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◆ Story6:Fate to intersect ◆

セレナーデは、目を見開き真っ青になってグリシャに抱き締められていた。

あらゆるところから汗を噴き出させ、彼の為すがままに硬直している。

グリシャの制服からは洗剤の香りなのだろうか、仄かに金木犀に似た匂いが漂ってくる。

この感情をなんと、いうのだろうか。「不安」と「恐怖」と「動揺」が、ごちゃまぜになったような、なんとも形容しがたい状態。

身体は緊張で硬直し羞恥で熱くなっているのに、頭は何故か冷えていた。


グリシャ・べレスフォード。少年はそう言った。

この短い人生の中で、そんな名前は一度として聞いたことなどなかった。初耳。つまり、全く知らない人間。

グリシャには悪いがどんなに記憶を遡っても、やはり思い出すことができない。

しかし『ミュル』を知っているということは、人違いではないのだろう。ご丁寧に今の名前まで言ってくれたのだから。

問題は、その後だ。許嫁。許嫁と言った。

セレナーデは抱き竦められたまま混乱に陥った。だってそんなの知らない。約束なんてしていない。

縁談だと称して会ったこともない。少なくとも、自分はそう。グリシャと会ってはいない。

もしかして、自分の知らないうちに勝手に話が進められていたのか?その可能性も十分考えられる。

たとえ将来結婚を約束した仲だとしても自分はそんなこと知らないし、そもそももうアールシュトファーの家に戻るつもりはない。戻りたくもない。

帰れば確かに兄もジュリナもいるだろう。……けど、自分はここにいたい。

こうやって名乗り出てきたということは、無理矢理連れ帰らせられることもあるかもしれない。

それは困る。セレナーデは心の中で唸った。まさか今となってこんな事態が起ころうとは、誰が考えただろうか。


綺麗に整った絹糸のような栗色の髪の毛が、目の前でさらりと揺れる。

思考を巡らせるうちに緊張も解けいい加減放してくれないかと思い始めたセレナーデは、グリシャの胸元に触れ押し退けた。

見た目より案外力が強いらしく拘束は解けない。……なんてことはなく、グリシャを文字通り後退させた。

するといきなり強い力で後ろに引っ張られる。―――ユリアだ。

ユリアは険しい顔で未だグリシャを睨んでいた。セレナーデが転ばぬようにじりじりと少しずつ五人の方に引き寄せる。

ここに来てから一言も発していない青紫の髪の少年は、遠巻きに様子を伺っている。

拒絶されたグリシャは少しだけ悲しそうな表情をしたが、厳しい視線を送る面々を見渡すと一つ息を吐く。


「少しでも見えることができてよかった。ボクは確かにキミの許嫁だけど、キミが拒否するならそれでも構わない。……ボクはキミの幸せを一番に願っているからね。」


これ以上刺激しないための配慮なのだろうか。グリシャは「さようなら」と一声かけると、そのまま身を翻す。

始終沈黙を通していた少年もその後を追う。並んだ二人の背が角を曲がり見えなくなった。





嵐が過ぎ去り、身体の力をフッと抜く。同時にそれまで詰めていた息を一気に吐き出す。

不意に背後に誰かが立った気配がした後、肩を掴んで振り向かせられる。


「セレナちゃんが……ミュルって、本当?」


アルターレが、セレナーデの肩に手を置いたまま震えた声で何処か空虚に問うてくる。

いつも明るく常に笑顔だった彼にしては珍しく、泣きそうな……男前が台無しな表情をしている。


「…………」


セレナーデは何も言わなかった。否定も肯定もせずに、ただ黙っているだけ。

別に知られてしまったからどうとか、そういうわけではなかった。いずれ打ち明けるつもりではあったし、それは関係ない。

ただどうしても―――ミュルとして扱われるのが、嫌だった。

何度も言うが今の自分は"セレナーデ・フライハイト"だ。"ミュル・フォン・アールシュトファー"ではない。

ミュルを完全に捨てたとは言い切れないが、それでも自分はセレナーデなのだ。今この瞬間、この学院にいる限りは。

沈黙したまま、俯いてアルターレの制服の目を凝視する。俯いた拍子にびんが視界を覆い尽くす。

痺れを切らしたアルターレが、静寂を破り一つの名前を口にした。


「―――フェイド」

「っ!」


はっと息を呑む。肩に置かれた手がするりと力を失う。

それは、嘗てあの暗い部屋にいた時、自分に生きるという勇気をくれた人物の一人。自分の実兄。

セレナーデは、フェイドが今どこで何をしているのか知りたかった。記憶が正しければ、今フェイドはアルターレと同じく十九歳のはず。

フェイドは息災であろうか。そしてそれをアルターレは知っているのか。

ならば問いたい。気になって仕方なく、ちらりとアルターレを見上げる。

アルターレはその物憂げな視線を受けると、目線を頻りに右往左往させた後口を開いたが、躊躇したのかまた閉じてしまう。

アルターレはセレナーデがフェイドの名前を口にしたときの反応で既にミュルであると察知したはずだ。

―――肉親に話すことを躊躇うということは、フェイドの身に何かあったのだろうか……?

頭を過ぎったその予想を、セレナーデは慌てて打ち消した。冗談でもそんなこと、考えたくない。

あの日、自分は。窓から射す夕日の光を反射する床を見る。

あの日自分は、フェイドの帰りを待つことよりも自由を選んだ。―――でもその選択は、本当に正しかった?

長男であったためにアールシュトファーの家督を継がねばならぬ運命。本当はフェイドも、自由になりたかったはずだ。


『ねえお嬢様。フェイド様はお嬢様を自由にするために、一生懸命勉学に励んでいらっしゃるのですよ』

『フェイド様は必ずここへ出向いてくださるはず。ああ、こんなに泣き濡れて。さあ、婆のでよければ胸をお貸しいたしましょう』


ある日フェイドがいつまで経っても来てくれないとみっともなく泣き始めたミュルを、ジュリナは優しく宥めた。

その後『遅れてしまってごめん』と部屋に訪れたフェイドにミュルは抱きつくのだ。

しかしフェイドはあの時なんと言っていた?―――そう、確か。


『僕だって本当は、勉強なんて放り出してしまいたいよ……』


困ったように眉尻を下げ、疲労の表情を浮かべるフェイドに自分は何も言うことはできなかったのだ。

そしてフェイドが外出し、家に帰還する前……誕生会を開く前に、ミュルは自由となった。

脳裏に焼きついた兄の疲れきった顔。鎖に阻まれても尚自分を抱きしめ返してくれた、あの大きな腕。

フェイドはミュルのために夜遅くまで分厚い書類を捲り、くっつきそうになる瞼を抉じ開けて机に向かっているのだと、ジュリナは言った。


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