帰省の旅編⑪ ガリガリ村の兄弟達
崖下に滑り落ちた私はひとりで登れると言ったのだけれども、フォロリストのカイン様は結局下に降りてきて、私を背負って上がり、しかもそのまま馬車まで運んでもらってしまった。
馬車に戻った私は、カイン様に背負われた状態だし、服がボロボロだったので、コウお母さんに心配されたけれど、怪我がないことをみて安心してくれた。
まあ、治癒魔法で治したんですけど。コウお母さんもそれに気づいたようで、魔法があるからって無茶しちゃダメって言ったでしょ、とみんなに聞こえない感じで、ちょっとしたお小言を食らう。
あれは無茶をしたというか、ドジをしただけで……すみません。
落ちた瞬間を間近で見たカイン様が傷がないということが信じられないらしく、念のため騎乗は止められて、馬車で安静にすることになった。御者はシュウ兄ちゃんがやってくれるので、私は優雅に荷馬車の中で寝転ばせてもらった。
シュウ兄ちゃんは、ジロウ兄ちゃんの姿をした魔物を見てから、少し放心状態のご様子だった。何か、考えてるように、ぼーっとしてる。
「シュウ兄ちゃん、大丈夫?」
荷馬車の方から、そう問いかけると、シュウ兄ちゃんは軽く私の方をみて、また前に向き直った。
「ああ、大丈夫だ。さっきは、悪かったな。俺の代わりに落ちたみたいな感じだったし……無事で良かったよ。あれってさ、魔物、だったのか?」
「多分、魔物、だと思う。魔物は、その人の親しい人に化けて、結界の中に引き込もうとすることがあるから」
私はそう言いながらも、納得できない部分があった。
魔物は、その人が会いたいと強く思っている人の気持ちを利用して、幻を見せる。魔物がそのまま擬態するわけではなく、ただの幻覚。その人が見たいと思う親しい人の幻を見せる。
初めて魔物に会った時、お母さんの姿が見えたけれど、あの時のお母さんの姿は私にしか見えないものだった。だって、お母さんの姿かたちを魔物は知るわけがないのだから、擬態できるわけがない。
親分は、あれは人の心の弱さにつけこむ魔物なのだといった。
でも今回は違う。シュウ兄ちゃんも、私も、それにカイン様も同じ姿を見たらしい。
シュウ兄ちゃんや私なら、ジロウ兄ちゃんの姿を見たことがあるから、まだわかる。でも、カイン様はジロウ兄ちゃんの姿どころかその存在すら知らないはずだ……。
それに、なによりあの魔物は喋った。魔物は幻覚だけじゃなくて、幻聴を聴かせる能力があるのかも、とも思った。声をかけて欲しいと思ったから、言って欲しい言葉を聞こえた気になったのかもしれないと思った。
でも、最後にあの魔物は言った。『生物魔法なんて……久しぶりに見た』
生物魔法というのは、多分私があの時使った治癒魔法のことだ。それをあの魔物は生物魔法と表現した。私は一度もそんな表現をしたことがない。なら私の思い込みでその言葉、幻聴を聞き出すことはできないんじゃないだろうか……。
「魔物って人に化けるのか。ジロウ兄ちゃんの顔、なんか、半分青白い奴になってたな。あれが魔物の姿とかなのか?」
「……それはわかりません。魔物については解明されてないことが多くて」
「俺、あの青白い顔、どっかで見たことある」
「見たことある顔なんですか?」
「ああ、多分夢の中で見た、と思う」
「夢、ですか?」
「……うん」
そう言って、シュウ兄ちゃんは言いづらそうに身じろぎした。
「どんな夢なんですか?」
「よくわかんねえ。けど、たまに見てる、気がする。ほとんど内容は覚えてないんだけど……。なんとか覚えてるのは、地面が地面じゃなくて石が敷き詰められたような感じで、鉄の塊みたいなものが、すごい早く、動くやつ」
そう言いながら、シュウ兄ちゃんが、思い出すように顔を上に向けたのが、後ろからでも分かった。
私は、驚きすぎて、言葉が詰まった。
シュウ兄ちゃんが言った、その曖昧な内容に、私は心当たりがあった。
鉄の塊が動いて、地面が地面じゃないっていうのは、車とか、コンクリートの道のことなんかじゃないだろうか? だから、それって前世の……世界のこと……?
「ほ、他には……!? 他には、どんなのがあるか覚えてますか!?」
私が焦ってそう聞くと、シュウ兄ちゃんが、振り返った。
少し目を丸くして、驚いている。
「やっぱり、リョウもその夢見るのか……?」
え? その言い方だと、まるで……。
「シュウ兄ちゃん……そういう夢を見たり、記憶を持ってる人って、他にもいるんですか?」
私以外にも、そういう人は、思ったよりもたくさんいる?
確かに私は前世の世界の記憶を引き継いで生まれてきた。だから、他にもそういう人がいるかもしれないと思ったことはある。魔法の呪文が短歌だった時点で、ある程度“そういう人”がいることは予測していた。けれど、でもそれは極稀なことなのだと勝手に思っていた。
今まで出会った人にしても、そんな話聞いたことなかったし。
私が、どぎまぎして聞いたその質問に、シュウ兄ちゃんは頷いた。
さっきまで、言いにくそうにしていたけど、私も夢を見てると思ったシュウ兄ちゃんは、ハキハキとした様子に変わった。
「よくわかんねえけど、マル兄ちゃんも、サブロウ兄ちゃんも見たことあるって言ってた。他に見たことあるっていう奴の話は聞かない。村の奴らも、親もハジメ兄ちゃんも、全然知らない感じだった。ジロウ兄ちゃんには確かめたことないけど……夢を見るようになったのは、ジロウ兄ちゃんがいなくなったあとだったし……」
別に大したことなさそうに、そう言うと、お腹がすいたのか、袋からりんごを取り出して、かぶりついた。
自然体だ。今話してる内容についても、不思議なこともあるよなぁぐらいな感じで、気軽な雰囲気だ。
……シュウ兄ちゃん、なんでそんなに普通にできるんだ。私びっくりしすぎて腰くだけそうなんですけど。
前世の記憶、というには、彼の話しぶりから察すると、曖昧なもののようだけれど。それでも、前世の世界を知っている人が、いる?
