閑話:ローレル・カザノヴァの場合
わたしの親友は、いつもわたしを大事にしてくれた。
生まれつき心臓に病気を持っていたわたしは幼い頃、医者に『二十歳まで生きられないだろう』と宣告された。
あのときの絶望感は、凄まじいものだった。
『二十歳まで、生きられない』。
もしかしたら、明日死ぬかもしれない。明日でなくても近いうちに死んでしまうかもしれない。
怖くて怖くて仕方なくて、わたしはその日から【死への恐怖】を抱え込みながら寮の自室に引き篭もった。
副院長の作る薬を飲んでも、効いているんだか効いていないんだか。
いつ死ぬかも分からないのに、友達と学院生活を楽しむことなんて出来ない。友達を悲しませたくない。
そんな思いから、心配して部屋に来てくれた友人達とはわざと突き放すような言葉を吐き関係を切った。
沢山の人間がいるなか一人で過ごすのはとても辛かったけれど痛みや苦しみに比べればなんでもない、そう自分に言い聞かせいつもと変わりなく過ごしていた。
あれは、十一歳のときだった。
ある日散歩していたわたしは、学院の裏庭で一人の少女と出会う。
名前は、ドロッセル・シャステリーゼ。ベンチに腰掛け分厚い本を読んでいたドロッセルに、声を掛けられた。
ドロッセルは貴族の出だったが、父に捨てられてしまった彼女は、別の貴族の家に拾われこの学院にいるのだという。
辛い過去があるのにニコニコと話をする彼女を見てわたしは、なんて強い子なのかと思った。
ドロッセル・シャステリーゼという存在に興味を持ったわたしは、ドロッセルと再び会う約束をしてしまった。
いずれ後悔すると分かっていても、どうしても彼女にまた会いたいと思ったのだ。
それからわたしは、ドロッセルと頻繁に会うようになった。
自分と同じく友人がいないという彼女は、病気のわたしを心配してたびたび部屋に訪れた。
ドロッセルはよく、自分が読む本の内容やその日あった出来事などを楽しそうに話してくれる。
笑顔溢れる彼女の顔を見ると、心が落ち着く。わたしはまだ生きているのだと感じることが出来る。
凝り固まった心が解れていく感覚に、わたしは一日の大半を彼女と過ごすようになった。
ドロッセルが学院から戻ってくれば、必ず会って会話する。そんな毎日を送っていたときだった。
彼女の口から、【ミュル】という人名が飛び出てきたのだ。
女性の名前か男性の名前かは定かではないが、ドロッセルが今まで他人の話はしたことがなかったのに。
意外に思ったわたしは、その【ミュル】という人物について問い詰めてみた。
彼女自身は一度しか見たことはないが、よく実家のメイドから話を聞いたらしい。一度でいいから話をしてみたいと呟いたあのときのドロッセルの横顔は、今でも忘れられない。
そして今から一年前、ドロッセルから衝撃の一言を聞いたのだ。話に聞く【ミュル】が名前を変えこの学院に通っていると。
そのときは喜ぶ彼女と共に話に華を咲かせたが、内心不安で仕方なかった。
彼女との出逢いから今までの間、わたしは持病が更に悪くなり、殆どベッドの上で過ごすようになった。
『ドロッセルが【ミュル】に会えば、わたしと会ってくれなくなってしまうのでは。』
『病気のわたしよりも、きっと元気な【ミュル】の方がいいんじゃないか。』
思考はどんどん悪いほうに向かっていく。
彼女が長い付き合いのわたしを捨てるわけがないと、必死に自分の考えを否定した。
夜は寝れなくなり、一時間眠っては起きてしまうなんてこともざらにあった。
そう悩み続けているうちに、わたしは前までは起き上がれていたベッドの上でも動けなくなってしまった。
ああ……きっとそろそろなのだと、確信する。もう今がいつなのかも分からない。
心臓の痛みや息苦しさは前よりずっと酷くなり、そんな状態でもまだドロッセルは見舞いに来てくれた。
もうお喋りだってあまりできない。少し話しただけで疲れてしまう。
荒い呼吸のわたしを心配してくれるドロッセルは、昔のように本の話もしてくれない。ただ潤んだ瞳でわたしをじっと見詰めるだけ。
どうして黙ってるの。昔はあんなに楽しそうに本の話も学院の話もしてくれたのに。
「ローレル……明日、レクリエーションがあるのです。わたくし、必ず【ミュル】をここに連れてきますわ。だから……」
黙っていたと思ったら、彼女から聞きなれた単語が聞き取れた。
レクリエーション。一年学年が変わるたびに行われる学院の恒例行事。生徒同士で交友を深める……。
