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閑話:グリシャ・べレスフォードの場合

ボクはべレスフォード家の次男だった。


長男である兄は家のことなど微塵も考えずに遊び歩き、家の皆が兄よりもボクに期待を寄せるようになった。

父も母もメイドも執事もボクに期待の眼差しを向けるようになり、たまに家に帰れば厳しく接される兄は、さぞかし肩身が狭かったことだろう。

けど、そんなこと知ったことじゃなかった。

ボクのことなんて少しも考えずに勉学だの次期当主だの跡取りだのと煩わしさに四方を囲まれたボクに比べれば、外で女とくっちゃべって遊び歩いている兄なんて自由そのもので。家に縛られた自分とまるで正反対の兄のことが大嫌いだった。

家庭教師のべレスフォード家は三百年前から続く血統の云々、なんてどうでもいい話を適当に相槌を打って聞きながら、考えるのはいつも外のこと。

自室の窓から見える外では、両手で数え切れないほどの子供が鬼ごっこだかくれんぼだと騒いでいる。

それをどこか空虚な心でじっと見詰めながら、もしボクがあんな風に走り回ることができたら……そんなことばかり頭の中でイメージしていた。



父に連れられスラム街を歩いていたボクは、父が商人と話している間に父の傍を離れた。

偶然会った貧民の服装を纏った女の子に、そのとき外のこともスラムがなんなのかも何も知らなかった自分はべレスフォード家の次男なのだと打ち明けてみた。

するとその女の子はボクを見て、こう言ったのだ。


「お金持ちはいいよねぇ、幸せそうでさぁ。わたし達はこんなに大変なのにねぇ~」


羨みと嫌悪の目を向けながらそう言ってみせた女の子に、瞬間、ボクの目の前は真っ赤になった。

ぎり、と奥歯を強く噛み締める。それはそうだ。彼女の言うとおりだ。

彼女のような貧民から見れば、『お金持ちの貴族』という立場にいるボクは、それはそれは羨ましい事だろう。

しかし、ボクはそれを紳士の気持ちで聞くことは出来なかった。

隙間を見つければ這い出そうとしてくる憤りを、下唇を噛むことで必死に堪えた。

女の子は痩せ細った母なのであろう人物の掛け声にのんびりと答え去っていった。

隠し切れない嫌悪の感情を湛えた瞳が、脳裏に焼きついて消えない。心臓がずきりと痛んだ。

それでも、それでもボクは家族と力を合わせ身を寄せ合って過ごす彼女を、いつでも外を好きに出られる彼女を羨んだ。

そんな、十の夏。


■ □ ■ □ ■ □


そのあと父は明らかに三十を優に越えているだろう女性との縁談を持ち掛けてきた。

あまりにもしつこく縁談をと騒ぐので、ボクは渋々頷いた。

予定の日にべレスフォードの屋敷に訪れた胸元が大きく開いたドレスを纏った女性。

早速客間でテーブルを挿んで談話を始める。父は言うこと言ったらそそくさと退出してしまったので二人きりだ。

けばい化粧で胸を強調しながら話す女性に、ボクは次第に嫌悪感を抱き始めた。

厚く塗った真っ赤な唇も、派手な紫の瞼も、胸を開けっ広げた目に痛い色のドレスも、どれも気持ち悪く見えてしまう。

彼女が、ボクに気に入られるように気合を入れ時間をかけて準備したのだろう。

でもボクは受け入れられなかった。当り障りなく話を進めていたが、本当は今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。

気持ち悪い。吐き気がする。香水の臭いが部屋中に充満していて鼻につく。ボクの異変に気付いた女性は心配そうに声を掛けてきた。


何をどう繕ったって、結局欲しいのは『ボク』ではなく『権力』や『金』なんだろう?


