◇ Story7:believe in you ◇
ぴよ、ぴよぴよ、ぴよ。
気持ちよいほどに真っ直ぐと窓から入ってくる陽の光と、耳に入ってくる鳥の囀り。
ごろん、とベッドの上で寝返りを打つ。
もう一度、ごろん。またまた、ごろん。
そうしているうちに、時計の短針は八を指してしまった。
(……今日は学院、休も……)
ごろん、ごろん。布団を抱えて、未だ寝起きでしょぼしょぼする目を擦る。
そうして二分ほどじっとしていると、
コン、コン
不意に、丁寧ではっきりとしたノックの音。
けれど私は扉の前まで起き上がり歩いていくのが面倒くさくて、寝転がったまま「はーい」と返事をした。
すると、躊躇いなく扉を開くノックの主。
―――まあ、それは当然ヴィオラだったわけだけど。
「セレナーデ、登院時間ですよ。……どうしました」
「……ごめん、今日は学院休みたい」
「そうですか」
機械のようにこくりと頷きそのまま部屋を出ていくかと思いきや、ヴィオラはベッドの側まで寄ってきた。
そして私の額に片手を置き、
「熱は……ないようですね」
と呟いた。
それは夢に描いていたお母様の姿そのもので、少しだけじわりと来てしまった。
潤んだ私の瞳に気付いたヴィオラは、首を傾げて私の顔を覗き込もうとしたが、私はそれを拒んで布団に身を隠した。
布団の向こう側で、ヴィオラの溜息が聞こえた。……呆れてる、のかな。
暫くすると、ぱたりと扉をこれまた丁寧に閉じる音がした。ヴィオラが出て行ったのだろう。
今は一人でいたい気分なので、それはとても好都合だった。
しかし―――。
「セレナーデ」
「えっ」
急な呼びかけに、閉じかけた目をカッと開いた。
この声はヴィオラだ。さっき出て行ったんじゃなかったのか?
慌てて布団を剥いで扉付近を見てみると、先程まできっちり着ていたグリュック学院の制服ではなく、シャツに脚のラインがはっきり分かるパンツといった服装のヴィオラが仁王立ちしていた。
「あ、れ?制服……学院は?」
「休みます」
「え?なんで……」
「久しぶりに学院の外に出ようと思いまして」
「そ、そうなんだ。いってらっしゃい」
「何を言ってるんですか。あなたも連れて行きますよ」
「うぇ!?」
驚きで変な声が出てしまった。
ヴィオラは眼鏡のブリッジをくいと押し上げ、普段見せない様な笑顔で言った。
「今日一日付き合ってもらいます。さあ、着替えてください」
■ □ ■ □ ■ □
「ね、ねえ……ジョープさん達にはこのこと、言ったの?」
「当たり前です。こうなることは想定済みでしたので」
「えっ」
私達は今、学院の外のヘリスト街というところを歩いている。学院の門から歩いて十分ほどのところだ。
はっきり言って学院の外はあまり出たことはなかったため、久しぶりの外に少しばかり気分が高揚している。
適当なワンピースを無理矢理着させられてここに立っているが、変じゃないだろうか。
自分も性別上女性なので、一応そこら辺は気にする。
隣を見てみると、いつも結っている三つ編みを解き濃い紫色のシャツを着たヴィオラが正面を向いて歩いている。
小物のバッグもとても似合っていて、委員長で決して規則を破らない彼女でもこんな格好をするのだな、と思った。
彼女の片手では、ここらで有名のパン屋さんで買った昼食と、買い物袋が互いにぶつかり合っている。
「買い物も済ませましたし、そこの公園にでも寄りますか」
「えっ?う、うん。そうだね、そうしよ」
言えば、ヴィオラは公園がある方向に体を向け歩き始めた。
店の多いこの街は、沢山の人でごった返している。
若い女性が好むアクセサリーやお洒落な服の店、理容院から雑貨屋八百屋、更には楽器専門店まで。
逸れないようにヴィオラが腕を掴んでいてくれたけど、それがなかったら今頃迷子になっていただろう。
私のせいで肩や腕が擦れ違う人達とぶつかるたび顔を顰めるヴィオラに、悪いな、と思う。
頑張ってついて行くから放してくれてもいいのに、そう思った矢先。
急にヴィオラが足を止めた。いきなりのことに対応できず、彼女の肩甲骨部分に鼻がぶつかってしまう。
いてて、とぶつけた鼻を押さえて呻いていると、小さな呟きが聞こえた。
沢山の人々が話している中この小さな声が、はっきりと。
「……兄さん」
ヴィオラが眺めている方向に視線を向けてみれば、買い物帰りなのだろうか。片手に紙袋を持ったシャロンさんがこっちに歩いてきた。
そして私達に気付くなり、周りの人々を掻き分けて駆け寄ってくる。
「ヴィオラ、セレナーデちゃん!こんなところで何をしているんだい?」
「兄さんこそ、こんなところで何をしているんですか」
「俺は、担任に買い物を言い渡されてさ。買出しに行っていたところさ」
「……そう、ですか」
もしもシャロンさんがサボり目的でヘリスト街をぶらついていたのなら注意をするつもりだったのだろう。
正式な目的を聞いたところで、ヴィオラは何を言える立場でもなく一度咳払いをして明後日の方向を向いてしまった。
それをシャロンさんが不思議そうに見て、次は私の方に向いた。
「それで、君達は?」
「あの、あの、わ」
「セレナーデの元気がなかったので、連れ出したんです」
慌てて口を開けばヴィオラがそれを遮った。
ああ~、わざわざそんなことを言わなくても……!
