帰還した領主の養女編⑧ 祈りを捧げるスルスル村
著タゴサク先生の壮大なウヨーリ物語がつらつらと綴られている紙を見つめながら、
「この紙は、いつから……?」
と、震える声でどうにか問いかける。
男の子は祭壇に来た途端に祈りを捧げるように手を組んで瞑想し始めていたので、私の問いに答えてくれたのは近くにいたおじいさんだった。
「1年程前になります。それまでにも、ウヨーリの教えについてのお話は聞き及んでいて、村人たちとその教えを守って生きていたのですが……一年ぐらい前に、あまり口にしては神聖すぎて危険だと言われ、この紙束を頂いたのです」
神聖すぎて危険って……。
さっきまでウヨーリ様に祈りを捧げていた男の子が、お祈りが終わったのか、元気いっぱいな様子でこちらを見上げている。
「そうなんだ! ウヨーリ様は、凄すぎるんだよ。本当は、ウヨーリ様っていうのも本来の名前じゃないんだ。本当のお名前はお隠しになってるんだ! 神聖すぎて大変なことになっちゃうんだって!」
「へー。神聖すぎて大変なことに……ですか」
「うん! それだけじゃなくて、直接そのお姿を見ると神聖な光で目が潰れちゃうんだ!」
「ワア、タイヘンデスネー」
マジかよ。大変どころじゃないよ。ウヨーリ様やばすぎだろう。そんな笑顔で話す話じゃなくない?
名前を口にすれば口がただれて、姿を見れば目がつぶれるって……それ多分邪神とかの類なんじゃないの? 大丈夫?
神聖って単語つけていればどうにかなるって思っているかもしれないけど、内容聞く限り、呪いの一種だよ!
私は震える手で祭壇に紙を戻すと、頭を抱えた。
え、どういうこと?
なんでこんなことになってるの?
一時期、そう、一時期、ウヨーリの教えとかいう怪しい宗教団体の匂いを感じて、その教祖であるタゴサクに厳しくお灸を据えたつもりだったんだけど。
それで、勝手に口にしないように、口頭で話をすることを禁止した。それはいい。
もしかして、その結果、ウヨーリの話をすると口がただれるとかになったんだろうか……?
いや、まあ、それも、一旦は、うん、いいとして、なんで、こんな紙が出回ってるの?
書面で広めることは確かに許容したけれど、けれどそれは、広める書面を私が管理するためだ。
私は今まで、タゴサクさんに、許可を出していない。
実際、学園にいた時に、何度かやり取りをしている。
タゴサクさんが書いてくれるウヨーリの物語に赤入れをして、怪しいところはだめですって書いて送り直してる。それに対してタゴサクさんは、また訂正したものを送ってきてくれて、それにも赤線をいれて……。
そう考えて、改めて、この書類に書かれている内容を考える。
この内容は、私がタゴサクさんに演説を禁止した以降に書かれた物語じゃない。私が学園に入学した頃から送ってくれていた物語だ。
私は斜め線を入れて、もう送ってこないでください!と送り返していた。
そういえば、そう送り返すと、今度は全然違う物語を書いて送ってきていた……。
まさか、だけど。まさか、タゴサクさん。「もう送ってこないでください」と書いたものは、「完璧なので、もう送ってこなくていい」という解釈に捉えた?
……いや、原因はもう、こうなったら、この際どうでもいい。もう実際に出回っているのだから。
こんな山際の辺境の村にまで出回ってるということは、この紙切れはおそらくほとんどのところに広まってるんじゃなかろうか……。
しかし開拓村の村民は教育なんて受けていないので、文字を読めない。手紙が出回っているとしても、詳しく内容までは把握できないはず……。
「ねえ、ねえお姉ちゃん、文字読める? 僕が読んであげよっか?」
「え……この、紙に書かれている文字、読めるんですか?」
恐る恐る聞いた。私がタゴサクさんに書面ならウヨーリの話を残していいと承認したのは、村人なら文字までは読めないから……前ほどの勢いでは広まりにくくなると判断したからだ。
それで、危険なタゴサクさんが溢れんばかりの妄想を紙に書きなぐることで、気持ちが安定するならそれでいいだろうと踏んでいた。
それなのに、こんな小さな子供まで、文字を読める? そんなの、私の知ってる開拓村じゃないんだけど。
「もちろん! 読めるよ!」
男の子は嬉しそうに胸を張っている。
後ろからその子のお母さんもやってきて、困ったように笑った。
「完璧ではありませんが、この話はもともとよく口頭で聞いていた教えでございますから、内容は頭に入っています。なのでなんとなく文字をみて読めるような感じがする程度です」
「そう、ですか……」
私の認識が甘かった。
心の中で、こんな馬鹿げた話を真剣に聞き入る人なんかいないだろうと思っていた。
だって、金色の赤子って。タンポポから生まれたとか、普通に考えてそんなことあるわけがないじゃないか。第一、ヨモギも金色の赤子が創ったらしいことになってるけど、もともとあったじゃん! もともと道端に生えてたじゃん!
