商会長編② バッシュさんとウヨーリ教
バッシュさんの執務室に入ると、バッシュさんとグローリアさんがいらっしゃった。
グローリアさんは私と一緒にルビーフォルン巡回の旅をした同志。
私が部屋に入るなり、「リョウさん無事で何よりよ!」と言ってお帰りの抱擁で迎えてくれた。
よかった。屋敷に戻った後も特に体調崩すことなく元気なご様子だ。
グローリアさんは一番最初に屋敷に戻った時に、そのまま屋敷にいてもらっている。
グローリアさん自身は、魔物を全て殲滅するまでは家に帰りません!って燃え上がっていたけれども、しかし、グローリアさんは伯爵位をもつ魔法使い。
セキさんやリュウキさんの無事を確認できていたから、グローリアさんが無理して外に出てまで対応しなくてはいけない事態というわけでもなかったし、なにより彼女にもし万が一があると、バッシュさんの立場がかなり悪くなるので、というか領主としてやっていけないので、そのまま屋敷に残ってもらっていた。
私はお二人に挨拶を済ませると、早速今回見て回ったルビーフォルン領の現状を伝える。
おそらく結界はすべて張りなおしたこと。
魔物の目撃例もなくなってきていること。
セキさんの魔法で開田作業も順調に進んでいること。
結界周辺の村に置いてきた騎士からも魔物が減ってきていると報告を受けたこと。
バッシュさんは、どれも真剣な顔で聞いてくれていた。
「ということで、もう魔物の災害はないものと考えて良いかと思います」
私が最後にそう締めくくると、「そのようだね。本当によくやってくれた。何よりもリョウ君やコーキが無事帰ってきてくれて本当によかった」 と言って、バッシュさんは、笑顔をみせてくれる。
「ありがとうございます。なので、しばらくは商会での活動を優先させようかと」
「ああ、それがいいかもしれない。リョウ君が不在の間も皆よくやってくれていたが、やはりリョウ君がいたほうがいいだろう。それにしても、農村から人を雇うと聞いたときは驚いたが、なかなかどうして優秀な人員が多い」
そうバッシュさんが言ったので、私がバッシュさんに人手が足りないので、農村から募集する予定であると言った時のことを思い出した。
最初、バッシュさんは農村の人を雇うことに乗り気ではなかった。
農民にやれる仕事なのだろうか? と思ったらしい。
この国で農民といえば、畑を耕すことしか基本的にはできないと思われていることが多い。
国がそういう政策をとってるからだ。農民には畑で作物を耕す道具を渡し、大雑把な作物の育て方だけを教える。他の不必要な情報や知識は極力与えない。
だからこそ私の生まれ故郷のガリガリ村なんて、魚の取り方すら知らなかった。
限られた一部の知識しか知らない農民に、商会で行うような仕事が出来るかどうか心配するバッシュさんの気持ちは当然だ。
でも私は知っていた。
ルビーフォルンの農民の皆さんの中には、ウヨーリの経典を読むために文字の読み書きを会得しているものがいるのだ……。
文字の読み書きが出来るのと出来ないのとでは、新しい知識を吸収するスピードで、桁違いの差が出る。
地理情報、お金の計算、商品の取り扱い、マナー。
働くのに必要な知識をどんどん吸収していくルビーフォルンの農民の皆さんは、即戦力として大活躍だった。ウヨーリ教でさえなければ完璧な人たちなのだ。
「はい、皆さん優秀で、本当に助かっています」
私がそう答えて頷くと、 隣にいたコウお母さんが「でもそろそろ、ウヨーリの教えとかいうよく分からない妄想、何とかしないといけないんじゃないかしら。魔物の脅威が落ち着いてきたっていうのに、彼らの熱は全然冷めない」とぼやいた。
うん、そうなんだよね。本当にそう思います。
確かに、ウヨーリの教えのおかげで助かったことももちろんあるんだけど、そろそろ本格的に止めないといけない。
私も、一応これ以上の騒ぎにならないように動いてはいるのだけど、思ったような成果をあげられていない。
一度広まってしまったものを落ち着かせるのって、結構大変だ……。
「うん、そうだな……。確かにどうにかしないといけない。対策を練らなければ」
そう苦々しくつぶやくバッシュさんは深く悩んでいるような顔をしてくれた。
でも……本気でそう思ってくれているのだろうか?
