魔物襲来編⑩ 華麗なるヘンリー
ちょっと前には絶望していたのに、援軍のおかげで、こちらからのほとんど一方的な攻撃で、空を覆うほどに見えた魔物の群れが落ちた。
どうやら学園の最大の危機というのは、回避できたみたい。
魔物のいない澄み渡った空を眺めて、学園勢は肩を抱き合って喜び合った。
その間に、急激に盛り上がった大地が縮んでいく。
その盛り上がった大地の上には、ほとんどの魔物を魔法で撃ち落とした人が居る。
誰もが、一体私たちを救ってくれた英雄が誰なのかと固唾を飲んで、そこから降りてくる者を見つめた。
私も見つめる。でも、援軍の騎士たちが膝をついて頭を垂れる様子をみて、多分あの人なのだろうな、と思った。
そう思いながらも救世主を確かめるべく目を凝らす。
そして、救世主は、みんなの畏怖、羨望を集めながら大地に降り立った。
私とは違う色素の薄い金髪が、風を受けて綺麗になびいている。長髪なので、風になびくと日に反射してキラキラと光ってみえた。
学園の女性陣が、見惚れるようにため息を吐いた声が響く。
彼は、いつもの胡散臭いスマイルでもって、私たちの前に現れた。
「ヘンリー様!」
誰かがそう言ったのを皮切りに、歓声が学園中に溢れた。
ヘンリーサマーヘンリーサマーという大喝采の中、平然としたような様子で、こちら側にゆったり歩いてくる。
「あんな高いところにいったのはじめてだ。多少は調節したつもりだったが、耳がツンとしたよ」
そう言いながら、羽織っていたマントを外すと近くにいた騎士に渡した。
まだ歓声なりやまぬ状態だったけれども、学園代表である校長と教頭がゲス……ヘンリー様の前にきて膝を折る。
学園にいた頃は、先生と生徒という間柄だけれども、今のヘンリー様は、王族で魔法使い様というただの偉すぎる人だ。
他の生徒達も、ハッと気づいたような顔をして膝を折った。
私も膝を折る。なんといっても、彼は命の恩人に違いない。
それに、やっぱり笑顔は胡散臭いけれども、カイン様の優しさに触れて、改心した可能性だって十分ある。
「遅くなったね。王都の魔物退治を行っていてね、片付いたかなと思ったところで、王から学園に向かうよう突然言われたんだ。急いできたつもりだったけど、少しばかり距離があったから遅れてしまった」
「いえ、ヘンリー様のおかげで、大きな被害を受けずに済みました。感謝しかございません」
そういう校長先生を眺めてから、ヘンリーさんは校舎の様子や学園の様を見渡した。
魔物の攻撃で多少崩れたところはあるし、壊れた壁もあるけれども、魔法のお力をもってすれば直ぐに回復するようなレベルだ。
「思ったより、被害が少ないね。それに、私の見間違いじゃなければ、魔物の戦闘に参加しているのは、教師や魔法使いの生徒たちだけじゃなく、一般の生徒もいるようだ」
その言葉には少し責める色が見えた。魔法が使えないものに剣を取らせるのはどうだろうか、という雰囲気。
「学園の危機に、上級生の生徒たちが自発的に立ち上がってくれたのです。おかげで、大きな被害なくこの悪夢のような3日間を凌ぐことができました」
顔を下げたまま、校長がそう言うと、ヘンリーはすこし不快そうに眉を上げた。
「まだ騎士科の生徒達が戦うのはわかる。彼らはゆくゆくはそういう役目を背負う、からね。ただ……」
そう言ってヘンリーの視線が、補給部隊やマッチ部隊、医療部隊に目を向けた。
その部隊はおもに商業科や治療科の生徒達が担ってくれている。
「戦えない者を囲いから出すのは、どうかと思うな」
顔は笑っているけれど、ヘンリーさんが少し怒っていることがなんとなく伝わってきた。
「恐れながら、殿下。彼らの協力なくしては、私たちはここまで魔物の勢力に対抗できなかった。我らだけではどうにもできなかった事態だったのです」
七三のトーマス教頭が、頭を垂れながら、はっきりとそう物申した。
ヘンリーさんは胡散臭い微笑みのまま目を鋭くして、七三教頭を見据える。
なんだかいたたまれない沈黙の中、マッチ部隊の生徒の一人が、顔を上げた。そして、「恐れながら……!」と声を張り上げる。
あそこに割って入るとは、すごい勇気である。
「ヘンリー様が私たちを思ってくれるお心遣い、大変嬉しく思います! 確かに私達は魔法が使えません。でも、それでも、学園のために何かしたかったのです! そして、弱い私達でも学園を守ることが、魔法使い様と一緒に戦うことができたと思っております!」
補給部隊のリーダー的存在だった、商業科の5年生で、そうハキハキと答えた。ドッジボールの活動にも精力的に参加してくる活発な男子生徒だ。
それに答えて、他の生徒たちも笑顔で大きくうなづく。
お優しいヘンリー殿下がぼくたちのことを心配してくれるけど、大丈夫ですのでご安心ください! とでも言いたそうないい笑顔である。
一瞬、ヘンリーさんの胡散臭い笑顔が消えた。
けれどもそれはほんの一瞬で、すぐにそんなことなかったかのようにまた胡散臭い笑みを顔に貼り付ける。
そして、顔をゆっくりと左右に動かして見渡した。誰かを探しているみたいに。
私は、なんだか嫌な予感がして、手前にいた先生の背中に隠れた。
どうにか、どうにか何事もなく……!