あちゃーと思いながらシャロンさんを見てみれば、予想通り心配そうな表情で私を見ていた。
「何かあったの?大丈夫?」
「あ、はい!……大丈夫、です」
多分……と続ければ、シャロンさんは更に顔を顰めた。最後のは余計だったかなぁ。
ヘリスト街は昼に差し掛かってから、更に人が増えた。きっと、昼食目的で来た人が多いからだろう。
今は春と夏の中間の季節。まだ長袖でもいいだろうが、あと一ヶ月したら半袖に切り替える頃だ。
上空では私の心情とは裏腹に、太陽が笑顔を振りまいている。
日差しで斜め上を向くだけでも眩しい。そろそろ日陰に入りたいところだ。
「兄さん、私達……そろそろ」
「ああ、そうだったね。……ヴィオラ」
シャロンさんが私を連れて立ち去ろうとするヴィオラを呼び止め、何か耳打ちをする。
彼ら二人から少し離れたこの距離では聞き取れなかったが、ヴィオラの落ち着いた表情が微妙に変化したのが分かった。
……気になる。
「……はい。では、これで」
「うん。じゃあ」
ヴィオラが戻ってくる。シャロンさんは、学院に帰るようだ。
何を話していたのか非常に気になったが、特に追求することなくそのまま公園に向かった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「ここがカサロ公園です。あそこのベンチに座りませんか?疲れているんでしょう」
「え、なんで……」
「見ていれば分かります」
静かに答えたヴィオラは木陰のベンチに先に座った。
少し戸惑いながら隣に座ると、彼女は持っていた紙袋から昼食のサンドを取り出す。
二つのうち一つを私に渡して、サンド自身を覆う包み紙を少しだけ捲る。
そして齧り付いたヴィオラの、それまでの一連の動作をまじまじと見ていた私。
我に返って自分もサンドを包み紙から出して齧り付く。
中からマスタードが溢れ出す。一瞬のうちに口の周りが黄色になってしまった私に、ヴィオラが苦笑しながらナプキンを渡してくれる。
「……外で誰かと食事をするなど、考えたこともありませんでした。私が外に出るときはいつも一人でしたし」
「私も。これまで外に出たことなんて……一、二回くらいしかなかったし……」
私はサンドに齧り付く。
「父さんも母さんも学院や生徒のことばかりで私のことは二の次でした。別にそれは当たり前だと思っていましたし、何も言うことはないのですが……」
ヴィオラは自嘲するように口角を引き上げた。
「私もまだ子供ですから。少しだけ……本当に少しだけですけど、たまには甘えたいと思ってしまうんです」
―――我慢しなくてはいけないのだと、分かってはいるけれど。
少しだけ寂しそうに言ったヴィオラ。
いつも周りを気にかけていて、親に甘えることもなくしっかりした子だと思っていた。
……でも、ヴィオラも人の子だった。やっぱり子供で、私と同じように親が恋しかったんだ。
ヴィオラが咀嚼するのを止める。
ぎゅっと戦慄く下唇を噛み締め、俯いている。
頬には、一筋の涙。後から後から止め処なく溢れて―――。
ヴィオラの精一杯の感情の塊は彼女の膝の上にぽとりぽとりと落ちて、洋服にシミを残す。
ヴィオラは泣いていた。決して声は漏らさずに、目を固く閉じて。
『お嬢様、』
ふと、頭の片隅でジュリナの声が再生された。ラジオのように少し掠れた、曖昧で不安定な音。
たった数年だけれど、それはとても懐かしく感じた。
『泣いてはいけません。我慢なさってください―――お嬢様。』
反響する。ローレルさんが亡くなった時とは違う悲しさが、私をどうしようもなく掻き立てる。
泣いてはいけない。泣いてはいけない。悲しみで涙を流してはいけない。
そう約束した。……ジュリナと。
でも、無理だ。静かに涙を流すヴィオラを見て、自分まで感化されてしまったようだ。