一度そう考えてしまうと、もう止まらない。

彼女がもしそう思っていなくても、ボクの中での印象は最悪だった。

耐えられなくなって、勢いよく席を立ち客間から逃げ出した。後ろから女性の焦ったような声が聞こえる。

いつものように掃除やらなんやらをしていたメイドは、目を見開き驚きの表情で口々に「旦那様、坊ちゃまが!」と叫ぶ。


結局執事に捕まってしまったボクは、父の部屋に行って弁解をしなくてはいけなくなってしまった。

父は屋敷の玄関先で縁談の相手に謝罪をした後、部屋に戻りボクを叱咤した。

こうなることは分かっていたのだ。しかし、どうしても下品に見えてしまって敵わない。それに歳が離れすぎている。

ボクが必死の形相で説得すると父は困ったように唸ったが、「次はもっと若いお嬢さんを探す」と仕方なくといった様子で首を縦に振った。


そして父が言ったとおり若い―――それでもボクより年上だったが、貴族の姫を見つけてきた。

うら若い年頃の娘であれば恥じらいというものがあり、厚い化粧や胸元が大きく開いたドレスなんて着てはこないだろう。

ボクは油断していたんだ。

結論から言うと、結果は同じだった。

今回は清楚系でいかにも初物なお嬢様、と安心しきっていたのだ。

しかし客間で二人きりになると態度は一変、傲慢で我が儘なお嬢サマになってしまった。

正直、失望した。ああ、女は皆こういうものなのかと。しかしただ単純に女運が悪かっただけだと思うことにした。

結婚の話は断り、また父に怒られてしまう。と危惧したが、予想とは違って父は怒りはしなかった。

ただ、諦めたように溜息を吐いただけ。父は言った。「次に断ったら、お前はもういい」と。

父は落胆しているのだ、ボクに。あれほど鬱陶しいと思っていた期待が向けられなくなることが、今更怖くなった。

兄のようにほったらかしにされるのだけは嫌だった。ボクはまだ、この立ち位置にいたかった。

咄嗟に頷いた。変り身が早いと、自分でも思う。そうしてでもボクは兄になりたくなかったのだ。

好機は一度だけ。次が駄目だったらもう後はない。捨てられるだけだ。

覚悟を決めた。次の女性がどんなに下品でも腹黒くても傲慢でも我が儘でも、必ず結婚しなくてはならないのだから。


悟りを開いたような気持ちでその日を迎えた。

父は玄関で靴を履いて待っていた。しかし扉を開いても見えたのは縁談の相手ではなく馬車。

訝しげに父を見上げたが、父は何も言わず自分だけさっさと馬車に乗り込んでしまった。

仕方なくボクも乗ると、馭者が馬を走らせる。特に何も言うことなく流れ行く景色を眺めてると、不意に馬車が止まった。

父がまたもやさっさと降りてしまったのでボクもその後をついていった。


目の整った石畳の上に降り立ちまず最初に目に入ったのは、大きいお屋敷。

べレスフォードと同じくらいの敷地であったが、やはり他人の家は何処となく大きく綺麗に見えてしまう。

父に手を引かれるまま屋敷の中にお邪魔すると、そこにはメイドや執事達と、この家の当主と思われる……なかなかの体格の金髪の男が立っていた。

男と父は挨拶をし合って暫く話をしていたが、父がボクを振り向き「アールシュトファー家のエルマ卿だ。お前も聞いたことはあるだろう?」と問い掛けた。

確かに聞いたことはあるが、本人の目の前で言うなんて失礼ではないのか。機嫌を損ねてしまって縁談は打ち切り、なんてことになったら一番困るのはボクだ。

しかしエルマ卿はニコニコと笑っていた。……よかった。機嫌を損ねたりはしなかったようだ。

それにしてもアールシュトファー家なんて、それなりの権家ではないか。ボクは謎の威圧感に押し潰されそうになった。

すっかり畏縮してしまったボクに、エルマ卿は気軽に話し掛けてくれた。背中や肩をぽんぽんと叩き、始終恐ろしいほどの笑顔で。

父はそんなボク達を見て、「さぁ、お嬢さんに会ってきなさい」と言った。

エルマ卿はうんうんと機嫌よさそうに何度も頷くと、ボクの手を握って歩き出した。

ボクは焦った。確かにエルマ卿から見ればただの小童にしか見えないだろうが、もう十一歳なのだから一人で歩ける。

そう主張したのに聞いてくれなくて、ボクは羞恥と恥辱という拷問に俯きながら屋敷の中を連れられるまま歩いた。


屋敷の端の端まで行くと、一つの小さな部屋が見えた。

エルマ卿は観音開きの扉を封じてあった閂を取り去ると、ボクを部屋の中へ招き入れた。

閂で封じられた部屋という普通ではない所為に、ボクは首を傾げたがあまり気にせず足を踏み入れる。

ひんやりとした空気が肌に触れる。赤いカーペットが引かれていた豪勢な廊下のような雰囲気ではなく、どこか重苦しい雰囲気がボクを襲った。

そこにいたのは、小柄な女の子。容姿は一見八歳ほどに見られるがしかし今回の縁談の相手は同い年だと聞いている。

そこで見たものを、信じられなかった。女の子は女の子なのだが、その右足には枷がつき鎖が壁へと伸びていた。そして首と右手にも枷がついていて、鎖で繋がっている。

病的なほどの真っ白な肌にはいくつもの裂傷が走り血が滲み出ていて、そこかしこに青や紫の痣が浮き出ていた。部屋は暗かったが、確かにはっきり見えた。

真っ黒の長い長い髪の毛を波のように散らし床に横たわって目を閉じている女の子に、ボクは見入った。

なんだ……なんだ、これは!