「……あの世界に帰りたいって思ったりしないんですか?」
ふと、そんな疑問が沸いてきた。私は帰りたいなんて、思ったことがないけれど、でも、正直、あの世界に帰る方法を全く考えなかったといえば、嘘になる。
正直、どう考えても、この世界よりあっちは便利ではあった。帰りたいとは思わないけど。けど、大切な人がそっちの世界にいたとしたら、帰りたいものなんじゃないだろうか。
「帰りたい? 変な言い方だな。帰りたいと思える程の思い入れはねぇよ、夢なんだから」
シュウ兄ちゃんはあっけらかんと答えた。
シュウ兄ちゃんが言っている夢が前世の世界のことだとしたら、私の時と、感覚が大きく違う。
シュウ兄ちゃんの場合は、本当に、たまに夢で不思議な世界を見てるだけのような感覚みたいだ。
私は生まれた瞬間からすでに記憶を持っていたし……前世の記憶に思いっきり引きずられていた。
何で違うんだろう。それに、そもそもどうして私たち兄妹だけ? まあ、ハジメ兄ちゃんは知らないみたいだけど。
さっき会ったジロウ兄ちゃんの顔を思い出した。ジロウ兄ちゃんは、どうだったのだろう。今のところハジメ兄ちゃん以外の兄が夢を見ているのだから、ジロウ兄ちゃんも夢を見ていてもおかしくない。
「ちなみに、短歌ってわかりますか? 何か知ってる短歌ってありますか?」
「タンカ? なんだっけ……」
「古典の授業で習う昔の歌ですよ。和歌です」
「コテン? なんだそれ」
もともと曖昧な記憶っぽかったから、あまり期待はしてなかったけれど、やっぱり覚えてないか。新しい呪文をゲットするチャンスかと思ったけれど。
そもそも、私が勝手に、シュウ兄ちゃんがみた夢のことを前世の世界だと思い込もうとしてるだけで、そうじゃないのかもしれないし。
でも、同じような夢を何度も見るというのは、すごく特別な気がする。
どうして、私たち兄弟にだけ、そういう夢を見たり、記憶を持ってる人がかたまっていたのだろう。
改めて、考えて仮説を建てようかと考えていた時に、この話題になった最初のきっかけを思い出した。
そういえば、もともとこの前世の世界の話になったのは、ジロウ兄ちゃんの左半分の顔が、夢で見たことあるとシュウ兄ちゃんが言っていたからだ。
「さっき、シュウ兄ちゃんがいっていた。あのジロウ兄ちゃんの姿をした魔物の左半分が夢で見たことあるって、その夢の世界にいた人ってことですか?」
そう言いながら、改めてあの時のジロウ兄ちゃんの左半分の顔を想像する。
すごく青白くて、目が虹色のビー玉みたいに透き通ってるような、不思議な色だった。どう考えても、日本には、というか地球ではなかなかお目にかかれない感じの容姿だったと思う。
「んー、よくわかんねぇ。なんか夢の中で見たことあるけど、はっきりと思い出せない。ただなんとなく、見たことあるような気がしただけだ」
「そう、ですか……」
「あと、言っておくが、あんまりこのことをよく知らない奴には、言わないほうがいいぞ。俺はそれでなんか、気味悪がられたり、嘘つき呼ばわりされて、嫌な思いをした!」
そう言って、苛立たしげに、シャクシャクりんごをかじるシュウ兄ちゃん。どうやら、このことを話したことによって、嫌な思いをしてきたらしい兄からの忠告のようだ。
最初、私に話す時もちょっと緊張していたように見えたのは、その経験があったからか。私にも心当たりがあると分かってから、りんごとか食べ始めてリラックスしだしたもんね。
安心してお兄様。私は誰かに話したら、そうなるだろうなと思って、言ってませんし、言う予定もありませんよ。
私は兄の忠告を受けて「言うつもりないから安心して」と答えると、満足そうに頷いた。
ふと、ジロウ兄ちゃんの姿を思い出した。顔半分が別の人のようになってるあの魔物の姿を。
もしかしたら、あれは、魔物ではなくて、本当に、ジロウ兄ちゃんだったのかもしれないという気がしてきた。
シュウ兄ちゃんは、あの左半分の青白い顔を見たことがあると言っていたけれど、言われてみれば、私も、なんとなくあれを知っているような気がする。
もやもやする。
でも今更引き返して、あの場所に戻っても、もうジロウ兄ちゃんはいない、と思う。あの時、私が崖の上に登ろうとした時ですら、もうその姿がなかったのだから。
それに、また運良くジロウ兄ちゃんの姿をした何かに出会えたとして、何を聞けばいいのか分からない。シュウ兄ちゃんの夢が前世の世界のことだとして、その夢に出てきたかもしれないということは前世の世界とつながりのある何かなのかもしれない。だからって、前世の世界のことを今更聞いて、どうなる。
魔法のことは気になるけれど……今は、伯爵邸に戻ることを優先したほうがいい。
私はもう、この世界で生きると決めているのだから。