そしてしばらくすると、ヘンリー様がこう言った。
「へー。なるほど。すごいね。この学園の生徒は私がいない間に、随分と勇ましくなったみたいだ。……誰かに影響でもされたのかな?」
その言葉のあと、なぜかたくさんの生徒からの視線を自分に感じた。
やめて。ちょっと待って、みんな私を見ないで!
「影響をされたとしたら……恥ずかしながら、私よりも年下の生徒なのです。名前を約束さ……いえ、失礼しました。名前はリョウという生徒です」
さっきの物申していた5年生の生徒が、そんなことを言ってきた。
やめて、ちょっとやめて!
しかも一瞬間違って、私の中二病チックなあだ名の方呼ぼうとしたでしょ!?
恐る恐る隠した頭を上げてヘンリーさんの方を見ると、彼は恐ろしいほど綺麗な顔で笑って私を見ていた。
見つけた、と言わんばかりだ。
「そうか。なるほど。私も学園にいた頃から彼女とは親しくしていた。久しぶりに少し話がしたいな」
彼はそう切り出して、どうぞ、どうぞどうぞみたいな周りのノリに後押しされる形で、その後、ヘンリー様と私のドキドキ対談が決行されることに決まった。
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他の先生や生徒達や城の人たちが倒れた魔物の処分で忙しそうにしている傍ら、私と学園の救世主ヘンリーと二人で、校舎の中の比較的綺麗な部屋に入って、お茶なんかを用意された。
しかも何の気を利かせたのか、お茶出しをしてくれたお城の騎士風の人が、ごゆっくりと言わんばかりの様子で、部屋から退出したので私とヘンリー氏と二人きりである。
一体何なんだ。
そう思って、じとっと救世主ヘンリーを観察する。
彼は、優雅にお茶を飲んで、くつろぎ始めた。
わざわざ私を呼び出して、何がしたいんだと、見守ること数分。
ゆったりお茶を飲むぐらいで、ヘンリー氏からの反応はなし。
とうとうしびれを切らして私から声をかけた。
「ヘンリー様、たしか何か、私と話したいことがあったんですよね?」
私がそう言うと、あ、君いたんだっけ、とでも言いたそうな顔をした。
うわー、殴りたい。
「あー、そういえば、忘れていた。久しぶりだね、ひよこちゃん」
そう言って、胡散臭い微笑みを向けてくる。なんか悪い予感がする。話しかけなきゃよかった。
だめだめ、胡散臭い微笑みとか悪い予感だなんて、思ってはダメよ、リョウ。
なんといっても彼は学園を救ってくれたんだから。
私、彼がしばらく会わないうちに、好青年に生まれ変わって、今はものすごくいい人に成長したんだっていう奇跡に期待してるんだから!
「……お久しぶりです。ヘンリー様。思い出してくれたようでなによりです。ところで、わざわざ部屋を用意して、私と話したいことってなんですか?」
私もヘンリー氏の笑顔に答えて、爽やかな笑みを貼り付けて言葉を返した。
「え? 話したいこと? 特に何もないよ。ただ、周りが騒がしくて不快だったから抜け出したかっただけさ」
あーそうでしたか、へー!
