帰還した領主の養女編⑨ 聖窟に忍び寄る魔の手
数日、怪我人の治療のお手伝いをしながら、村の人たちと一緒に洞窟、じゃなくて聖窟の中で過ごした。
聖窟には、一部吹き抜けになっているところがあって、そこに火を炊いてごはんを作ったりしていた。暮らす分には問題ない施設で、良く出来てる。
呼び名が聖窟とかいう怪しげなものじゃなかったら、最高でした。
「おねえちゃん! 何か手伝うことある?」
私が、飲み薬を煎じていると、ウヨーリ教の敬虔な信徒の男の子がいつもの輝かんばかりの笑顔で尋ねてきた。
領主のところから来た私やコウお母さんに対して、大人の人たちは遠慮しているみたいだけれども、村の外から来た私に子供たちは興味津々のようで、よく話しかけにきてくれる。
「今のところは、大丈夫です」
「何かあったら言ってね! 手伝う!」
「ありがとうございます」
スルスル村の子供たちはすごくいい子が多い。こうやって自らお手伝いをしようと声をかけてくれるんだもの。
暗い聖窟の中の生活だけど、子供たちの元気な声を聞いてるとなんだか気分がほっこりしてくる。
「ねえ、ねえ! おねえちゃんは、すっごく遠くから来たんでしょう? ウヨーリ様を見たことがある?」
スルスル村の子供たちええ子やぁとほっこりしていたタイミングに心臓の悪い話が舞い込んできたので、笑顔が引き攣りそうになりながらも向き直る。
坊や、ダメだよ、そうやすやすと口にしてはいけないお方なのよ。そういう設定にしてたでしょ?
「……ありませんね、謎の人物ですから。それに、ほら、あまりその方のお話は、ほら、口がただれてしまうのでしょう?」
とどうにか作った笑顔を貼り付けて、坊やに説いたけれども、坊やは気にする風もなく話を続けた。
「えー? お会いしたことないの? そうなんだー。僕、ウヨーリ様に会いたいんだー。聖地にいけば会えるっていう噂なんだけど。ここからは遠いんだって」
「聖地?」
「うん! ガリガリ村ってところなんだって。ウヨーリ様はその村のタンポポからお生まれになったんだ!」
聖地ガリガリ村。聖地ガリガリ村。聖地……。
私は思わず子供たちから視線を逸らした……。だって、聖地って……。
「そ、そうなんですかー。でもウヨーリ様に会ったら、ほら、目が潰れちゃうんですよね? ……神聖すぎて」
どうにかそれだけ言葉を絞り出す。
「うん! いい子はね、直接見ても目は潰れないんだ! 毎日お祈りをして、いい子にして、お母さんを助けて、お手伝いして、いっぱい教えを勉強すれば大丈夫なんだ。だから、いっぱいいいことをしたら、絶対に、僕は聖地ガリガリ村に行く!」
まさか、この村の子供たちがお手伝いとか率先してしようとしてくれるのって、まさかウヨーリ様にあっても目が潰れないため? あと、ガリガリ村の前に『聖地』とかつけられると、なんか私すごく微妙な気分になるのだけれども……。
一体、今、ガリガリ村はどんな状況なんだろう……。
「もう、本当にこの子ったら、ウヨーリ様が大好きで。悪いことをした時に、悪い子はウヨーリ様とはお話できないのよ、食べられちゃうんだから! って、言い聞かせていたら、いい子にしていたら、会えると思ってしまったみたいで」
と、その子のお母さんが、愛しそうに笑って、子供の頭を撫でながら会話に入ってきてくれた。
そう、でしたか。悪い子は食べられちゃうんですね……。
ああ、とうとうウヨーリがなまはげのような存在に……。
もう深く考えるのはやめよう。ウヨーリのおかげでこの村は最悪の状態からは逃げられたし、怪我した人はいたけれど、きちんと応急処置が出来ていたんだ。
ラッキーだよ、ラッキー!
