帰省の旅編⑩ 結界の向こう側にいるのは魔物
田んぼの水を引いている川についた。結構横幅の広い川だけど、見た感じ真新しい川に見える。おそらく、田んぼへ水を引くために、もともと流れていた山の川を魔法の力で枝分かれさせて、村の近くまで川を引いてきたのだろう。
この川は、人工的に枝分かれさせた川。結界の能力が残ってるのかどうかはわからない。残ってはいそうだけど……。もう少し山際にいって、結界が施されている本流の川の状態を確認したい。
その要望を改めてみんなに伝えて、まずは、本流の川へ向かうパーティーを編成。
本流の川は山の中にあるので、馬車は途中までしか連れて行けない。
魔物が出るかもしれないのに、山に入るのは危険なんじゃ? という意見もあったけれど、ルビーフォルン領に入ってから魔物の気配がなかったことや、私が魔物は出ないと思うと伝えて、みんなの了解をもらった。
馬車には、シュウ兄ちゃんとアズールさんでお留守番の予定だったけど、シュウ兄ちゃんが、馬車飽きたし、歩きたいとか言い出したので、コウお母さんとアズールさん2人きりのお留守番になった。騎乗できないシュウ兄ちゃんは今日まで常に馬車の上の人だったので、気持ちはわからなくもない。
ということで、私と護衛のカイン様と何故かシュウ兄ちゃんというパーティーメンバーで、山に突入した。
馬車で山際までくれば、本流の川まではそんなに遠くない。
道という道ではなくて、獣道のような感じなので足元だけ気をつけて前に進む。
先頭を行くカイン様が、さりげなく進みやすいように、邪魔な木や植物を切り落としながら、進んでくれていた。さすがフォロリストである。
「気をつけて、ここ少し崖みたいになってる。足を踏み外さないようにね」
さすがのカイン様が、危険な場所を見つけては警告してくれるので、その点も安心だ。
しばらく歩いて、それなりに大きな川に行き当たった。
地図を確認する。大雑把な地図だけど、おそらくこの川が結界の役割を果たす川で間違いはなさそうだ。
今は雨が降っていないので、川は穏やかに流れている。
川の縁を見てみると、川の水位がかなり高いところまできていた様子が見て取れる。泥などの跡が残っていた。
でも、向こう岸の川の輪郭は崩れていない、キレイなままだ。洪水になるまでいっていない。
魔物を封じる川の結界は、対岸の境界線に由来していると聞いたことがある。しめ縄のようなものを張り巡らす結界は、そのしめ縄が切れたり崩れたりしていると、結界にほころびが出るように、川の場合は対岸の岸が崩れると結界にほころびが出るのだとか。
川の近くに行けば魔物が見えたりといった影響を受けるかもしれないけれど、実際に魔物に襲われるのは向こう岸にこちらから渡った時だ。山賊の時、初めて魔物に襲われた時もそうだった。
対岸の地形が崩れていないので、結界は無事だ。
川の水が田んぼに流れたことで、田んぼがダム、調整池のような役割を担ってくれたんだ。しかも、新しく枝分かれするような大きい河川まで作っているので、余計に水の流れが分散したことだろうと思う。
魔法使いたちの豪快な工事の仕方に感謝しかわかない。
運がいい。すごく運がいい。
でも、畑の田んぼ化計画を始めたのはこの前の長期休みの時。
まだ川の整備、というか田んぼを作っていない地域があるかもしれない。
それにここは無事だっただけで、田んぼを作ったけれど、川が増水してしまって結界がダメになったところもあるかもしれない。
悪い可能性は考えればきりがないし、全部うまくいくと考えて行動しないほうがいいだろうけれど……でも、すくなくとも田んぼにした地域に魔物の被害がない可能性が大きくなった。それがわかっただけでも、安心できる。
川を遡るようにして、様子を見るために歩いていく。
川に沿って歩いていたけれども、川の堀が深くなって、ちょっと見下ろすような形になってきた。どんどん崖っぽくなってきてる。ここまで堀が深かったら、洪水で氾濫しようもないし、このあたりの結界は問題ないと判断してよさそう。
「止まって。どうやら、ここで行き止まりだ」
そう言って、先頭を行くカイン様が振り返る。
カイン様が、気をつけてと言いながら、少し先を歩くと、7mほどの急傾斜に行き当たった。これうっかり気づかず進んだら、めっちゃ危ない。そのままころころ転がって落ちちゃうところだ。
