婚約
美しい山々の連なるジュナイル王国の奥地、 サハージュ。
温厚な王族の下で暮らす人々は、みな気持ちの良いほどに穏やかだ。
そのせいか他国との争いもなく、ここ数百年ほど一切事件も起こっておらず、平和であった。
今日、山の麓にあるサハージュ城にはたくさんの貴族が集っている。
姫君の誕生パーティーなのだ。
昨晩バルコニーで溜息をついていた少女こそが、ジュナイル王女、サラーシャ=サハルだ。
「皆様、本日は私どもの愛娘、サラーシャの生誕をお祝い頂き、心より感謝申し上げます」
王である父の隣に座り、長い睫毛を伏せ、恥ずかしそうに俯く少女。艶のある栗色の髪は太陽のように輝き、大きな瞳は宝石のような深いエメラルドグリーン、ほんのりピンクに色づく薄めの唇、そして透き通るような白い肌。それはまるで天使のようで。
誰もが、貴族達でさえ、魅入ってしまうような美しさだった。
「娘も今年で16になります。我がジュナイル王国の王女の位に就く歳となりました」
貴賓席から歓声が上がる。
その中には、ぜひ我が息子と婚姻を!というような欲にまみれた声もいくつか混ざっていた。
彼らのギラギラした目つきに耐えられず、サラはぎゅっと目を瞑る。
隣からコホン、と咳ばらいが聞こえた。
父マクも、娘を見定めるような視線は不快だった。
「そこで、本日この場をお借りして、大切なことを発表したいと思います」
ざわざわと周りが騒ぎ始める。
サラも聞いていなかった為、父の方を見る。
「お父様?」
「サラ、よく聞いておくれ」
国王マクは愛しい娘の頭に手を置いて、そして前に向き直った。
「この度、娘は、隣国ナワルドのガル第2王子と婚約いたします」
……え
「なんだって!?」
「敵の国へ嫁ぐだと!?」
「ふん、ジュナイルも落ちたか!」
……今、なんて?
貴族達はすぐに反発した。
玉の輿のチャンスを逃し、席を立つ者もいた。
多くの出席者は、政略結婚に悲嘆し、王に激しい憤りを覚え、サラの運命を嘆いた。
そもそも、当の第2王子は出席すらしていない。
力関係は明らかだった。
「お父様!?」
「これは決定事項なんだ、サラ。どうか分かってほしい」
いつも穏やかな父の、滅多に見ない真剣な、けれどもどこか泣きそうな表情に、サラは言葉を返せなくなる。
「……しばらく外で休んできます」
「ああ、第2部までには戻ってくるんだよ」
優しくも、退席の許されない言葉。
会場を抜けると、一目散に駆け出した。
「王女様!」
「是非ともご挨拶を!」
玉の輿の座を諦めきれなくて寄ってくる貴族達を見向きもせず、必死で走った。
まだ激しく動揺しているせいか、息が苦しい。
長い長い外廊を抜けると、城の裏側に出た。
そこには、小さな花壇があった。
花壇の中心には、立派なお墓が立っていた。
サラを産んで少し経って亡くなった、母の墓だ。
あまりにも早すぎて、サラは母との思い出がほとんどなかった。
だが、ここに来るといつも心が落ち着いた。
「母様、私、結婚なんて嫌だよ……」
あの日交わした言葉が頭をよぎる。
『さよなら、サラ』
忘れられない人。
「アル……」
墓の前に突っ伏し、声を殺してひっそりと泣いた。