Story6 - 2
血の滲むような努力を、無下にしてしまった。
自分だけ勝手に楽になって、兄は自分を恨んではいないだろうか。憎んでは、いないだろうか。
優しい兄のことだ。恨み憎みせずとも、やはり好くは思ってくれていないだろう。
どうしよう。思い返せばどんどん悩みは増えてくる。
兄は家にいるのだろうか、一度帰って謝罪しなければ、でも、嗚呼。
もし、拒絶されたら。自分は平静でいられるだろうか。
幼い頃よくミュルの頭を撫ぜたあの大きな手も、春の気温より暖かく、夏の気温より柔らかなあの眼差しも、微笑みも。
―――向けられなかったら。
考え過ぎだと思うだろうか?兄のことで何をそんなに、というだろうか?
それでもセレナーデにとってはこの世の終わりよりも一等大事だった。
なにしろ、酷い態度の父よりも、一目も見たことのない母よりも、付き合いは長いのだから。
生まれたときから世話になっているジュリナも確かにセレナーデにとっては大事だ。
けれど、赤の他人よりやはり血の繋がった肉親のほうが優先順位は高い。
誰よりも好意を寄せているその兄が、自分に見向きもしてくれなかったら。……考えたくもない。
セレナーデは悔しさに歯噛みした。フェイドに会いたい。しかし自分の中を巣食うこの恐怖心にどうしても勝つ事ができない。
怖い。意気地なし。
恐い。臆病者め。
あまりにも長く、しかしあまりにも短い時間。
五分は経ったか、いや、経っていないかもしれない。全ては一瞬のうちに、その声が思考を真っ白に漂白した。
「……アタシ、帰る」
精根が尽き、疲れ果てたような何処か力の入らない声が響いた。
その中には呆れのような声音も混じっていたけれど、誰もそれに気付きはしない。
ユリアは先の言葉を放つと同時に早々と下駄箱に向かい学院から出て行ってしまった。
「……オレも。なんか、疲れたし……」
「僕も……行く」
後を追うようにルタスやジルトも下駄箱に向かう。
今この場にいるのは、セレナーデとセルケイト兄妹、それとラゼッタ。
アルターレは依然セレナーデの真正面に立っている。双方黙ったままだ。
三人の足音が遠ざかって行き、ついに廊下は静寂に包まれてしまった。
気まずさに身動ぎすれば鎖骨の間で揺れるチョーカーの銀の飾りが衝突しあい、チャラチャラと音をたてた。
それが耳障りで、セレナーデは顔を顰める。
短い時間でいろいろな出来事が連続写真のように起き、皆も混乱しているのだろう。
誰も何も言わない。口を開こうともしない。
このまま永遠に静寂が続くのかと思いきや、突然の足音にこの場にいる全員が驚きで身を揺らした。
「あーっ!センパイ方、こんな時間にこんなトコロで何してるんですかーっ!?」
きゅるんきゅるんという効果音がつきそうな走り方で颯爽と現れたのはセシル・レットアンダー。
肩甲骨辺りの鮮やかな青の髪の毛をふわふわと揺らし、セレナーデの隣に当然のように並ぶ。
「キャーッ姉様お久しぶりですぅ!」
「う、うん、久しぶり」
まるで葬式のときのようだった雰囲気が、一気に結婚式のような明るい雰囲気に一変する。
目の前にいるアルターレは唐突な乱入者に口端をピクピクと引き攣らせている。しかしセレナーデはこの重苦しい空気を打破してくれたセシルに感謝していた。
ホッと息を吐くと同時に、気を張って強張っていた肩の力を抜く。
これまでにない好機。せっかくなのでセレナーデはセシルに話を振ることに決めた。
「……セシルこそ、こんな時間に学院で何してたの?」
「ええーワタシはぁ、友達がノート写したいって言うからぁ~」
「あれ?お友達は?」
「置いてきちゃいましたぁ、てへっ☆」
セシルは顔の真横でVサインをしてみせる。