痛い妄想をして、改めて下をみると、崖のような急傾斜の下には、森が広がっている。そこにはしめ縄のようなものが見えた。縄は丁度川とクロスするような形で、続いていっている。
「ちょうどこのあたりで、結界が神縄に切り替わってるようだね」
カイン様も崖下の様子をみてそうおっしゃった。
神縄。一年生の時の法力流しでみた結界方法だ。しめ縄のようなものを囲って、魔物を閉じ込める。
縄の様子をみると、何かに押し流されてるような様子もいないし、特にほころんでいるところは見当たらない。
よし、ここまで問題なさそうなら、ここは大丈夫と見てよさそうだ。
そう思って、馬車に戻ろうとしたところだった。
シュウ兄ちゃんが、「あッ」と声を出した。
シュウ兄ちゃんの方をみると、崖下の神縄が設置されてる方向を見て、驚いている。
そして、「あれ、ジロウ兄ちゃんじゃないか?」とこぼした。
えっ! と思って、慌ててシュウ兄ちゃんが見ているところをみると、確かに、崖下、神縄の向こう側にジロウ兄ちゃんのような人影が見える。
ジロウ兄ちゃんのようなというのは、ジロウ兄ちゃんかどうかがはっきりわからないからだ。
だって、私が小さい頃見ていた彼よりもずいぶんと大人っぽくなってるし、何より、なぜか顔の左半分が、ジロウ兄ちゃんとは違う顔に見える。
まるで、顔につけていたマスクが、左半分だけ破れてしまったような、そんな感じで……。
隣のシュウ兄ちゃんが、ジロウ兄ちゃんの方に、崖の方へと進んでいく。土を踏みしめる音が聞こえる。
シュウ兄ちゃんのその様子をみて、ハッとした。
「シュウ兄ちゃん! いっちゃダメ! 多分あれは魔物!」
私は昔、魔物が私の母の姿に見えるように変化して誘われて襲われたことを思い出した。
一瞬、私もジロウ兄ちゃんかもしれないと思ったけれど、多分あれは魔物だ。だって、あれは神縄の向こう側に立ってるんだから!
「で、でも、リョウ、あれ、ジロウ兄ちゃんだろ? それに顔が……」
そう言って、シュウ兄ちゃんが前に進もうとするので、無理やり引っ張って自分よりも後ろに下がらせた。
けれども、その時の勢いで、踏みしめた足がぬかるんでいる地面に捕らわれて、バランスを崩す。
カイン様が、「リョウ!」と言いながら手を差し伸べてくれるのが、スローに見えた。
ダメだ、間に合わない。
滑り落ちる。
落ちるって分かって、極力怪我をしないように体を丸めて、急傾斜を滑っていく。
下まで落ちると、目を開いた。特に大きな怪我はなさそう、だと思う。
おもむろに顔をあげて、少し先の神縄が目に入り、そして心配そうな顔をしているジロウ兄ちゃんが見えた。
山賊だった時に、母だと思って、川を越えたあとに魔物に襲われた恐怖を思い出す。
私は、立ち上がって早く逃げようと思って足に力を入れようとしたけれど、鈍い痛みが足に走る。
どうやらさっき滑った時に、足をひねったらしい。さすがに無傷とまではいかなかったか。
「懐かしい気配がしたからきてみたら……相変わらずみたいで安心した」
ジロウ兄ちゃんの姿をした魔物らしきものは、穏やかな声でそう言った。
この魔物、しゃべるの? それとも、そう聞こえるだけ?
「リョウ! 大丈夫か!?」
戸惑う私の上からカイン様の声が聞こえた。上を見ると、心配そうな顔の二人が見える。
ジロウ兄ちゃんの姿をした魔物の行動に少しびっくりしたけれど、魔物のやることだ。気にしないほうがいい。どちらにしろ、あいつらは神縄、結界からは出れないんだ。
そう自分に言い聞かせて、大丈夫ですということがわかるように両手を挙げて振る。
「今、縄を木にくくりつけて、私も降りる!」
カイン様のそういう力強い言葉が聞こえて、ハッとなって、私も声を出す。
「大丈夫です! 怪我はないので、ひとりで登れると思います。あ、でも、縄だけ垂らしてくれると嬉しいです」
そして、私は、こっそりと治癒の呪文を唱えて、足をひねったところや、切り傷などを癒す。やはり治すときピリピリと痛いけれども、我慢だ。
そして、治癒魔法で完治した私は起き上がって、魔物を気にしつつ、距離を取るように傾斜のほうに寄る。
仕事の早いカイン様が、さっそく縄を落としてくれた。あとは、登るだけだ。そう思って、縄を握った時に、「生物魔法なんて……久しぶりに見たな」という声が、ジロウ兄ちゃんの姿をした魔物から聞こえてきた、気がした。
振り返って確かめようとしたら、もうそこにジロウ兄ちゃんの姿をした魔物はいなくなっていた。