呪文の謎編⑨ サロメ嬢の武術大会
寮の部屋で、ベッドに寝そべりながら、呪文集を開いた。
せっかく綺麗に作ったのに、呪文一つでこの私特製の呪文本が崩れ去ってしまうかもしれないのは嫌だな。
紙か……植物とかの繊維を編みこむんだっけ? 羊皮紙とかのほうが簡単かな?
まあ、ゆくゆく考えよう。それよりもまずは、呪文だ! 私まだ結局なにも呪文の効果を引き出せてない。
今日も毎日の日課になりつつある呪文詠唱タイムを始めよう。私が唱えるとじんわり温かくなる系の呪文をまとめたページをにらみつける。
毎日、呪文を唱えては、「発動せよ!」だったり、「いっけー!」だったりのを言ってみたり、時には逆立ちしながら呪文を唱えたりと、色々工夫をしてはいるんだけど……なかなか魔法は発動しない。体の回りが光ってるように見えて、じんわり温かくなるぐらいだ。
今日は一体どうしてやろうか。呪文め!
目を瞑って唱えたり、耳をふさいで唱えたり、鼻をつまんで唱えたり、手足を縛って唱えたりとか、五感を封じる系は昨日やりきった。
逆にすごくリラックスした状態で唱えてみようかな。こうやって寝そべりながら……。
「ユフサレバ カドタノイナバ オトヅレテ アシノマロヤニ アキカゼゾフク」
おお! じんわり温かくなってまいりました!
そしていつもどおり十数秒して、体を覆う光が消えました。特に今のところ現状に変化なしです。はいつぎ!
「オトニキク タカシノハマノ アダナミハ カケジヤソデノ ヌレモコソスレ」
はい、こちらもじんわり温かくなってまいりました。
そしてやっぱり十数秒で体を覆う光が消えました……。変化なし、はい次。
「チギリオキシ サセモガツユヲ イノチニテ アハレコトシノ アキモイヌメリ」
はいはい、また同じですね、じんわり温かくなってきて……。
ん? あれ? なんでだろ? いつもと違う。体の回りが光って見えるのも一緒だし、じんわり温かくなるのも一緒だけど……。
なんか右手の人差し指の先にだけ、妙にその光が集まってる、気がする……?
私は、おもむろに自分の指先を見つめる。光が集まってるところには……。
「あ、私が今日紙で指を切っちゃったところだ」
そう、つぶやいた瞬間だった。
「痛っ!」
いきなりその指先にピリッとやけどみたいな、痛みが一瞬だけ走った。
な、なんだなんだ?
私は、そのまま指先を眺めると……あれ?
「さっきまで、人差し指にあった切り傷が、消えて、る?」
右手を左手で触ってみる。確かここらへんにあったはず。でももう傷跡もないし、触っても、痛く、ない。
もしかして、これが……魔法?
そういえば、この世界は、剣と魔法のファンタジー世界みたいな感じなのに、治癒魔法みたいなものがなかった。治癒魔法のようなものがない代わりに、コウお母さんみたいに、薬の知識が豊富な「治療師」が活躍している。
学校でも「治療科」なんてものもあるぐらい、学問的にも洗練されている。
魔法に頼りきりなこの国では、前世の世界に比べて色々な文明が遅れているように感じる。薬学・治療学という学問が、この国のほかの学問と比べて進んでるのは、治療魔術というものがなかったからだ。
けど、治療魔術は存在する。
今まで、魔法が使えない、と思っていた私達は、「治療魔術使い」?
もし、もしそうだとしたら……。
すごく、すごく便利な力じゃないか! 治療魔術なんて、すごいよ!
あ、でもまだ、浮かれるのは早いかな? あんな小さな傷だったし……うん。
少しだけ、実験、してみよう。
・・・・・・・
実験の結果、
「チギリオキシ サセモガツユヲ イノチニテ アハレコトシノ アキモイヌメリ」は、傷を治す呪文であることが判明いたしました。
手持ちのナイフで、自分の腕をちょっとだけ傷つけて、呪文を唱える。するとやっぱり傷が瞬時に癒えた。どんどん傷を深くしても、あの呪文を唱えると瞬時に、癒えた!
