帰還した領主の養女編④ 救済の旅の準備
グローリア奥様とバッシュさん達と一緒に、一旦屋敷の外に出ることになった。
経緯としては、先ほど奥様が南側へ行かせて!と懇願したのを見て、これは南側へ行く許可がおりそうだと思ったんだけど、バッシュさんはそれでもダメだっていって、奥様の懇願を却下した。
それは多分、愛妻家っぽいバッシュさんの愛ゆえだとは思うんだけど、グローリア奥様は、激怒。
グローリアさんは、それならもう離婚するー! キーーーッ! みたいな勢いで癇癪を起こして、マッチで点けた炎を柱のように燃え上がらせたりとかして、脅し……ゲフン、情熱的な訴えのおかげで、ある条件を確認したら、南側へ行くことを許可してもらうことになった。
そして、そのバッシュさんが出した条件というのは、簡単なもので、グローリア奥様が本当に火の魔法を使っても体を壊したりしないのかを確認することだった。
ということで実験のために外に出てもらったのだ。
「奥様、まずは、マッチを擦ってみてください。はい、ええ、そうです。点きましたね。お上手です。では試しにこちらの方向に火魔法をお願いします」
私がそう声をかけると、私が示した先に向かって、呪文を唱えて奥様が火炎放射を放った。
ゴオオオオオウというものすごい音とともに放たれた炎は、私が的として用意した藁の塊を、あっという間に消し炭にした。
……なにこれ、めちゃくちゃ怖いんだけど。
トーマス教頭先生より、火の威力というか規模が大きくない?
驚く私の隣で、バッシュさんも「お、おお」と言葉にならない声を出しているし、ガラテア姉さんも『お母様、恐ろしい方!』みたいな驚愕の表情をしていた。
「グローリア様、体調は、だ、大丈夫ですか?」
「全然、問題ないわ!」
そう言い切った奥様の顔は血色も良く、大変お元気なご様子。
「バッシュ様、どうですか? 大丈夫そうだと思うんですけど……?」
私が恐る恐る、火魔法使いの奥様に釘付けなバッシュさんに声をかけると、小刻みに震えていたバッシュさんが、ハッとしたような顔で私の方を見た。
「そ、そのようだね。……わかった、南へ行かせよう」
バッシュさん、ごめん。奥様にマッチという名の凶器を渡してしまったことで、グローリアさんが鬼嫁になってしまったことは大変申し訳なく思っています。
震えるバッシュさんに思わず目礼すると、許可をもらった歓喜のグローリアさんが、バッシュさんのもとに駆け寄って、抱きついた。
「あなた! ありがとう! 嬉しいわ!」
「グローリア、本当に元気になったんだね。私は嬉しい……嬉しいよ、グローリア!」
そう言って、バッシュさんが興奮したように頬を赤く染め、喜びの表情で抱き返していたんだけど、もしかしたらあの震えは喜びからだったのだろうか。
鬼嫁となって、攻撃力の上がった奥様に体が震えるほどの喜びを見せるバッシュさんに、なんだかちょっと変な想像をしてしまいそうだけど、きっと今まで病弱だった奥様が元気になった姿に純粋に喜んでいるに違いない。まさかバッシュさんが、マゾ的な……げふんげふん! 元気な奥様を見て純粋に喜んでいるに違いない。ただ、ま、万が一、ルビーフォルンの夫婦関係に何かしらの悪影響を及ぼしていたとしたら、その、ごめんなさい。
心なしか何とも言えない顔をして、抱擁し合うご両親を見ているように思えるガラテアさんに、こっそりと頭を下げた。
自分が招いたかもしれないバッシュさんとグローリアさんの夫婦関係の変化にプルプル震えながらも、私は出発の準備を急ぐことにした。
グローリアさんと屋敷に残っていた僅かな護衛の人と一緒に、私も南側に行けることになった。正直ここまで来るのに結構疲れてはいたけれど、ゆっくりはしてられない。早く状況を確認したい。
「あれ? タゴサクさん、その荷物はどうしたんですか?」
出発の準備のため、馬車に食料やら治療道具やらを詰め込んでいると、タゴサクさんがやってきた。大きな荷物を持っている。
すごく嫌な予感がする。
「リョウ様がルビーフォルンの村々のために、救済の旅に出られると聞いて馳せ参じました!」
「いや、タゴサクさんは馳せ参じなくていいんで、バッシュさんと大人しく屋敷にいてください」
「しかし、それでは、偉大なるリョウ様の救済の旅の記録をとるものは誰が……? 旅に同行する屋敷の護衛は、まだ騎士見習いのようなもの。文字は読めても書く事まではできぬのです。記録を取るものが必要ですぞ」
純粋な子供のような目で、じゃあ誰が記録取るのー? みたいな顔してきたけど、別に記録取らなくていいからね! 当然のように記録を取るつもりでいることに私驚いたよ!
「記録は取らなくていいんです。それに、タゴサクさんは騎乗もできないし、馬車の御者もできないんですから、足手まといですよ。魔物がでる可能性が高いんですから、危険です」
私は強めの口調でそう言う。だってこのタゴサクってやつは、強めに言っておかないと取り返しがつかないことになるって私はもう学んだのだ!
