帰還した領主の養女編② ルビーフォルンの現状
カイン様を見送ってから、改めてバッシュさんたちがいる部屋に戻った。
私がカイン様との別れを惜しんでいる間に、新参者のシュウ兄ちゃんとアズールさんがバッシュさんへの紹介を終わらせているところだった。
私のいない間にシュウ兄ちゃんが失礼なことをしてないかどうかってことだけが心配である。
改めて席につくと、領地の現状について早速バッシュさんに尋ねることにした。
「畑の被害がひどい。なんとか 田んぼが使えそうだが、今年の収穫量はガクッと落ちるだろう。そして、何と言っても、南方面だ」
そう言って、声を落としたバッシュさん。どちらかというと、領地の北寄りにルビーフォルン邸は位置づけられている。
そして、今まで私たちが、ここに来るまでに歩んできた魔物の被害を感じなかった地域は、レインフォレスト領に接している北方面側だ。
「南側方面では、結界が壊れて、魔物が出てきてしまったところがあるらしい。ちょうど、セキやリュウキ君が、畑から田んぼへと開墾するためにこれから回ろうとしていたあたりだったので、そのまま魔物の対処や結界の修復をしてくれているのだが、一度魔物の報告が上がってからというもの、彼らの報告がこない。対策に追われて余裕がないだけかもしれないが……」
辛そうに顔をしかめて後半の話をするバッシュ様。
バッシュさんの話を聞く限り、南方面側は開墾作業がまだ行えていなかったようだ。そしてその南方面で魔物が出たとなると、川の水を田んぼなどに逃がすことができずに川が氾濫し、結界が綻んだという可能性が高い。
「ちなみにバッシュさん。田んぼの開墾計画はどこまでできたのかわかりますか?」
私の突然の質問に、バッシュさんは戸惑いながらも、地図を広げてくれた。
「えっと……まずは屋敷の西側から北、東、南という流れでグルッと回ってもらうようにお願いしていた。最後にセキ達から報告が来たのはこのあたりからだ、ここまでは開墾済みだとは思う」
そう言いながら、バッシュさんは、ルビーフォルンの西側から時計回りに地図をなぞって、南の山地のあたりで指をとめた。
ルビーフォルンの西には、魔の森が広がっている。そして、北は、レインフォレストとヤマト領に面しているが、レインフォレストとの交易で使う道があるあたりのみ平地で、半分以上が山地になっており、その山地はルビーフォルンをコの字型に囲っている。地図で見れば、本来ならルビーフォルンも海に面している陸地だけど、山があるために海には出られない領地だった。同じように、ルビーフォルンの右上は私やタゴサクさんの出身地であるガリガリ村を擁するヤマト領に接しているが、険しい山地があるためあまり交流はない。
バッシュさんがなぞってくれた場所と結界が張って有りそうな場所を確認する。結界は基本的に山や魔の森に張られる。そこに魔物を封じているのだ。
バッシュさんは田んぼの開墾作業が、このあたりまで終わっていると告げたところは、グエンナーシス領に面した山地の丁度半分ぐらいのところだった。
ルビーフォルンは、ほかの領地と比べても山に囲まれてる地域だけど、もし、田んぼへ開墾済みの地域での結界のほころびがないと仮定したとして、一番結界が壊れて魔物が出てきている可能性が高いのは、まだ田んぼへの開墾ができていないグエンナーシス領に面した南側の山地の部分だろう。
実際、セキさんたちから魔物が出たと報告が上がっているのが、まだ田んぼを開墾していない南側の地域だ。
それと西側の魔の森も気になる。西側の魔の森は確か、グエンナーシス領にある高い山から流れる長い川を結界として使っている。バッシュさんのなぞった地図を見る限り、ルビーフォルン邸の丁度真西から開墾を始めているので、田んぼ化しているのは、上半分だけだ。魔の森の下半分は、どうなってるだろうか。それとも同じ一本の川の結界なのだから、中流でダムの役割を果たす田んぼがあることで、氾濫を抑えられている可能性はある。
でも……。
「ちなみに、結界が壊れていると今のところ断定できてるのは、このグエンナーシス領の境にもなっている山地のあたりだけなんですよね?」
「ああ、今のところはだが……」
「お酒造りのために、王都から呼び寄せた腐死精霊使い様って、何人いらっしゃいますか? それと、今はどうしてますか?」
「呼び寄せていたのは9人だ。一応ほかの南側以外の地域も心配なので、雇い入れていた腐死精霊使いの方々に、領地の巡回、結界の補修を頼んでいる」
さすがバッシュさん! すでに派遣されてるんですね! しかも9名もいらっしゃるとは心強い。
結界の崩壊というものが国全体で発生しているという事実がわかったとき、誰もがルビーフォルンが助からないと思ったのには、ひとつ大きな理由がある。
