魔物襲来編⑪ はじめての称号
ゲスリーから不穏な空気を感じて、息をとめる。
もし、あの口が動いて、呪文を唱えようとした時は……。
嫌な沈黙に包まれる。
どのくらいの時間そうやっていたのかわからないけれど、しばらくしたらゲスリーの顔が突然和らいだ。そして「初めてだよ」と言って、また胡散臭い微笑みを顔に貼り付ける。
不穏な空気が薄れていく感覚がして、私はゆっくり息を吐く。慌てちゃいけないと思った。ここで目をそらしたら、なんかヤバイような気もした。
そしてまた彼は口を開いた。
「君を消したほうがいいという考えと、君を消したら楽しみがなくなるという二つの考えが私の中にある。どうしたものか。私は、今までどちらか決め兼ねたり、悩んだりしたことがなかったんだが……私を悩ませることができたのは君が初めてだ」
彼の胡散臭い笑みと一緒に、最高にいらない初めての称号をいただいた。
私は頭の中で、頂いた初めての称号をぐしゃぐしゃに丸めて、思いっきりゴミ箱に叩き込む妄想をしてなんとか平常心を取り戻す。
だめよ、取り乱してはだめ。
「ああ、そんな怖い顔をしないでよ。可愛い顔が台無しだ。いや、まあ、怯えさせてしまったのは私のせいか。大丈夫、何もしないよ」
そう言って、ハンズアップして、何もする気がないよっていう動作をするけれども、油断はできない。
だって、彼はゲスリーだ。
「あんなことを言っておいて、何もしないなんて、信じられませんけど」
「大丈夫、とりあえず今は何もしない。君は、私の可愛い家畜たちにとってはただの害獣かもしれないが、同時に私にとって何か刺激的なことを起こしてくれる可能性を持つとても楽しい家畜でもある。まだ自由に動いている気になっている君を私はまだ見てみたい」
そういって彼は、いつもよりも、自然にゲスに見える優しげな微笑みを顔に貼り付ける。
不穏な空気もなくなって、彼はまたゆっくりと紅茶を飲んで、くつろぎはじめた。なんだかさっきまでと別人みたいだ。
いきなり訪れた緊張はなくなった。これ以上、彼を刺激してはいけない気がする。
ただ、いくつか言いたいことはある。
別に私のこと見なくていいんだけど!
ほっといてほしいんだけど!
しかしここでギャーギャー行って、また不穏な空気になったら大変。
このまま穏便な空気のままそそくさとここから脱出しよう!
私は、カップに入っていた紅茶を飲み干した。
「私、もう失礼しますね」
「もっとゆっくりしていればいいのに。紅茶ならまた新しいのを入れさせるよ。君との会話はなかなか悪くない」
あらやだ。また価値観の違いが。
私は、ゲスリーさんと話してると、モノすっごく気分悪くなるんですよ!
「いいえ、私、王都の状況も知りたいですし、皆さんまだ魔物の片付け等で忙しいはず。私だけゆっくりできません」
そう言って、有無を言わさず扉に向かって歩き出す。
ゲスリーが変な魔法さえ使わなければ、大丈夫。
私はドキドキしながら、急ぎ足で扉に手を掛ける。
「そう、それなら、無理には止めないが……今日は結構楽しかったよ」
ゆっくり紅茶を飲んでそうおっしゃるゲスリーの言葉を背にして、部屋から退出した。
扉をゆっくりと閉めて、ゲスリー部屋から開放されたことに安心して、思わず体の力が抜けた。
よかった。無事に生還した……!
私は自分の生還を喜び、そしておもむろにカバンから油入れを取り出す。
そして静かに扉の前の廊下に油を垂らすと布でこすって、廊下を磨く。
ワックスをかけたような廊下はその部分だけ、ものすごく光っている。
頼んだぞ、廊下。
あのゲスリー野郎を、盛大にすっ転ばせて。「ゲスンッ!」って言わせる大役は君に任せた。
部屋から出たとたん滑って転ぶゲスリーを想像してなんとか気分を安らげてから、みんながいるはずのところへと駆け出した。
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みんなはまだ校庭にいた。大量の魔物の片付けに追われているらしい。
私はまずコウお母さんを探した。学園まで来てくれたから、きっとどこかにいるはず……。
まさか、王都に戻ってないよね? 城の人からの話によれば、魔の森の結界の修復も終わって、王都の魔物も討伐済みだから、もう外に出ても安全のはずだけど、まさか置いていったりしてないよね!?