すごい、この呪文、やっぱり治癒魔法なんだ。
ただ難点は、この呪文で治療するとき、ピリって一瞬すごく痛い思いを味わう。なんか一瞬電気が走るような感じ。治療魔術と言うからには、こう、柔らかな光で温かな感じで、傷の治療をしてもらいたいんだけど……。
試しに、傷を作った状態で、他の呪文を唱えてみたけれども反応はなかった。
多分他の呪文には他の魔法が発動するんだと思われる。どんな便利魔法が隠れているのか分からないけれど、すっごくわくわくする。
多分、治癒魔法的な似たような魔法なんじゃないかなー。
この魔法で自分だけじゃなくて、他の人の傷も治せたりするのかな……?
それとも他人の傷を治すのは、違う呪文?
好奇心が! 好奇心がやばい!
こうなったら、申し訳ないけど、学園内の林エリアに生息する蛇とか捕まえて実験させてもらおうかな。捕まえるのが面倒なら、生きたカエルならお肉屋さんで売ってるし。
ただ、少し気になるのは……どうして国は、わざわざこんな便利呪文を隠すのだろう?
すごく、便利で、有益そうな魔法なのに……。有益だからこそ? それとも、知らないだけなのかな……。
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今日はカテリーナ様とシャルちゃんとで、サロメさんの剣術大会の応援にきた。
騎士科の4年生にもなると、期末考査的な感じで、剣術大会が行なわれるらしい。
騎士科といえばほとんど男子しかいないんだけど、そこにサロメ嬢は所属しており、しかもなんと結構お強いらしく、その剣術大会でベスト8にのぼりつめている。私達は、準決勝進出を掛けた試合の応援にカテリーナ嬢に引っ張られながらやってきた次第である。
「ほら、リョウさん、御覧なさい! サロメが来たわよ! ねえ、ほら!」
そう言ってカテリーナ嬢が私の服の裾をぐいぐい引っ張ってくる。
う、うん、分かってるから、私も見てるから、そんなに引っ張んないで、若干首絞めてるから、ね、落ち着いて。
小さなドーム状の建物の中心に、選手達が入場し、観覧者がその周りを囲む感じ。イタリアのローマにあるコロッセウムみたい。
サロメ嬢が、涼しい顔をしながら登場すると、すでにファンがいるようで「サロメちゃーん!」と野太い男の声があちこちから響いてきた。
「まあ、何かしら、あの汚らしい声は! 気安く名前なんか呼んで! もう! ……あ! サロメったら、声をかけてきたいやらしい顔した男どもに手なんか振ってるわ! もう! そんなことしなくていいのに!」
「ちょ! カテリーナ様、私の服を掴みながら、立ち上がって地団駄を踏むのやめてください! スカートめくれちゃいます! ていうか、破れます!」
私はそういいながら、カテリーナ嬢に掴まれていた服を引っ張って取り返し、格好を整える。
しわになっちゃう。
「あ、あら、ごめんなさい、リョウさん。掴みやすいところにあったものだからつい」
もう、気をつけてよね! まあ、イベントごとで熱くなる気持ちは分かるけども。
そんなことを思いながら、スカートのしわを伸ばしていると、隣に座っていたシャルちゃんが立ち上がった。
「あっ! カテリーナ様見てください! サロメ様がこちらを向いて手を振ってくれてますよ!」
シャルロットちゃんがそう声を掛けると、カテリーナ嬢は、ぶんっと音が鳴るかと思うぐらい首動かして闘技場に視線をもどした。
「あら! ほんとだわ! サロメが私を見てる! こんなに離れていても分かるのね! リョウさん、シャルロットさん、勘違いしてはだめよ! サロメはね、私に手を振ったの!」
大丈夫、勘違いなんかしてないから、落ち着いて。あとそういいながら、私の肩を掴まないで! 思いのほかに肩を掴む力が強いよ!
そうこうしていると、相手の選手も入場してきた。背の高い男子だ。結構筋肉ついておる。13歳ぐらいにしてはいい体つきなのでは?
相手の持つ武器は、一般的な両刃の剣。サロメ嬢は、長くて細身の剣だった。装備はお互い軽装だ。
試合が始まると、さすがベスト8に残る猛者たちって感じでお互い、隙なく構えている。
特にサロメさんは、こう洗練された動きと言うか、しなやかな感じで、それでいて芯がしっかりしてるような感じで……やだ、サロメさんかっこいい!
