Story5 - 2
「…………」
セレナーデはユリアの意外な一面に口をぽかりと開けた。
ユリアは大声とも小声ともつかないような声で、歌っていたのだ。
年齢に比べれば少し低いくらいの声が、空気を震わせる。
セレナーデがぼーっと聞き惚れていると、ぴたりと歌声が止まった。ユリアがセレナーデの存在に気付いたのだ。
「……なんだよ」
不機嫌そうに目を細めてセレナーデを睨みつけるユリア。心なしか、顔が赤い。
隣に座ったセレナーデに、ユリアは何か文句を言おうと口を開いたが結局何も言わずに黙ってしまった。
「歌、上手だね!私、感動しちゃった……その、あの歌は誰の歌なの?」
「……誰の歌でもねーよ」
「……もしかして、自作……?」
「そーだよ!なんか文句あんのかっ!」
「ううん、凄いなーって。……うん、とっても綺麗だった」
セレナーデがふわりと微笑む。ユリアの頬は、更に赤くなった。
日陰で互いの顔はよく見えないが、その分声がはっきりと聞き取れる。
二人とも正面を向いている。セレナーデは下を、ユリアは上を。
「……アンタは、」
「ん?」
「っっ、アンタは!……なんか、ねーのかよ」
「……私? ……」
セレナーデが問えば、ユリアはこくりと頷く。
自分に何か秀でたところがあるなど、そんなこと考えたこともなかった。
字も下手。運動も特別抜きん出ているなんてこともない。勉強だって必死になっている途中だ。
全てが中途半端。セレナーデは、口籠もった。
「……いや、私にはあんまり……そういうの、ないかな」
「……あっそ」
ユリアは立てていた片脚をぺたりと地面に寝かせる。
どう話を切り出そうか悩んでいたセレナーデは、この前名前を言い忘れたことを思い出した。
「あの、あのぉ……えーと、私の名前は、セレナーデね。セレナって呼んで」
「…………セレナ」
ユリアはぽつりと彼女の名を舌の上で転がす。しかしその声は羽虫のように小さく、セレナーデに伝わることはなかった。
風が吹き、セレナーデの頭部の横に垂れた艶やかな黒髪が、ばさりと顔を覆い隠す。
光沢のあるそれは、まるで街灯にとまり鳴く烏の羽のようで、ユリアは彼女が烏に食われてしまうのではないかと錯覚した。
実際はそんなことはなく、煽られた髪の毛はすぐに定位置に戻る。
人知れず安堵の息を吐いたユリアは、ふと晒された彼女の表情が暗いものに変わっていることに気付く。
先程のセレナと呼んでほしいと言った彼女の明るい表情など露ほどもなく、ただ静かに俯く少女がそこに存在していた。
ユリアは口内に溜まった唾液を空気と共にごくりと呑み込む。目の前の少女から、目が離せない。他方に広がる景色に視線を逸らそうとするが、失敗に終わる。
若苗の瞳に浮かぶ、明らかな迷いの色。惹きつけられる。魅せられる。弧を描く整った眉は、次第に歪み下がっていった。
すっ、とセレナーデは空気を吸い込む。
「……ユリアは、大切な人を亡くしたことってある……?」
「……はっ?」
少女の唐突な問いに、ユリアは思わず素っ頓狂な声を出した。
そんな今にも泣き出しそうな表情をして何を言い出すかと思えば、なんとも反応しづらい質問だった。
ユリアは思案を巡らす。セレナーデがどのような意図を持って問うてきたのは分からないが、彼女はきっと答えを求めている。
ユリアは飴玉を舐めるときのようにじっくり考えた。そして、答えを出す。
「……アタシは、両親が死んでんだ」
「えっ……」
瞬間、セレナーデは勢いよく隣に顔を向けた。
先程まで天を向いていた顔はセレナーデと同じく下を向いており、思い出を懐かしむように吊りぎみの目を閉じていた。
時折ふと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべては、綻ばせる。しかめっ面だったユリアも両親のことを想えばこんなに優しい表情ができるのか、セレナーデはそう思った。
誰しもいつかは大切な誰かを亡くす。永遠の別れを告げる。けれど今のユリアのように、思い出や共に過ごした時間が消えることはない。
セレナーデはユリアをじっと見詰めた。思い出に耽る彼女は、その視線に気付くことはない。
「天涯孤独で、死に掛けて……けど院長がくたばりそうなアタシを拾ってくれた」
「……ジョープさんが」
「少なくともアタシはここに来て、……その……救われたと、思ってる。父さんや母さんのことだって、割り切れた」
唇を尖らせ、もごもごと喋る少女。
痙攣するように瞼が震え、それに同調して整った睫も揺れた。
薄く水分を纏った紫黒の瞳が露になり、眼下に広がる町並みを映した。
彼女はその答えを出すために、どれほど苦悩したのだろうか。どれほど涙を流したのだろうか。いや、彼女は性格上易々と涙を流すような人間ではない。
「人間はいつか死ぬ。それが少し早かっただけだ。アタシはそう思うことにした」
「……うん」
「アタシは生きてる。生きていればそのうち辛いことなんて山ほどあるんだ、その都度いちいち泣いていたら自分がもたない。」
ユリアは自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。語調は強い。
「……別に、悲しむなとは言ってないけどな。例えばアンタが大切な人とやらを亡くしたなら、うまくいえないけど…………落ち込むアンタを見るのが嫌な奴だっているだろ。だから、
元気出せってことだ。アタシ達は、生きてるんだから」
生きてる、生きてる。何度も何度も繰り返す。
そうだ。自分達は生きている。振り返ることもできる。
時が経つのは早い。
いつまでも下を向いてはいられないが、しかしなにごとも、前に進むだけではないのだ。
もし、もし……身近にいた人が失われたなら、弔ってやればいい。本人に会えなくとも思い出の中で、逢えるのだから。
全てはドロッセルの言った様に、忘れないことが肝心なのだ。