わたしは出たことはないけど、なるほど。最近外が騒がしいと思ったら、そういうことだったのか。
明日……明日、【ミュル】を連れてくる。
『そういえば名前を変えているんだったよね、名前はなんていうの?』
声を出した筈なのに、喉からは掠れた途切れ途切れの声しか出てこない。
ドロッセルはどうにか理解したらしく、一つの名を紡いだ。
「セレナーデというらしいですわ」
「セ……レナー……」
セレナーデ。可愛いらしい名前だね。
そう言おうとしたけれど、咳き込んで最後まで言い切ることは叶わなかった。締め付けるような痛みがわたしを襲う。
ドロッセルは背中を擦ってくれたがそれを重い腕で振り払い、『もういい』と部屋の扉を指差した。
今は兎に角、一人になりたかった。
彼女は暫く躊躇していたが「また明日」と言い残し去って行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、薄く目を開ける。そこには、何年も見続けたクリーム色の天井しか見えない。
手術は、それなりのリスクが伴うと聞き断った。けれど副院長の薬は飲んでいる、なのに。
どうして少しも良くならないのか。どうして酷くなっていくのか。副院長が薬に変なものを入れているなんてのは有り得ない。副院長はそんなことをしない。
だから、きっとわたしの病気が重すぎるんだ。薬が効かないほどに。
先日ドロッセルに病院へ行こうと言われたけど、わたしは断固として拒否した。
もうここまで来てしまったのなら、わたしは死ぬだけだろう。病院に行ったって医者には首を振られるだけだ。
それに学院から一番近い場所にある病院なんて言っても結構な距離があるのに、そんなところに入院なんてしたら忙しいドロッセルは更に会いに来れなくなってしまうだろう。
どうせ近いうちに死ぬんだったら、少しでも長くドロッセルと一緒にいたい。わたしはそう望む。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ドロッセルの声がする。もう、そんなに時間が経ってしまったのか。
薄く目を開ければ、泣きそうな顔のドロッセルと……その後ろに、初めて会うであろう人達が見えた。
「ド……ロッセ、ル……」
痞えながらドロッセルを呼ぶ。
「ローレル……大丈夫ですか……?」
「…………」
声を出すのも辛くて、瞼を下ろす。
『大丈夫』もしっかり言えない自分が、酷く歯痒かった。
勿論今のわたしは大丈夫だなんていくら繕っても言えるような状態ではない。
けれど、『大丈夫じゃない』なんて言葉、絶対に言いたくなかった。わたしのプライドが邪魔をするのだ。
ふとドロッセルのいる方向を見れば、黒髪の女の子と何か話している。二人はそのまま部屋から出て行ってしまった。
が、ドロッセルだけすぐ戻ってきた。彼女の顔色が少しだけだが良くなっている。
きっと今だけだ、今しかない。
何も言わないまま死ぬわけにはいかない。ちゃんと想いを伝えなければ。
「……ローレル?どうしたんですのっ?」
「……わたし、ドロッセルの、こと……大好き、だよ……。一番の、友達だと……思ってる」
「いきなり……何を……そんなこと、当たり前じゃないですか!」
「ごめ……泣か、ない……で」
苦しい。苦しい。
ドロッセルが泣いてる。頬に伝う水滴を拭ってあげたいのに、手が、腕が動かない。持ち上がらない。どうすることもできない悔しさがわたしの感情を激動させる。
死にたくない。まだ生きていたい。友達を悲しませたくないとか言っていたのに、わたしはドロッセルを置いていくのか。
「院長、たちに……お礼、言って……わた、しの代わり……に」
「ローレル……待ってください!い、今……院長達をっ!」
「いい、から……きいて。やく、そく……」
院長達を呼びにいこうとしたのか、立ち上がろうとするドロッセルを引き止める。
先にも言ったように、もう、今しかないのだ。こんなことなら、昨日もっと一緒にいれば良かった。後悔してももう遅い。
ドロッセルの、悲鳴に近い叫び声が聞こえる。そんな声が聞きたいわけじゃない……笑っていてほしいのに。
自分の頬にも、じんわりと暖かい液体が米神に伝っていく。涙は空気に触れ、冷たくなる。
しかしわたしは、最期の力を振り絞って喘鳴とともに吐き出した。
『わたしをわすれないで』
しにたくない。いきたい。
かなうなら……どうか。
―――かみさま、たすけて。




