帰還した領主の養女編⑭ 大好きなヨシヨシと胸筋
温かい。
誰かが私の頭を撫でてくれる手が、すごく優しくて、温かくて……すごく安心する。
あれ、そういえば私、今何をしてるんだっけ?
今は、朝? ……親分たちの朝ごはん用意しなくちゃ。猪のお肉残ってるかな。山菜も、少なくなってるかも……起きて用意しなくちゃ。
でも、頭を撫でる手がすごく気持ちいいから、まだこのままでいたい。
だって、この温かい手は、コウお母さんの手だ。私の大好きなコウお母さんの手。
もう少し、もう少しだけ……。
……じゃない! 違う!
山賊気分に浸って寝ぼけていた私は、一気に目が覚めて、目を開けると同時に体を起こした。
そして私の頭を撫でてくれていた人を確認する。
「コウお母さん……!」
「あら、起こしちゃったかしら」
そう言って、コウお母さんは、いつもみたいに優しく笑った。
私は慌てて、コウお母さんの手をとって、脈拍を確認して、コウお母さんの顔の前に指を3本立てて突きつける。
「これ、何本に見えますか!?」
「3本だけど、まったく、意識確認するのはこっちよ! リョウちゃんは丸々1日眠っていたのよ」
「ええ……!?」
丸一日? そういえば私、すごくお腹すいてる。
「あ、それよりコウお母さんはなにか変なところは? いつ目が覚めたんですか?」
「またアタシのことばっかり。でもその調子なら、大丈夫そうね。アタシも問題ないわ。変なところもない……。セキに馬車で運ばれる途中で目が覚めたの。傷口も、まるであの時のことが夢だったみたいに綺麗よ」
そう言って、右の脇腹の服をめくりあげて、傷があったところを見せてくれた。
私はそのまま恐る恐る傷があった場所に触れる。何もなかったみたいだ。あんなにえぐれて、血が流れていたのが嘘みたいに……。
でも、傷は治っているけれど、あれは嘘じゃない。本当にあった。コウお母さんが私をかばって、死んでしまう、ところだったんだ。
「魔法で……他の人の傷も癒せるようになったのね」
というコウお母さんの言葉に小さく頷いた。
そう、私は魔法で、他の人の傷を癒せるようになった。
色々な考えがよぎるけれど、今は、でも、それよりも! コウお母さんに謝らないと!
「コウお母さん……! 私、ごめんなさい!」
そう言って、コウお母さんのかたい胸に飛び込んだ。勢いよく飛び込んだので頭をぶつけて意外と痛い。
コウお母さんは、私の頭に手を置いて撫でてくれた。
「私のせいで、あんな傷……死んじゃうところだった」
「でも、死ななかったわ。リョウちゃんのおかげね」
コウお母さんがそう言ってくれて、優しく頭を撫で続けてくれる。
しばらくそうしていたけれど、コウお母さんが少し遠慮がちに口を開いた。
「リョウちゃん、アタシね、リョウちゃんの優しくて、頑張り屋さんなところ大好きよ。村の人たちのために頑張ろうって思える優しいリョウちゃんは、アタシの自慢。でも、すごく無茶なことを、簡単にやろうとするところがあるから、すごく不安になるの」
「え、そんな、そんなこと……」
といって、途中で言葉が続かなかった。
確かにそんな感じだった。
まるで、わがままをいう子供みたいに無茶なことをした。少なからず、コウお母さんの私への愛を、試すような気持ちもあった。
それに、治癒魔法もあって、自分一人が頑張れば、どうにかなると思う気持ちが強くて、しかもそれが大体成功するから、自らを省みたりもしなかった。
コウお母さんは優しいって言ってくれるけれど、私って、ただ傲慢なだけだった……。
「リョウちゃんが、他の人に向ける優しさを、自分にも向けて欲しい。誰かが傷つくのが嫌だからって、自分を傷つけていいわけじゃない。誰かが傷つくくらいなら自分が傷ついたほうがいいと思うのは、リョウちゃんの大切な人を傷つけているのと同じことなのよ」
顔が下を向く。
うん、なんとなくわかる。
私だって、私をかばって傷を負ったコウお母さんをみて、胸が張り裂けそうだった。すごく、怖かった……。
「コウお母さんだって、私のことかばって、傷ついたんだから、人のこと言えないです! 私、もうあの時、ダメだと思って……すごく怖かった」
「アタシはいいのよ! だって、アタシはリョウちゃんのお母さんよ」
「……コウお母さんは、ズルい」
そう言いながらも、とても嬉しくて、こぼれそうな笑顔と涙を隠すようにコウお母さんの胸筋に顔を押し付けた。
こんな私の母だと、そう言い切ってくれるコウお母さんが、すごく嬉しかった。
「私、もうコウお母さんを心配させるようなこと、絶対にしない。いい子にする。いうことはなんでもきくし、絶対に無茶だってしない」
私はコウお母さんの胸の中で、そうもごもごと口にする。
これからは、石橋を叩いて叩いて叩きまくったあとにまた念入りに叩いて渡る所存!
