辟易
この手を見たら、彼女は目の前から去ってしまうだろうか。もうあの柔らかい微笑みを向けてくれなくなってしまうだろうか。
幼き日の少年は、そっと包帯で巻いた自分の左手を触る。
異変に気づいたのはだいぶ小さい頃。
アルスはいつものように、射的の練習をしていた。
遠く離れた的を狙って、弓を張った時だった。
バキッ
『あっ』
『は、力入りすぎだぞ』
弓が折れてしまったのだ。
そんなに力んでいたのか。
ましてや利き手でもない方で。
『おかしいな…』
まじまじと自分の左手を見る。
特に変わった所もない。
そんな感じで不思議な1日が終わった。
だが、不可解なことは度々起こるようになった。
バリンッ
洗い物をしている時、左手に持っていたガラスのコップが割れてしまったのだ。
普通に持っていただけだったのに。
次の日は、馬にやる水を持っていた時だ。
たっぷり汲んだバケツを両手に持ち、立ち上がる。
量は同じなのに、なぜか左だけとても軽く感じた。
『俺の左手は一体どうしてしまったんだ』
日に日に左手への異変を感じていた。
そして、ついにその日は来た。
それを初めて見たのは、寝ていた時だった。
突然左手に重みを感じ、驚いて目を覚ます。
『ぁ…』
声も出せなかった。
凍りつくほどに、それは恐ろしく鋭く、真っ黒で猛獣のようだった。
少年は気を失うように眠りに落ちた。
それからという日、誰にも左手を見せなかった。
自分さえも怖くて見られなかった。
誰にも見られないようにする為に、いつも手袋をするようになった。
『サラ、もし俺が…』
言いづらそうに、下を向いてしまうアルス。
『なあに?』
不思議に思って覗き込んでも、黙り込んだままだ。
『サラ、上でお父さんが呼んでいたよ』
元気のないアルスを気にしながらも、早く行かないと父に怒られるのを知っているサラは、急いで立ち上がり、ドレスについた砂を払う。
『じゃあ、また明日ね?』
そういって少女は花壇を後にした。
言えなかった。
怖がらせて、嫌われてしまう方が怖かった。
『さよなら、サラ』
寂しそうに見送る少年の左手には、真っ二つに折れたアリアが握られていた。
もう力が制御しきれない所まで来ている。
また、あの夜のように変化したら……?
このまま一緒にいたら、きっとサラに危害を加えてしまう。
立ち尽くす彼の頭の中は、そのことでいっぱいだった。