私が必死の形相で探していると、大好きなくすんだ赤髪を見つけた。コウお母さんだ!
思わず駆け出して、後ろから抱きつくと、上から、「あら、リョウちゃん、もう戻ってきたのね?」と大好きな声が降りてきた。
「はい!」と言いながら、顔を上げると、私の大好きなコウお母さんだ!
よかった! やっぱり無事でいてくれた! 幻じゃない!
私が、喜んでいると、横から視線を感じてそっちに顔を向けると、アランとカイン様がコウお母さんにコアラのようにしがみつく私を見ていた。
あ、やだ、ところかまわずコウお母さんに甘えてしまった。人目があるのを忘れてた! 恥ずかしい。
私は、コホンと咳払いをして、居住まいを整える。
「リョウも王都に降りるか? 一応校長からはもう許可もらったんだけど」
そう言って、恥じ入る私の前にアランが、許可証のようなものをぶら下げて現れた。
王都か……。
「……ちなみに、ほかの領地の情報って入ってますか?」
「いや、まだだ。今、光の精霊魔法が使える奴らで情報を集めてる」
そっか……。ルビーフォルン、大丈夫かな。
とりあえず、確認できないものはしょうがない。今は、王都の様子を確認しよう。
コウお母さんが無事なのはわかったけど、私が経営している酒場の様子も気になるし、ジョシュアさんとかメリスさんとか、従業員の様子も気になる。
「王都に降りて、様子を見てみたいです。コウお母さんは?」
「アタシもリョウちゃんについていくわよ」
コウお母さんは当然でしょっていう笑顔で応えてくれた。
コウお母さんが一緒なら、どこでも行ける!
「では、降ります! ……結構王都に降りてる人多いんですか?」
そう言って、少し周りの様子を見る。生徒の人数が減っている気がした。
「リョウ以外にも家族が王都に住んでる生徒多いからな。もう魔物は王都にもいないから、安全だって言って、他の生徒も結構降りるみたいだ」
「ただし、お城の護衛と同伴じゃないといけないけどね」
アランの説明をへーと聞いていたら、カイン様の爽やかボイスが降りてきた。
思わず仰ぎ見ると、いつでも爽やか貴公子カイン様のご尊顔が!
お城の護衛の人と一緒じゃないと王都に降りれないってことは、カイン様が一緒に来てくれるってこと? 嬉しい!
「カイン様! 一緒に来てくれるんですか?」
「私でよければだけど」
「ぜひお願いします! それに、ありがとうございました! お城からの援軍で、さっきはどうにか切り抜けられました」
「まあ、ほとんど、ヘンリー様のお力だったけれどね」
そんなことないっす。ゲスリーさんよりもカイン様が来られた時の安心感はハンパなかったです!
「それに、コウお母さんも連れて来てくれて、本当にありがとうございます! 一般の人を連れてきたりすることもできるんですね。規則とかがあって、そういう自由な行動は取れないものかと思いました」
「いや、本来はダメなんだけど。周りの騎士達は、そんなに気にしないから大丈夫なんだよ」
え? 気にしない?