私が、ラッキーなんだラッキーだったんだ、と言い聞かせていると、聖窟の外が騒がしくなった。
急いで、出口の方まで行くと、怪我をした村の男の人が、別の村人に支えられながらこちらに向かって歩いてきている。
「どうしたんですか?」
そばまで駆け寄って私がそう言うと、苦しそうにしてから「で、でかい魔物が……村に……」と言って、そのまま意識を失った。
怪我した村人がそのまま倒れそうになるのを前から支える。ずっしりとした重みを感じた。息遣いはあるけれど……。
「コウお母さん!」
「わかってるわ! その人を奥の仕切りの中まで運んで、治療する。傷は多そうに見えるけど、全部浅い。大丈夫よ」
そう言って、コウお母さんは、倒れた人の腕を肩にかけて、奥に向かっていった。
聖窟内が、ざわざわと不穏な空気に包まれる。
大きな魔物が村に来たといっていた。
グローリアさんは? おそらく今頃は結界の修復作業中のはず。行き違いになった魔物が下りてきたんだろうか……。
怪我をしながらも、ここに来てくれた村人にもう少し話を聞きたかったけれど……。まだ話せる状態でもない。
とりあえず、外の様子を見に行ったほうがいいだろうか……。
「大変だ! 洞窟の近くに魔物が出た! でかい! 男は武器を持って表に出てくれ!」
まじか。
魔物が、さっきの人の後ろについてきたのかもしれない。
私は駆け出して、外の様子を見る。
男の人が数人で、距離を取って武器を構えているけど……無理だ。でかすぎる。
素人が鍬とかの武器とは言えない得物でどうにかできる相手じゃない。
3m以上はある。熊のように毛深く大きな体に、頭部は鳥の頭という気味の悪い姿の魔物だった。
その魔物は、鍬などの農具を突きつける村人のことなど気にする様子もなく、ズンズンすすむと、軽く右腕をひとふりして、突きつけられた農具を粉々に壊した。
「みなさん、離れて! 危険です!」
そう言って、次の魔物の腕のひと振りが人に当たる前に、矢を放った。
狙い通り目に刺さると、魔物は仰け反る。
「早く、今のうちです! 距離をとってください! そして、馬を私のところに!」
私が叱咤するようにそう言うと、農具を構えていた村人が慌ててその場を離れた。
その間にも、弓を構えて、次々に矢を放つ。もう片方の目、柔らかそうに見える喉元、胸のあたり……。
けれども、丈夫な毛皮に覆われた魔物に、弓矢はあまり深く刺さらない。それに警戒をし始めた魔物は、顔付近に飛ばした矢を全て払い除けてしまった。
思わず舌打ちをすると、近くに馬のいななきが聞こえる。
村人が馬を持ってきてくれたみたいだ。
馬は近くにいる魔物をみて、ちょっと興奮状態だったけれど、我慢して欲しいと首を撫でてから背に飛び乗る。
その間に、魔物は、忌々しそうに私を睨みながら身震いすると、体に僅かに刺さっていた矢がバラバラと弾けとんだ。
やる気まんまんだ。
ここは人が多すぎるし、聖窟の中には、女の人や子供達だっている。
私が魔物を引きつけて遠くまでいったほうがいいかもしれない。
私が聖窟から離れるように馬を駆ると、魔物は私の後をついてきた。
途中で慌てた様子のコウお母さんが、聖窟から出てきたのが見える。
私のことを驚いたような、心配そうな顔で、見ていた。
ああ、また、怒られるかも……。そう思いながらも、でも、こうすることしか私は思い浮かばなかった。
でも、私には治癒魔法があるんだから、大丈夫。コウお母さんだってそのことを知ってくれてる。きっと、コウお母さんなら分かってくれる。
私はそう自分に言い聞かせて改めて魔物に注意を向ける。魔物はまっすぐ四足走行で私を追ってきているが、馬のほうが若干早い。
私は馬をかけながら、矢を放ってみる。あまりダメージを受けたような感じはないけれど、多少は怯むような感じもするので、矢を放って牽制しつつ、森の奥へと進む。
でもこのままずっと追いかけっこはきついよね。
火矢を放つべきか。マッチをすって……。
マッチならポケットに入れている。でも、馬で駆けながら、マッチをつけて、火矢を放つことが出来るだろうか。
慌てて外に出たものだから、ほとんどの秘密道具を聖窟に置いてきてしまった。