隣にいたエルマ卿を見ると、彼はニヤニヤと口を三日月の形に歪めていた。悪寒が背筋を走る。

こいつが―――この豚男がこの子をこんな風にしたのか!

あまりに酷い所業に怒り心頭、しかしここで怒鳴ったりなんてしたらすぐに父や誰かが駆けつけてくるだろう。

そうしたらボクは終わりだ。沸々と湧き上がる怒りを極力押さえ込む。

豚男は堪え切れないという様子でクツクツと喉を鳴らす。


「これが私の娘、ミュル。―――どうです?グリシャ殿、これは。」


これ、とまるでモノ扱いしているような―――いや、実際しているのだろう。豚男は娘を、ミュルを指差した。

ボクは動けない。身体が震える。こんな、こんな……酷い。ボクだって人間だ。情くらいはある。

目の前に転がされている少女は依然目を閉じたまま。目覚める気配はない。

確か、ミュルは……どこかの地方で、そう……『ゴミ』という意味だったはずだ。


―――こいつっ!!


激情のまま掴みかかる。もう耐え切れなかった。

高い位置の襟を釦が弾け飛ぶほど勢いよく掴んだ。

瞬間、ボクの頬に凄まじい衝撃が走った。辺りに風船が割れたような音が響き渡る。

冷たい石の床に倒れこむ。じんじんと熱を持つ頬に触れ、信じられないという目で目の前に立つ男を見上げた。

―――叩かれた、のだ。

豚男は先程までの気持ち悪いほどの笑みは消え去り、ただ暗い瞳でボクを見下げている。


「―――グリシャ殿。娘と縁を結んでくれますな……?」

「…………」


恐怖でこくこくと素直に頷く従順な犬と化したボクに、豚男は気をよくしまたあの悍ましい笑みを浮かべる。


「それと、このことは内密に。グリシャ殿も困りますでしょう?今回の話をなしにしては。」

「………ッ!」


脅されている。しかしこの男の言うとおりだった。

だから、頷くしかなかった。ボクはもうこの少女を見初めてしまっていたから。

事は円満に進んだ。ボクとミュルは許婚同士となったのだ。

そんな、十一の秋。


□ ■ □ ■ □ ■


その後ボクは中学生になると同時に『グリュック学院』へ入学した。

兎に角、もう何もかもから逃げ出したくなったボクは、寮もありエスカレーター式に高校まで入学できるというグリュック学院に逃げ込んだのだ。

そこで過ごしていくうちに、独りだったボクにも一人の大切な友人ができた。

名はフィオン・ソリナス。

常におどおどとしていて偶に鬱陶しく感じる事もあったが、どんなことも打ち明けられる仲となった。

所謂『親友』というやつだ。……柄にもないが。

心に余裕が出来始めたボクは、中学三年生になったときある情報を耳にする。


『同学年にセレナーデ・フライハイトという女子が転校してきた』


最初はどうでもよかったのだ。しかし偶然目に入ったそのセレナーデという女生徒が、ボクの心をどうしようもなくかき回した。

―――間違いない、あの女生徒は、ミュルだ!

確信した。もしかしたら間違っている可能性だってあるのに、ボクはその一瞬で彼女に惹かれたのだ。

まるで初めて見た、あのときのように。ボクは少し時間が経ってから接触してみようと決意した。

今はまだ、まだ会えない。

ボクは彼女と結婚することを望むが、そのためにはアールシュトファーに戻らなければいけない。

また豚男の毒牙にかかるのかと思うと、釈然としない。彼女には幸せでいてほしい。

幸せでいるなら、別にボクと結婚しなくてもいい。婚約を解消し何にも縛られず生きてほしい。

しかしその前に一度でもいいから彼女と見えてみたかったのだ。


ずっと前に四時間くらいで書きました。

ユリアが危惧するほどグリシャはアレな人じゃないです。

ただの雰囲気がやばめの人です。

【追記】

もう!後書き前書きにしちゃった!

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