隣のカテリーナ嬢を見てみると、祈るように両手を組みながらうっとりとした目をしている。
サロメさんはすばやく動いて、相手を翻弄していくスタイルの騎士らしい。対する相手は、パワータイプというか、あまり動かず、相手の攻撃の隙を突いて切り込んでいくスタイルに見えた。
結構接戦だ。
それにしても……騎士科の人達って……傷とか、痣だらけ。
サロメさんはあんまりないように見えるけれど、でもよくみれば白い肌に少しばかりやっぱり切り傷みたいな跡がある。対戦相手の人も痣とか、傷とか鎧の隙間から見え隠れ……。そうよね、毎日練習して打ち身とかね、あるんだもんね……。
傷、か。……いいなー。
使いたい。試してみたい。治癒魔法。だってあんなに、傷だらけ。
ああ、駄目駄目、人体実験したさが思わず出てしまった。心なしか呪文みたいなリズムでつぶやいてしまった。
で、でも、人体実験とかいったって、すでに傷ついてるわけだし……このまま拉致監禁して、目隠しとか耳栓とかして、何されたか分からないようにすれば……!
いや、だめよ、リョウ! それはだめ。マッドサイエンティストみたいな考えはやめよう。
でも、正直、呪文の研究があれ以来、行き詰ってる。
ほかの呪文の効果はまだ発見できていないし。
それに、最近発見した治療魔術自体も、今のところ自分の体しか、治療できない。
他人の体、と言ってもカエルなんだけど、傷をつけて呪文を唱えても癒えなかった。どの呪文を唱えても駄目だった。
もしかしたら、他人を治す魔法自体がない、という可能性もある。
もし、そうなら……他人の傷の治療ができないのだとしたら、国が隠す理由もなんとなく分からなくもない。だって、つまり、魔術師や精霊使いは治療魔法の呪文を唱えられないのだから、自分達の傷は治せない。それに比べて、傷が治せる私達は不死身に近い存在になるはず。
万が一、戦争みたいな感じで対立したとして、そうなると魔法使い側は結構不利? 武器を魔法で制御するのと同じように、治療魔術を隠しているっていうことなのかな……。
いや、でも、まだ、他の人の体を魔法で癒すことができないと決まったわけじゃないからなんとも言えないけれど。
さっきの話は、あくまでも、治療魔術が術者本人しか癒せない場合の話。
だって、他の人の体も治療できるってなったら、それは魔法使いにとっても重宝される魔法になるはずだ。
うーん、魔法の原理とかはまだよく分からないけれど、自分の体が魔法で癒せるんなら他人の体だって癒せるはずだと思うんだけどな。
カエルで実験してるから、うまくいかないのかな。
やっぱり、出来れば人体実験を……。
傷だらけの騎士科の人達を見ると涎が出そう……。
人体実験、ほんとは、ちょっと、したい。でも、それは流石に、危険すぎる、もんね。私が変な呪文を口走ってるってばれちゃいけないから、どうしても、目隠しとか耳栓とか、こう、情報を遮断しなくちゃいけない。そうすると、拉致監禁的な感じで攫う必要がある。
うーん。
私がちょっとばかし悩んでいると、サロメ嬢の試合の雰囲気が変わった。
さっきまでずっとある一定の距離を保って、切り合いを行なっていたお二人だけれども、サロメさんが、対戦相手とちょっと距離を置く。そして構えを解いて、すっごくリラックスした感じで、肩の力を抜いた。
相手もいきなり様子が変わったサロメ嬢を警戒していると、サロメ嬢は、おもむろにブラウスのボタンを上から3個ぐらい外した。
もう、すっごく動いちゃってぇ、アッツーイ、見たいな感じで、なんか微笑みながらボタンを解くサロメ嬢。13歳の癖に既に大きめな彼女の胸の谷間がこう見えそうで、見えなさそうで……会場中が固唾をのんで見守っていると、スッて、本当に音もなく忍び込むような感じで、サロメ嬢がちょっと頬を赤く染めた無垢な対戦相手にすばやく近寄って、剣を喉もとに突き立てた。
「あ……ま、参りました」
対戦相手が、喉もとに当てられている剣と彼女の胸元をチラチラ見ながらそう言って、勝負は決した。
サロメ嬢の勝利だ。サロメズハニートラップに、会場中の人々が引っかかっていた。
す、すごいよ! サロメさん! 使えるものはなんでも使うその感じ、私、嫌いじゃないよ!
しかし、私の隣にいるとあるご令嬢は不服だったらしく「もう! サロメったら! あんなことして! ダメよ! 駄目なんだからっていつも言ってるのに!」と地団駄を踏んでいた。