油やお酒があれば、矢尻に染みこませた布を巻いて、どうにか火矢を放てただろうけど……。
今手元にあるのは、アラン製の短剣と、神殺しの剣、それにポケットに入れているマッチに、煙玉に、硬貨を削って作った飛び道具、そして弓矢。それに、今乗っているこの馬は荷運び用の馬だったようで、鞍に荷物を固定する用の丈夫なロープがくくりつけてあった。
どうしようか。
矢や硬貨の手裏剣だと、おそらくこいつには傷を負わせられない。
直接、あの魔物に剣を突きつけないと……。
それには……力が必要だ。あの丈夫な毛皮をものともせずに、力いっぱい剣を突き刺せる力。そして、魔物の攻撃をかわす素早さと度胸……。
そして、それは、今の私なら簡単に手に入る。
私はアランの短剣の柄の部分にロープをグルグル十字に巻いて固く縛り付ける。
そして、巻きつけながら、呪文を唱えた。
「アフコトノ タヘテシナクハ ナカナカニ ヒトヲモミヲモ ウラミザラマシ」
体に巡るオーラが見える。光って、そして体が熱くなる。力が溢れてくるような感覚がきた。
この呪文は、コウお母さんと馬車に乗っているときに見つけた体を興奮させて力を引き出す魔法だ。
最初この呪文を唱えたとき、クルミの殻を簡単に潰すことができた。今も、なんでも出来そうな感じがする。
先端に短剣をつけたロープを振り回して、前方の比較的太い木の枝に向かって、投げつけた。それが枝にぶつかって、短剣を重しにして、グルグルと枝に巻きつく。私は馬の背を蹴って、そのロープに身を委ね、ターザンのようにぶら下がる。
宙に浮いた私の体はその振り子の勢いを利用して、丁度下を走り抜けようとしていた魔物の背中に飛び乗った。
そしてそのまま、首のあたりめがけて、神殺しの短剣を深々と突き刺す。
魔物の肉が、柔らかく感じる。興奮状態にする魔法のおかげで、とても力が入りやすい。
想像よりもスムーズに短剣を魔物の奥深くまで差し込むことに成功したところで、魔物が仰け反るように体を起き上がらせた。
振り落とされないように、突き刺した短剣に力をいれ、もう片方の手で魔物の毛にしがみつく。
魔物が再び四足歩行の体勢に戻ろうとしたその瞬間に再度力を入れ直して、横に短剣をなぎ払った。
「ガー」という魔物から絶叫のような音が少しこぼれたけれど、魔法のおかげで力が沸いており、万能感満載な私は、魔物の首をほぼ切り落とすように短剣を最後まで振り抜く。
皮、5枚ぐらい残した感じで、首を切り捨てると、魔物の頭が宙ぶらりんになった。
バランスを崩した魔物が、急激に失速したため、私は魔物の毛皮にしがみつき、短剣を魔物の背中に突き刺す。
前に振り落とされないようにしっかりしがみついていると、魔物は、脚をもつれさせて横向きになって転んだ。
魔物が横になって倒れたので、私は魔物にしがみついていた手の力を抜いて、ゆっくりと地面に足をつける。
どうにか大きな怪我を負うこともなく、地面に立ち上がることができた。
首を切り落とされた魔物は、まだワサワサと多少手足を動かしているので、多分、死んでいない。
魔物の背中に突き刺した短剣を抜く。
そして、また力を引き出すための呪文を唱えてから、念のため魔物の四肢の腱を切断した。これで、立ち上がることはできまい。
というか、首を落とした時点で、動けなくなって欲しい。
私は荒い息遣いで魔物を見下ろす。気が付けば、2回目の魔法の効果も終わっていたようで、もう体中にまとわりつくオーラが見えなかった。
今まで興奮状態で気付かなかったのか、感じなかったのかわからないけれど、体中が痛い。筋肉を限界以上に酷使したからだと思われる。
足にも力が入らなくなって、しゃがんでしまったので、今度は治癒の魔法を唱えた。
全身にまたオーラが包まれると、いつものピリピリとした痛みに耐えて、傷を治癒する。
最近ではもうこの痛みにも慣れてきた感じがする。
「リョウちゃん!」
治癒魔法で、体を癒していると、コウお母さんの声が聞こえた。顔を挙げると、顔を青白くさせたコウお母さんが馬に乗って、私を見下ろしていた。
顔を見れば分かる。
コウお母さん、なんか、すごく、怒っている……。