コップから溢れた水が戻らぬように、心という器から溢れた感情を抑え付ける事は出来ない。
『泣…ては―――』
ジュリナの声はどんどん小さくなって、聴こえなくなった。
今にも目縁から涙が零れそうで、滲んで霞む視界を鮮明に戻そうと瞼を下ろした時だった。
「あれ?センパイ方、何してるんですか~?」
明るい声。いっそわざとのようにも聞こえるその無邪気な声は、目の前でぴたりと止まった。
「セ、シル」
零れると思っていた涙は彼女の急な問いかけにより引っ込み、既に治まっていた。
きょとんと首を傾げたセシルはヴィオラを見て、眉尻を下げた。
ヴィオラはと言えば、彼女もセシルの登場に涙は引っ込んだようで、真顔になっていた。
「姉様!その手に持ってるの、『ベーカリー【プロトス】』の『ゴージャスソーセージサンド』じゃないですか!」
「え、えっ」
「しかも数量限定の!ちょ、ちょっと一口頂いてもいいですか!」
「あ、うん。食べかけだけど、どうぞ」
顔の前で『お願いします!』と拝むように手を合わせるセシルにゴー……なんちゃらサンドを手渡す。
目を輝かせて噛り付き咀嚼するセシルに、ヴィオラが冷ややかな視線を投げつける。
「ありがとうございました~、美味しかったです!」
セシルがサンドを私に返したところで、ヴィオラがベンチから腰を浮かせた。
少し歩いた先で立ち止まり、振り返る。
「何をしているんです。帰りますよ、セレナーデ」
「ん!?あ、うん。……セシル、またね」
「……はい。またです、姉様~!」
ひらひらと手を振ってくれるセシルにこちらも振り替えし、カサロ公園から出る。
ヴィオラのマリンブルーの瞳が、夕方に差し掛かった頃の少し赤みの帯びた陽光に晒され煌いた。
食べかけのサンドを包み紙に戻し、紙袋に入れる。ヴィオラは何時の間にか食べ終わっていたようだ。
■ □ ■ □ ■ □
へリスト街を通り、無言のままグリュック学院の敷地内に足を踏み入れた時、ヴィオラが立ち止まった。
「私はクラスに行って残りの時間、授業を受けてきます。あなたは寮に戻ってください」
こくりと頷くと、彼女は買い物袋に手を突っ込みがさがさと中を探った後、何かを取り出す。
それは、真っ黒な石と緑色の石が交互に連ねられたブレスレット。
そのブレスレットを半強制的に右手首に通される。
「これはオニキスとエメラルドのブレスレットです。高価なものなので、大事にしてくださいね」
「!?こ、こんな高い物、貰えないよ!」
「いいえ、私があなたにあげたものですから。肌身離さずつけていてください」
―――結局、私が所持することになってしまった。もし壊してしまったり失くしてしまったら、面目立たない。
「セレナーデ、一つだけ覚えていてください」
「?」
ヴィオラはいつもより真剣な、固い表情をしている。
「セシル・レットアンダー。あれには、気をつけてください。……あれは、少し厄介です」
「え?セシル?……どこが厄介なの?」
「今の私にはうまく説明できません。なので、セシル・レットアンダーを警戒することを念頭に置いてくれれば結構です」
「んー……?あんまりよく解らないけど、分かったよ」
納得したように頷いたヴィオラは、私に背を向けて学院の玄関へと歩いていく。勿論制服ではない。大丈夫なんだろうか。
右手を見れば、自然と黒と緑の石が目に入る。それを視界から消して寮に向かった。
今日はヴィオラのおかげでいい気分転換になった。きっと明日から普通に学院に行けるだろう。
腕を上げて背筋を伸ばしながら、今授業中であろうラゼッタ達を思い浮かべて、くすりと笑った。
「―――私ができることはもうありません。あとはあなた自身です、セレナーデ」
息抜き回。