「おおう、リョウ様、なんと果てしなき慈悲深さ! このタゴサクの身を心配してくださるとはっ!」
そう言って、タゴサクさんは、目に涙を浮かべ始めた。確かに、タゴサクさんの身は心配だ。主に頭の中が心配でたまらない。むしろ頭の中の心配しかしてないかもしれない。
「しかし、リョウ様、私の心配は無用です! たといこの身が死ぬるとしても、リョウ様の偉大なる救済の旅を形に残すことを誓いましょう」
やめて! そんなもの残さなくていいから、おとなしく成仏して!
私は幽霊になっても、私に付きまとってくるタゴサク霊を想像して、サーっと血の気が引くのを感じならが、タゴサクさんを見つめる。というか睨みつける。
「タゴサクさん、救済の旅とかいうものの記録は取らなくていいのです。まずそれを理解してください。いりません」
「ハハハ、いやいや、リョウ様、さすがはご冗談もお上手! このような大変な時だからこそ、冗談を交えるリョウ様のお心の広さ、このタゴサク、感服いたしました!」
いや、冗談じゃないんだけど!
そしてタゴサクさんは、そんな事を言いながら笑顔で馬車に乗り込もうとしていた。
やだ、もう、怖い!
「何勝手にさりげなく、馬車に乗り込もうとしているんですか! ほら、タゴサクさん、屋敷に戻ってください! もう! そんな顔しても連れて行きませんよ! 早く降りてください!」
私は屋敷を指さしながら、強めの口調で命令をする。タゴサクさんが、捨てられた子猫みたいな顔をしてきたけれど、全然可愛くないので惑わされずに済んだ。
ホラ! タゴサクさん! ゴーホーム! ゴーホーム!
私の断固とした態度が功を奏して、タゴサクさんを馬車から追い出すことに成功した。
ものすっごくしょんぼりしてるけど、ここはもう断固である。『タゴサク、ダメ絶対』の精神である。
「あら、リョウちゃん、どうしたの? さっきから荒ぶる声が屋敷中に聞こえてたわよ」
荷物を持ったコウお母さんとアズールさんが、やってきた。
私と一緒で、持っていく荷物を運搬しにきたんだろうと思うけれども、いいタイミング!
私はすかさずコウお母さんにすがりついた。
「コウお母さん! いや、聞いてください。タゴサクさんが無理やり一緒に行こうとしてたんですよ! なんか、記録とるとかよくわからないことも言ってくるんです!」
私は馬車から降りたものの未練がましい目で、見てくるタゴサクさんを示しながら、コウお母さんに伝えた。
「タゴサクさん、貴方も懲りないわね……」
コウお母さんは何か可哀想な目でタゴサクさんを見ると、タゴサクさんが吠え付いてきた。
「コーキ殿からも何か言ってくだされ! このままでは神聖なるリョウ様の救済の道のりを記すことができませんぞ! 今回リョウ様方に一緒にいく護衛の方々は、文字を読むことはできても書く事までは出来んのです! だから、私が、私が行かねば!」
「……アズールちゃん、この人を部屋まで送り届けてあげて」
コウお母さんが、そう言って、アズールさんが、持っている荷物を預かった。
「は、はあ。りょ、了解したであります!」
ちょっとよくわかっていなさそうな顔をしたけれども、元気よくアズールさんは応じてくれた。
「ささ、タゴサク殿、こちらですよ」
と言いながら、アズールさんが、ベテランヘルパーのような優しい笑みとともにタゴサクさんを屋敷へとエスコートしてくれる。優しい。アズールさん優しい。
私はすごすごと退散してくタゴサクさんの背中を見送って、コウお母さんと一緒に馬車に荷物を詰め込む作業に入った。やっと作業に集中できる。
「それにしても、アズールさんが、ついて行くって言ってくれたのは驚きました」
荷物を馬車の中で整理しながら、そう言うと、コウお母さんが振り返った。
そう、なんと王国騎士のアズールさんが、このままルビーフォルンの巡回にもついてきてくれると言ってきてくれた。
ルビーフォルンまで送ってきてくれたことでさえもありがたいのに、まだ付き合ってくれるという……天使である。
「そうねぇ。驚いたけど、助かるわね。本当に屋敷にいる護衛騎士は少なかったし、アズールちゃんがいてくれたら、御者を任せられるから、安心ね」
コウお母さんの言葉に、何度も頷きながら、ちょっと前の兄とのやり取りを思い出した。
御者ができるので、猫の手でも借りたい私は、一応、シュウ兄ちゃんにも、どう? 一緒に巡回しちゃう? という感じで誘ったけれど、『魔物とか、いっぱい出るんだろ? わりぃけど、俺、魔物苦手だからやめとくわ。可愛い妹の無事を祈る仕事に徹するぜ!』と言ってサムズアップしてきた。
その可愛い妹が、魔物がいる地域に突入するというのに、大変な笑顔であった。
兄との苦い記憶に思いを馳せながら、準備を行って、とうとう出発することになる。
色々あったけれども、パーティーメンバーは、私とコウお母さんとアズールさん、それに数名の護衛と炎使いのグローリアさんという少数精鋭部隊。
お留守番のバッシュさんたちには、マッチの大量生産のお仕事をお願いした。
バッシュさんは、最後まで心配してくれて、とくにグローリアさんのことをとても心配している様子で、護衛の方に、「よろしく頼むよ!」と念を押していたけれど、うん、大丈夫だと思う。あなたの奥さん、私がルビーフォルンで出会った人の中で一番強そうだったよ、うん。
そして、私たちは、みんなに見送られながら、屋敷を後にした。