お静かなところを好まれるということで、へー!
「でしたら、私はもう用済みですね。ここで失礼します」
「まあ、待って。そんなに慌てないでよ。君と話すのもしばらくぶりだ。何か話すのも悪くないね」
いや、結構です。私、もう完全に嫌な予感しかしないんで。
命の恩人だし、このまま、好青年になってきているのでは、ゲスっぽさが軽減してきているのではって、思ったままでいたいんで。
「何の話をしようか。そうだなー。そういえば……私がいない間に、学園の家畜達に余計なことをしてくれたみたいだね」
やだ、怖い。主に顔が怖い。よ、余計なことなんかやってないよ!
あと、『学園の家畜達』じゃなくって、普通に生徒達って言って。
もうなんというか、発言ではっきりとわかるおゲスぶり。
やっぱりおゲスなんですね。
ゲスリー、ゲスラー、ゲスレスト。むしろ、成長したヘンリーはゲスレストぐらいまでレベルアップしてるのかもしれない。
学園の大恩人なんだから、きっと悪い人じゃないはず! って一生懸命信じようとしていた私の清らかな心を返して!
私は思わず大きなため息をついた。
いや、本当に彼からゲスさがなくなったかもなんて思ったわけじゃないけど。
でも、素敵オーラ漂うカイン様に当てられて、素敵貴公子になってる可能性だってあるかなって……!
「ヘンリー様は相変わらずですね」
「君もね」
そう言って、優雅にお茶を飲むゲスリーの憎らしいこと。
「だいたい余計なことって、何がです? あと家畜ってなんです? 私の記憶では、学園内に牧場はなかったと思いますけど」
なんか敬意を払うのも面倒になって、机に肘をついて、手に顎を載せて、そっぽを向いて問いかけた。
思わずため息もでる。
「何を言っているんだ。学園全体が牧場みたいなものだろう? なのに、ほら、さっきの家畜たちの目。見ただろ? かわいそうに完全に家畜であることを忘れている」
いや、家畜じゃないからね。人間だからね。
「家畜じゃなくて、生徒達って言ってくださいね。生徒みんなで、学園のために力を合わせて戦う。素晴らしいじゃないですか」
私が当然、共感を得られるであろう問いかけをすると、ゲスリーは『ワッツ?』とでも言いたそうに目を大きく見開いて、驚きを表現した。
落ち着いて、ゲスリーさん。私はそんな突拍子もないこと言ってないよ。
「本気でいっているのかい? だとしたら、君とは価値観がずれてるようだ」
まごうことなくずれてるよ! 私はとっくに知ってたよ!
ご存知なかったゲスリー様に驚きを隠せないよ、私!
「価値観のズレは、前からです」
「そうだったかな。まあ、君も家畜だからね、しょうがないか。でも、私も私で家畜に気持ちを理解してもらえると思っていたのが不思議だ。君のそういうところが、他の家畜たちをダメにしてしまうのだろうか」
「ダメにしてませんけどね!」
「だって、かわいそうじゃないか。人という家畜はね、他の豚や牛とかの家畜と違ってものすごく繊細なんだよ。家畜なのに、魔法使いである私たちと同じ立場にもなれると思い始めたら、後で傷つくのは家畜達。それなら最初から家畜である運命を受け止めていたほうが、ショックを受けずに済むだろう?」
私ってやさしいだろう? って今にも言いそうな笑顔でそんなことをのたまうゲスリー氏を見て、ゲンナリする。
帰りたい。
「まあ、そのショックを受けた時の家畜の反応を見るのも面白そうだけど……君はそれが見たくてやってるのかい?」
「違います!」
私が力強く否定をすると、ふーんと言って、感情を何ものせていないような目で私を見た。
少し悪寒がはしる。
「やっぱり君は害獣なのかもね。他の家畜たちのことを思うなら、君は消したほうがいいのかもしれない」
空気が少し、変わった気がした。
さっきまで貼り付けていた胡散臭い笑顔がゲスリーになくなる。
私は唾をゴクリと飲み込むと、スカートの下に隠している、クワマルさんの神殺しの剣を無意識に確認していた。