笑い事ではないと思うのだが、セレナーデは薄ら笑いするだけで何も言わなかった。
すると、アルターレの後ろで沈黙していたアリエッタが突然床に落ちたノートにペンで何かを書く。
書きおわったと同時にこちらに歩み寄ってきた。
「あっ、アリエッタさんって言うんですか!よろしくです~!キャハッ☆」
アリエッタがこくりと頷く。
セレナーデの立つ位置からはノートに書かれた文字は見えなかったが、一瞬セシルの表情が翳り、苦汁を舐めたような苦い顔になる。
しかしそれはすぐに明るい太陽のような笑顔に上塗りされた。
一体全体何が書かれていたというのだろうか。セレナーデは首を傾げた。
「あ、俺はアルターレ。妹をよろしくね」
「はーい!こちらこそ、よろしくお願いしまーす☆」
年下のセシルに妹をよろしくと言うのは如何かと思ったが、アリエッタは別段気を悪くしたような様子はない。
セシルは機嫌よく鼻歌を歌っている。ふと目があい、にっこりと笑まれた。
桜色に色付いた形のいいリップクリームを塗ったような艶々の唇の口角が上げられる。
(……え、)
セレナーデはどきりとした。彼女のその瞳の輝きが、鋭利なほどに増したから。
知らず知らずのうちに拳を作っていた。何故だろうか。本人でさえも知り得ない。ゆっくり握り拳を開くと、汗がじっとりと光に反射した。
口内に溜まった唾液をごくりと嚥下する。やけに大きく鳴った様なそれは、しかし誰にも聞こえることはなかった。
静かに息を吐く。気を張りすぎているのだろう。余計なことを考えてしまう。
アルターレには悪いがここは適当にあしらって、さっさと寮に戻ってしまおう。思い立ったらすぐ行動、セレナーデは一歩踏み出した。
「アルターレさんごめんなさい、私寮に帰ります」
「あっ、」
「っ…………」
途端、セシルの方に向いていたアリエッタが勢いよくセレナーデを振り返る。
制服の裾を掴み引かれ、直ぐに寮に向かおうとしていた足はそこに踏みとどまる。
片手にノートとペンを抱えたアリエッタは真っ直ぐセレナーデを見詰めている。パクパクと口が開閉するが、声を発することなくそのまま閉じられた。
そこでふと気付いた。アリエッタは声が出せないはずだ。いつも意思を伝えるときは口を動かすことなど一切なく、まず真っ先に紙に書く。
―――もしかして、アリエッタは既に声を取り戻しているのでは?
一瞬そう考えたが、そんなはずはないと一蹴し首を振った。
もし声を取り戻していたのならば、面倒くさがりで会話に漢字を使わない彼女が、筆談より早く意思を伝えられる声を利用しないはずがない。
きっと昔の習慣が出てしまったに違いない。セレナーデはそう結論付けた。
セレナーデを呼び止めようとしたのだろう。手を伸ばしてきたアルターレに気付かないフリをし、アリエッタの手を裾から振り解きそのまま寮まで走った。
ラゼッタやセシルを置いてきてしまった。怒ってはいないだろうか。次に顔を合わせたときは謝ろう。
上履きから履き替えた靴が、自分の脚の動きに合わせて地面に叩きつけられバタバタと喧しく音を鳴らす。
兄のこと。家のこと。それからグリシャのこと、周りのこと。全部が一気にセレナーデに降りかかり、本人は押し潰されそうだった。
フェイドのことは心配だ。でも家には帰りたくない。
グリシャもセシルもアリエッタも皆、意味が分からない。
アルターレも結局自分がミュルだと分かって何を言いたかったのだ。
そればかりが、頭を占めて。
私は、どうすればいいの?
あーもう、ややこし!
グリシャ退場するの早いし、なんかぐだぐだ考えてるし
深く読み返していないので変なとこあるかも。
しかも話進んでないのにやたらと長い。
これはもう駄目かも分からんね。