私は無言で、バッシュさんを見つめながら、神殺しの剣のことを思い出した。
最初、屋敷に戻った時に、バッシュさんにアレク親分の話をして、神殺しの剣を渡した。
その時、一瞬、バッシュさんは興奮したような、顔をしていた、と思う。
そしてバッシュさんはそのまま鞘から神殺しの剣を抜いて、その鈍い金属の輝きに目を細めた。
気のせいかもしれないけれど、その目がいつもの優しい感じじゃない気がして……。
その時のことを思い出しながら、ウヨーリの事を真剣に悩んでいる様子の目の前のバッシュさんを見ていると、バッシュさんは悩ましげに眉間にしわを寄せ、口を開いた。
「それに、ウヨーリというのが奇跡の力で怪我を治すだなんて話がでてきてしまったばかりに、余計に熱狂的な人が増えてきた。確かにコーキの薬の効果はすごいものがあるが、あそこまで話を飛躍させてしまうとは困ったものだ」
私はバッシュさんの言葉に、そうですね、と相槌を打つ。
バッシュさんは、私が魔法を使って傷を癒したということを知らない。
薬で治したと言ってある。
最初、私は治療魔法のことをバッシュさんやグローリア奥様には説明する、つもりだった。
でも、コウお母さんは、魔法のことをバッシュさんに話すのに反対した。
バッシュさんにはまだ知られない方がいいと。
コウお母さんがそう言ったのが意外で、その時は少し驚いた。
私は、バッシュさんには知ってもらった方がいいかもと思っていたのだ。
もしウヨーリのことが広まって、生物魔法のことも王族に知られた場合、被害を受けるかもしれないのが、私だけじゃなくて、ルビーフォルンもであり、その領主であるバッシュさんもなんらかの被害を受ける可能性がある。
だから、バッシュさんには伝えるつもりだった。
そして、協力しながら、ウヨーリ教の暴走を止めたり、私の魔法のことを知られないように、守ってもらいたかった。
でも、コウお母さんは反対した。
『バッシュは、いい奴よ。真面目で面倒見もよくて、友達としては最高。でも、穏やかな見た目に反して、結構強かよ……。アレクとともにいたんだもの。アレクと同じように、腹の中では、強烈な何かを隠してる。リョウちゃんが思っているような行動をとらないかもしれない。……まだあの魔法のことは言わない方がいい』
コウお母さんはそう言った。
コウお母さんの言いたいことは、つまり、バッシュさんは、私を守る方向ではなく、利用しようとするかもしれないと言いたいのだ。
その時は、あまりにもそれが衝撃で固まった。
バッシュさんは私には常に優しかったし……利用されるかもなんて考えてなかった。
その時は、とりあえずグローリアさんやバッシュさんに打ち明けるのはやめたのだけど、でも、バッシュさんに限ってそんなことあるわけないって、思う気持ちが強かった。
……でも、よく考えてみると、ウヨーリ教の広がり方の異常さは、果たしてタゴサクさんだけの成果だろうか?
「リョウ君?」
自分の考えに没頭していると、目の前でバッシュさんが心配そうに私の顔をのぞいている。
「あ! すみません! 少し、ぼーっとしてました」
「ああ、すまない。帰ってきたばかりだ、疲れがたまっているだろう。報告ご苦労様。今日はもうゆっくり休んでくれ。本当によくやってくれた」
そう言って、いつもの朗らかな笑顔を向けてくれた。
いつもの穏やかそうな、バッシュさんだった。