タゴサク氏の洗脳能力を、私は甘く見ていたのだ。あと、みんな信じすぎだよ。こわい。そのうち絶対ツボとか買うよ! ご利益がー! とか言って高いツボとか買うんじゃないでしょうねー!?
ああ、とりあえず、どうしよう。この祭壇どうしよう。
というか、もしかして、この、立派な洞窟って……。
「もしかして、この洞窟は……もともとこの祭壇を……この紙切れを祀るためのものだったんですか?」
「ええ、そうなんです。陽のもとでは、この教えを触れることは禁止されておりますから。もともと自然に存在していた洞窟を我らで整備して、大きくしていったのです。教えに触れる場をどうしても作りたかったものですから……。よくよく考えれば、こうやって、ここに魔物から隠れ住むことができたのも、この祭壇を収める洞窟を整備していたおかげ。ウヨーリ様の教えはさすがでございます。このようなときのために我らを守る場所を作るようおっしゃっていたのですなぁ」
近くにいたおじさんが、朗らかな笑顔でそう教えてくれた。
いや、多分、ウヨーリはそこまで考えてないよ、うん。
なんか頭痛くなってきた。
どうしようこれ。結構おおごとなんだけど。
話を聞く限りでは、ウヨーリは謎の人物とされ、私がウヨーリという風には広まっていないのは唯一の救いだ。
でも、これをこのまま放置していけば……いつか、大変なことになる。
ウヨーリの話は、陽のもとで話すと口がただれるといかいうことになっていて、そこまで大っぴらに広められたりはできないだろうけれど……。
でも、きっと、いつかは王族に知れる。
魔法使いでもないものを、信奉しているこの現状に、国はどう思うだろうか……。
今この瞬間に、ウヨーリの教えに触れることを禁止しようか。伯爵令嬢権限でそれぐらいのことはできるかもしれない。
例えばこの紙切れを火にくべて……?
改めて、祭壇の周りにいる人々の顔を見た。
熱心に祈りを捧げている人、この隠れ家のおかげで、村人の犠牲が少なく済んだと喜び、ウヨーリに感謝の言葉を捧げている人、いち早く領主からの救援が来たこともウヨーリ様の導きだと涙を流しているもの、たんぽぽの花を嬉しそうに祭壇に飾っている子供達……。
魔物に村を追われた人たちが、この部屋にいるときだけは、少しだけ安らかな顔をしている気がする。
……できない。この異様な雰囲気の中で、はいはいウヨーリとか、禁止ー! はいダメだめー! 解散解散! とか、私、言えない。
ていうか、言ったら、後が怖い。
だって、実際に、タゴサクさんが広めたこの教えのおかげで村は、危機的状況から救われている。
この洞窟の存在もそうだし、ケガの治療にだって、その教えが役立ってるんだ。
それに何より、村の人はウヨーリという存在を心の拠り所にしてる。
それを奪ったら……。
アタシは口の中に溜まったつばを飲み込む。
そして、少し長く息を吐いた。
一旦、見逃そう。
せめて、この大雨で起こった魔物の騒動が落ちつくまでは。そうじゃないと、だって、そうじゃないと……。
この騒動が落ち着いてから、ウヨーリのことを考え直すのも、まだ遅くない。いや、正確には、遅すぎたんだけど、まだギリギリ大丈夫、のはず。
国は、結界の崩壊で、こんなことに目を光らせてる場合じゃないだろうし、今のこの大変な時期だけ見逃そう。落ち着いたら、タゴサクさんを縛り上げてでもどうにかする。
国に知られる前に……隠匿する。
だから今は、このウヨーリという名を口にすれば口がただれる邪神のような救世主のおかげで、最悪の事態を免れたスルスル村の幸運を受け入れよう。そうしよう。
ていうか、もう、それぐらいしかできない!