魔法使いが極端に少ない領地だからだ。壊れた結界を修復できるのは、魔法使いのみ。魔物が暴れてなんとか退治できたとしても、もともとの綻びを修復できなかったら、次々と魔物は出てきて、終わりが見えない。そして、ルビーフォルンは、他領と比べても、魔物を封じている山や魔の森に囲まれていた。
「腐死精霊使い様、そんなにたくさんの方がいらっしゃったんですね。素晴らしいです!」
「酒造り事業を始めていなかったら、危なかった。このような事態に対応できる魔法使いがセキやリュウキ君ぐらいしかいないとなっては、対処のしようもないところだった」
「ちなみに、腐死精霊使いの皆さんにはどのあたりを巡回させてますか?」
私がそう質問をすると、地図を指で示すバッシュ氏。
「西側の魔の森に2名、北側に2名、東側に2名。屋敷に3名を待機させている。本当は、セキ達がいる南側にも増援を送りたいのだが、腐死精霊使い様は魔物と戦う術がない。魔物が出ているとわかっている南側に向かわせるのは危険すぎるのではと、迷っていた……。せめて、セキから何かしら連絡が来るまでと待っているのだが、まだ来ない。しかも、それぞれ西、東、北へ向かわせた腐死精霊使い様に騎士の護衛をかなり振り分けた。もう余分に騎士を割く余裕もない」
なるほど。屋敷にいる使用人の数が少ないと感じたのは、騎士職の人がいないからか……。
でも、腐死精霊使いは魔物と戦う術がないっていうのは、ちょっとイメージと違う。少なくともシャルちゃんは、手ごわい魔物の止めを刺せるほどの腕前だった……。
いや、今は一旦それは置いておこう。もう少し話し合わなくちゃいけないことがある。
「今回、結界が壊れたのは、大雨の影響で川が増水して、川の結界が崩れた可能性が高いです。それに、結界の役割を持っていない川だとしても、氾濫した勢いで神縄などの結界を押し流してしまう可能性もあります」
私がそう言うと、バッシュさんは頷いた。
私はそのまま話を続ける。
「実は、私が、ここまできた道中、ルビーフォルン領内で魔物には会いませんでした。途中結界の様子を見ましたが、問題なく機能してます。この地域で結界が壊れなかった理由は、セキさん達が、おこなってくれた田んぼの開墾作業のおかげかと思っています。セキさん達は、田んぼへの水を引くのに川を分けてくれてました。流れが分散したお陰で氾濫を抑え、また田んぼという水量をある程度溜めておけるところもあったので、川が増水することがなかったのだと思われます」
「なるほど。だから、先ほど田んぼの開墾済みの地域を確認したのか。すると、結界が壊れている可能性があるのは、セキ達から報告があった南側と、南西方面の魔の森」
そこで、扉がガンと勢いよく開いた。
突然扉を開けたのはバッシュさんの娘のガラテアさんだった。青い顔の彼女は、扉を開け放して、叫ぶ。
「大変、お父様! お母様の目が覚めてまた暴れ出してる!!」
「なっ! またか! 手足を縛り付けても良いから、落ち着かせるんだ!」
「もう縛り付けてたわよ! でも外に出ようとしてるの!」
そう言った後で、ガラテアさんの後ろから般若のような顔をした女の人が立っていた。
前髪を七三分けにして、長い髪を後ろに束ねている。
「あなた! その言い草はなんですの!? どうして私を閉じ込めようとするの!? 私は魔法使いです! やっぱりこんな時に寝てなんていられません!」
「グローリア! 」
バッシュさんはそう嘆いて、天を仰いだ。
「さあ、この手首に巻いた縄を解いて! 私は外に行かなければ! 領民が待っています! ダメになった畑を私が育てなければ、飢えて死んでしまう!」
「何度言えば、わかってくれるんだ! キミにはもう魔法を使う体力がない! 大人しくここにいてほしいんだ」
目をパチクリさせて驚く私の目の前で、バッシュさんとその奥様が、言い合いを始めてしまった。ガラテアさんも、奥様を押さえつけるように、後ろから抱きすくめている。
一体、これはなんなのだろう……。
ていうか、奥様結構お元気そうですね。
「えっと、バッシュ様と、奥様……?」
私が恐る恐るそう声をかけると、グローリア奥様が、私を見て目を点にさせた。
「あら、いやだわ! あなたは……確か、リョウさんに、コーキさんね。それに、お客様もたくさん……恥ずかしい、こんなところを見られてしまうなんて……」
そう言って、般若のような顔だった奥様は呻くように驚いている。
私のこと、覚えていてくださっていたとは。ほぼ面識がないのに、覚えてくれていたことに私がさりげなく嬉しく思っている間に、人目に気づいた奥様が顔を赤くさせた。
バッシュさんはハアと大きなため息を出して、グローリアさんの肩を優しげに抱く。
「グローリア、落ち着いたかい? とりあえず座って」
「あ、あなた。ごめんなさい。また取り乱してしまったわ。で、でも、辛い思いをしている領民のことを思うと……」
「大丈夫だ。分かっているよ」
バッシュさんは奥様の肩を抱きながら、テーブルまでエスコートして、座らせた。









