帰還
その日もアザエラの所で本を借りて読んでいた。
今日はいつにも増して、甘い香りが漂ってくる。
聞けばお花のお香らしい。
しばらく読み進めていると、突然酷い眠気とだるさが体を襲い、ソファに倒れ込んでしまった。
「アザ……エラ?」
霞む視界の中で、アザエラがそれはそれは優しく微笑んでいるのを、最後に見た、気がした。
ここは城の地下室。
「ああ、やっと我が手中に」
魔女は恍惚とした表情で、目の前の眩しいくらいの光に包まれた娘を見やる。
「精霊の巫女よ」
石壇の上に横たえられて眠っている娘の頰に触れようとするも、バチィッと弾かれる。
「その娘に触れるな」
「おやおや、お帰りなさい旦那様」
「この城内で魔力を使う事は一切禁止している。それが婚姻の条件の一つだ」
わかっているさ、とアザエラはめんどくさそうに溜息をつく。
「この子の為なら10年見捨てていた母国へも帰れるんだねえ」
妻の名が廃るよ、と仰々しく嘆く。
「アルス、精霊の巫女の命は私が頂くよ」
魔女が去ると、アルスはサラの元に駆け寄り、具合を確かめる。
眠っているだけなのがわかると、少しだけ息をつき、その頰をそっと撫でる。
「ん……」
常備している毒消しの薬草を飲ませる。
苦しそうに顔を見てしかめるサラ。
朦朧とした意識の中、懐かしい香りがした、気がする。
「すぐ良くなる」
頭を撫でる手が暖かい。落ち着く。
そして、サラは意識を手放した。
「もう俺の為に無茶をしないでくれ」
苦しそうに呟く。
こちらに近づいてくる気配には気づいていたが、アルスは振り返らなかった。
「兄さんの想い人がサラだったとはな」
懐かしい声が聞こえてきた。
「……」
アルスはサラを見つめたまま。
少し悲しそうな顔にも見えた。
「いつまで隠しているつもりだ」
「危険に巻き込むくらいならこのまま会わない方がましだ」
後ろ姿の兄からは表情は窺えない。
「……兄さんはもっと幸せになっていいはずだ!」
クールで氷王と呼ばれている普段の彼からは想像できないくらいの、熱のこもった荒げた声。
頭を撫でる手が止まる。
「ガル、俺はもう人間の世界には居られない」
左腕はもう、完全にドラゴンの鋭い爪と硬い皮膚になって硬化している。
「サラは小さい頃から国の政治や財政に興味を持っている。いい王女になるだろう」
「ナワルドは莫大な財力がある。だが、それをどう使うかは官僚の知恵と判断で決まる。良くも悪くも。俺は各地を歩いて、男女問わず数々の優秀な民に出会った」
お前と共にナワルドを建て直してくれ、そう言い残してアルスは消えた。
本当に王に相応しいのはアルス兄さんしかいないというのに。
そして、サラの隣に立つのも。