そう固い決意を込めて顔を上げると、コウお母さんが、困ったように笑った。
「ふふ、いつまでその決心が続くかしら。リョウちゃんはアレクに似てる。アレクはアタシの言うことなんて、ぜんっぜん聞こうとしなかったわ。いっつも無茶ばかり」
「私は、親分ほど豪快じゃないですよ! ……それに私は、コウお母さんが嫌がることはもうしたくない。だって、大切、だから……」
そう言う私の肩に手を置いて、コウお母さんが私の目を見る。
「私も意固地になって、あの時は、怒りすぎちゃった。優しいリョウちゃんが、村の人たちが傷つかないようにって、一番いい方法を選ぼうとしてるのも、分かってた。一生懸命頑張ってるリョウちゃんの気持ちもわかってたのに、ついムキになっちゃった。私に心配かけさせたくないって思ってくれるリョウちゃんの気持ちはすごく嬉しい。でも、リョウちゃんは、最終的には自分のしたいようにしていいのよ。だってアタシは、きっとちょっとのことでも心配しちゃうし、今のリョウちゃんなら、もう大丈夫。ただ、なにか行動を決めるときに、リョウちゃんが傷つけば、同じように傷つくアタシみたいな人がいるってことを思い出してくれれば、それでいい」
うう。
やばい、また何か、こみ上げてくるものがあって……視界が滲む。
「……コウお母さん、私、私ね」
私は我慢できずに、そのままコウお母さんの胸にまた顔を押し付けた。
いっきに目や鼻から汁が出るものだから、こぼれないようにって思わず押し付けちゃったけれど、おかげでコウお母さんの服が、ズルンズルンに……ごめんなさい。でも今すごい顔してるから、あんまり見せたくないんだもん!
「うう、だいずぎ」
どうにか伝えたいことは伝えたけれど、もう上手く声が出ない。
「ふふ、ひどい声。それに、目も真っ赤で……ひどい顔よ」
顔を隠すように胸に押し当てていたのに、どうやらバレバレだったみたい。でも、だって、もうこんなのしょうがないじゃないか…‥!
「だっで……」
なにか言い訳を言おうと思ったところで、布が擦れた音がした。
「リョウ君は起きたのか」
男の人の声が聞こえて、ゆっくりと視線を横に移すと、仕切り替わりの布をめくって、セキさんがやってきていた。
そういえば、と、意識が無くなる寸前にセキさんの姿を見たことを思い出す。
そうだった。彼がここまで運んできてくれたんだ。多分。
私は、顔中に垂れ流されようとしていた汁たちを服の裾で拭き取る。
「ゼギ様、ずみまぜん」
と鼻声で、言って、どうにかご迷惑をお掛けしました的なニュアンスの言葉を放ったが、鼻声過ぎて、上手く発音できなかった。
セキさんはそれを微笑ましいものでも見るようにして目を細める。
「いや、いい。しかし、あの時は驚いた。慌てているアズールさんと一緒に森に入ったはいいが、変なうめき声が聞こえてきて魔物だと思ったんだ。それで、うめき声がする方へ向かうと兄さん達で驚いた」
変なうめき声……。コウお母さんの傷が癒えて大興奮状態だったあの時の私の泣き声のことだろうか……。もうちょっと可愛い例え方はできないものだろうか……。
なんか、ちょっと気分が下がって、そのおかげで、涙的なものが完全に引いてきた私は、改めて、セキさんに顔を向けた。
確認したいことがいっぱいある。
「意識を手放す前に、グローリアさんと合流してというお話を聞いたような気もしたんですが、今、どういう状況なのでしょうか?」
「実はここより少し東側で、大きな結界のほころびがあったんだ。かなりの数の魔物が村に下りてきていて、私と息子のリュウキとで魔物を処分していたんだが、埓があかないってことで、リュウキはそのまま村で魔物の対応をしてもらい、私が結界の修繕を優先して行うことになった。そして結界の修復を急いでいたら、グローリア様といきあたったわけだ。話を聞く限り、これより西側には結界のほころびはないと聞いたので、今は周辺に逃げた魔物がいないか探索しているところだった」
「グローリア様は、そのまま東側に向かわれたんですか?」
「ああ、そのまま東側へ結界の修繕と、魔物の残党狩りに行かれてしまった。初めて奥様の魔法を見たが、とてつもないな。他に類を見ない程強力な火魔法使いだった」
そう簡単に説明してくれたセキさんに、改めてお礼を言おうとして、私は少し考える。
なんか、難しい顔して『どういう状況なのですか?(キリッ)』とか聞いていたけれど、私ったら、まだコウお母さんに抱きついたままだ。コアラのような私のままだった。私は居住まいを正して座った。
「セキさんはこれからどうされるんですか? ここを拠点にして、外に出てしまった魔物に対処するんでしょうか?」
「これから私は東側に引き返して、リュウキがいるところに戻ろうと思っている。君が寝ている間も見回っていたが、この周辺には魔物はいなさそうだ。リュウキを残してきたほうは、かなりの数の魔物が山から下りていた。おそらくリュウキ一人ではまだ片付いていないだろう」
「なら、私も、一緒に行かせてください」
そう言って、近くにいるコウお母さんの顔を見上げる。
「もう、無意味な無茶はしません」
私は、そう言うと、コウお母さんは頷いた。
「わかったわ。セキ、リョウちゃんと私も一緒にいくわよ」
コウお母さんは覚悟を決めた顔でそう言うと、セキさんは、わかったと言ってくれた。