。
そ、それに私とは全然関係ないかもしれないし!
「わたくしどもの商会の紋を見た他領の者が最近、そういうのです。少し話を聞いてみたところ、王立学校に通う生徒がそう呼ぶらしいのですが……」
王立学校の生徒、約束された勝利の女神……。
あ、うん、絶対、私のことだ。
ドッジボールを嗜む生徒達が、学園から自領に戻ってそんなことを言いふらしているのだろうか。
ねえ、ドッジボールの時だけのあだ名だよって何度もつたえたよね?
それを実家に帰ってまで使うなんて、私どうかと思いますけども!?
私は心の中で、ドッジボールメイトであり、学園を魔物から守るために一緒に戦った学園勢に悪態をつく。
「へ、へぇー」
私は辛うじてそう相打ちをうつと、アリーシャさんの顔が険しくなった。
「商会長! そんな暢気な様子でいいのですか!?」
いや、全然、暢気にしてるわけじゃないよ!?
いきなり私の中二ネームが出てきて、内心、結構焦ってるよ!?
ていうか、なんでアリーシャさんそんなに鼻息荒いの!?
目を見開く私に構わずアリーシャさんは視線を窓に向ける。
「すみません、陽の光をさえぎってもらってもいいですか?」
アリーシャさんがそういうので、私は、またか……と思って遠い目をした。
でも、陽の光を遮断しない限り彼女は話そうとしないとわかっているので、アズールさんに窓のカーテンを閉めてもらう。
薄暗くなった室内。明かりを求めてマッチを擦って、デスクの燭台に火を灯した。
こうやって陽の光をさえぎろうとするときに話す内容は大方決まっている。
ウヨーリ様のお話だ。
奥ゆかしいウヨーリ様は、日の下で、そのお名前や話を口にすると口を爛れさせるという恐ろしい能力をお持ちなようで、敬虔なウヨーリ教徒が、ウヨーリ教の話をするときは、地下や洞窟など、日が差し込まない場所で話さなくてはならないらしい。
全くとんだ能力者ですよ、ウヨーリ様は。
部屋の中に日差しが入らないのを確認したアリーシャさんが口を開いた。
「約束された勝利の女神だなんて! そんな大層な名前をかたる愚か者がいると、尊すぎて名前の言えないあの方のお耳に入ったら、一体どんな災厄に見舞われることか! しかも、ここの、ルビーフォルンの家紋をみて、そういうんですよ! おそらくマッチの功績を認めてそのような、女神を騙るような、呼び名を引っ張り出したのだとおもいますが……! こんなことが、尊すぎるお方の耳に入ったら……!」
と言って盛大に叫んでから、この世の終わりみたいな顔をして頭を抱えた。
頭を抱えたいのは私の方だよアリーシャさん。
アズールさんが、「落ち着くであります!」と言って前にでそうだったので、手で制した。
あー本当に、アリーシャさん達は、ウヨーリ教信者じゃなければ、本当に完璧なのになぁ、と思わず遠い目をしてしまう。
私がその約束された勝利の女神っていうあだ名を貰っているので、多分それで学園の生徒達が話しちゃったんですねー!深い意味はないっす!
と正直に話そうかと思ったら、アリーシャさんが「まさかとは思いますが、商会長は、自らを女神と名乗ったりしてませんよね?」と言って鋭い視線を向けてきた。
この視線、覚えている、ストライキのあの時と同じ目……。
いやだ! もうストライキはいやだ!
ストライキが起きるまでは、みんなともうまくいっていると思っていたのに!
だって、ストライキが起きる前日だって、『商会長のお肌きれいですよね。やっぱり若いっていいですね』なんて言われたから、『今お肌のお薬、というか美容液を新しく造ってるところなんです。もしかしたらそのおかげかも。良かったら使ってみますか? 感想も聞きたいですし』なんて答えて、従業員の皆は嬉しそうにして『いいんですか? わあ、うれしい。商会長のもとで働けて本当に楽しいですぅ』なんてキャッキャと喜んでくれたから、『ええー、そんなー』とか言いながらふふって笑いあっていたのに!!
それなのに次の日、『商会長殿の事はこうやって仕事をお用意してくださって、感謝しております! ですが、こればっかりは! 尊すぎるあの方のことに関しては、納得できません!』とみんな口々にデモってきた……。
あの時、本当にみんな豹変した様子でストライキしてきてマジ怖かった。
私のことを慕ってる気持ちもあるのに、彼女らの中ではウヨーリ>リョウという図式のようだった。
そればかりは譲れないご様子だった。
魔物の災害、大雨の災害、今までの暮らしの中で、尊すぎるあの方がどれほどの祝福をくださったかー!
と今までのウヨーリのお話を語って聞かせてくる人もいた。
人であるならありえない誇大な表現で語られるウヨーリの偉業を皆様真面目な顔で説いてくる……。
アリーシャさんの目を見て、ストライキ再来におびえた私は頷いた。
「ま、まさか、そんなだいそれたことしませんよー」
やだなーみたいなこといって笑ってごまかした。
「ですよね。さすがに、商会長もそこまでではないですよね。安心しました。でも、あの呼ばれ方はどうにかしないと」
「大丈夫ですよ。尊きあの方は、それぐらいのことで怒ったりしないと思いますよー。ほら、経典の89項にも、『人を良しざまに呼ぶことは良きことなれど、悪しざまに呼ぶは怨嗟の始まり』と書いてますよね? 尊きあの方は、誰かが、女神と良きように呼ぶことには頓着されないと思いますよー」
私が、ネコナデ声で頭の中に叩き込んだタゴサク氏作の尊きあの方の経典最新版の内容を思い起こしてそう言うと、アリーシャ殿が思案気に下を向いた。
そしてゆっくりと顔を上げて私を見る。
「確かに、そうかもしれませんね! さすが商会長です! よく経典を理解していらっしゃいますね。自分の勉強不足が恥ずかしい限りです。私ももっと精進して、経典を読み深めなければなりませんね!」
いや、ほどほどにしとこうね。
晴れやかな顔になったアリーシャさんはまた綺麗な礼をとる。
「では、私はここで失礼させていただきます」
アリーシャ殿は、そういってやっと退出した。
どっと疲れた。
でも、とりあえず、なんとか乗り切った。
彼らウヨーリ教徒との話を円滑にするために、タゴサク作の経典を丸暗記したかいがあった。
何かトラブルがあると、経典の内容と絡めて伝えると、9割がた納得してくれるウヨーリ教徒の皆さま。
扱いやすいような、扱いにくいような……。
ていうか、約束された勝利の女神の名前が、私の中二病ネームが、黒歴史ネームが、こんなところでもきこえちゃうなんて……。
なんか、嫌な予感がするのは、気のせいかな……。