私が不思議そうな顔をして首を捻ると、コウお母さんが教えてくれた。
「城に勤めてる騎士って、結構腐ってるのよ。お金さえ払えば黙ってもらえるわ。あ、もちろんカイン君は別よ。アタシの気持ちを汲んで連れてきてくれたの」
その言葉を聞いて、カイン様が、ちょっと恥ずかしそうに笑いながら、言葉を続けた。
「いや、うん。王国の騎士については、ちょっと恥ずかしい話なんだけどね。やる気がないというか。私も配属されて知ったんだけど、驚いた。多分、城にはすごい魔法使い様が多いから、なんでも頼ってしまう癖が付いてる気がする」
そうなんだ……。
そういえばと、改めて周りを見てみると、魔物討伐のお片づけに精を出しているのは、ほとんど学園勢だ。
騎士風の格好をしている人は、みんな、おしゃべりしたり、休憩してる。
「ま、そのおかげで、アタシもここまでこれたんだけど。あん、でも、カイン君はあんなふうに腐っちゃダメよー」
そう言いながら、オネエウィンクを繰り出したコウお母さんに、「カイン兄様が腐る訳無いだろ! すごいんだからな!」とアランが、ここぞとばかりに兄の素晴らしさを語りだした。
コウお母さんとアランが話してる横で、カイン様が私のすぐ隣にきて、ポツリとつぶやいた。
「でも、もしかしたら、リョウに会ってなかったら、私も腐っていたかも……」
「え? 私、ですか?」
カイン様は、穏やかな顔で頷きながら私のことを見下ろす。
「ヘンリー様の魔法を見ただろう? 正直あれを間近でみると、自分ができることなんて何もないんじゃって思ってしまう。それでやる気をなくしてしまう気持ちはすごくよくわかるんだ。でも、リョウが教えてくれたんだよ。魔法が使えなくても、できることがあるっていうことをね。そしてリョウからそのことを教わったのは私だけじゃないようだ」
そう言って、カイン様はいつもの優しいスマイルを学園の後片付けに精を出している生徒達に向けていた。
さっきゲスリーの胡散臭い笑顔ばかりみてたから、カイン様の優しい笑顔が余計に癒される。
それに、もうやばいと思った時に、颯爽と現れたカイン様は本当にかっこよかった。
さすがフォロリスト。フォローに入るタイミングが神業レベル。
私が思わず、手を組んで、カイン様のエンジェルスマイルを堪能していると、ぬっとアランが間に入ってきた。
「そういえばシャルロットが、両親が王都に暮らしてるからって、もう先に外にでたぞ」
あ、そうなんだ。シャルちゃんは先に王都に。そういえばご家族が王都にいるって前に言ってた。
「リョウを待とうかどうか悩んでたけど……リョウはヘンリー様とゆっくり過ごしてもらいたいからっていって、降りていった……」
シャルちゃん、そんな無駄な気を回さなくて全然いいのに……。
こちとら全然ゆっくり過ごす気ないのよ。
「そうでしたか。カテリーナさんやサロメさん、それにリッツ君も?」
「カテリーナ達は、魔物の片付けやるって言ってた、リッツはシャルロットについていった」
へー。なるほど。やだ、リッツ君たらさりげなくシャルロットちゃんと一緒にいくだなんて、やっぱりアレなのかしら。二人はそういうアレなのかしら!
それよりもなんか、どことなく、アランの機嫌が悪い気がする。
さっきから声の調子が怒ってる感出てる。
私が、気難しい子分を黙って見ていると、アランが、ふんとそっぽを向いて口を開いた。
「それより、リョウは、ヘンリー殿下と、一体なんの話をしてたんだよ!」
あ、やめて思い出させないで! 家畜とか、牧場とか……そういう話だよ!
「大した話はしてませんでした。えっと、学園のことを少々」
私が、言葉を濁して、ゲスリーとのひと時を伝えると、アランは、渋い顔をした。
「けど、周りの奴らが……」
「? 周りの奴らが……?」
言いにくそうにしているアランに向かって先を促すようにそう言うと、彼は大きく息を吸い込んだ。
「周りの奴らが、ヘンリー殿下がリョウが15歳になったら娶るんじゃないかっていってたぞ!」
はああああ!?
ちょ、誰よ、そんなこというやつ! 誰よ!
余りにも衝撃的過ぎて、思わず呆然としていると、アランが不安そうな顔で口を開いた。
「ど、どうなんだよ!?」
いや、どうもこうも……!
「何言ってるんですか!? それだけはぜっっっっっったい、ありえませんから!」
次そんな変なこと言ったら、怒るよ!? と子分を脅すと、なぜか子分は嬉しそうな顔をして、「じゃあ早く王都に降りるぞ!」と話題を変えてきた。
切り替えのはやい子分め。
私は、余りにも体に悪い想像をしたことで、まだ心臓がドクドクしてるっていうのに!
私は安心感を求めてコウお母さんの腕をホールドして、王都へ降りるために歩き出した。
もう、甘えん坊さんの烙印を押されても構わない!