憂鬱
ここは美しい山々の連なるジュナイル渓谷の奥地、サハージュ。
「はあ……」
繊細な彫刻の施された石造のバルコニーに頬杖をついて、今日で16歳、社交界の仲間入りをした少女は、何度目かの溜息をつく。
その首元には滅多に取れない大粒のパールのネックレス、指には大きなダイヤモンドの付いたリング。己の地位を見せつける為に着飾るような事は気が引けた。それに、なんだかゴツゴツして落ち着かない。
そして、頭には、沢山の宝石を散りばめた黄金に輝くティアラ。
これは、大がつくほど苦手だ。
今日から、これを身に付けなければならないと思うと、気持ちが一層暗くなる。
少女には、お姫様でいる事は向いていなかった。
小さい頃は、よく城の外へ抜け出しては、泥んこになって帰ってきて教育係に怒られたものだ。
まあ、今でもよく怒られているのだが。
目を閉じて、昔を思い出す。
今まで生きてきた15年間は、何の不自由もなく、周りの人に愛され、幸せだった。
きっと自分はこのまま一生幸せに暮らしていける。
それでも、やっぱり。
あの時が忘れられない。
"彼"は、そのくらい自分にとって大きな存在だった。
部屋の方を振り返れば、キャッキャと同年代くらいの召使いの女の子達が騒いでいる声が聞こえる。
「しっ!」
「声がでかいわよ!」
一応部屋の主に気を使って声を抑えているつもりらしいが、女子特有の甲高い声は部屋中に響いていた。
自分もあの世代らしく、はしゃいだり、騒いだりしたい。
「いいなあ、女子って」
自分がどれだけ乙女の憧れの的であるか知りもせず、お年頃の女子を羨んだ。
そして、コロコロと話は変わっていき、彼女達のメイド長の小言への鬱憤や、今度の休日に家族でお出かけする所の話題が終わると、いつもの“あのお方”の話題が始まった。
「ねえ、聞いた聞いた?!」
「例の黒騎士様よね」
「あの怪物、ザードをお1人で倒されたって!」
ザードといえば、伝説の魔獣と呼ばれ、人を襲っては喰らうために畏れられてきた巨大な怪物である。
今まで、誰一人としてザードを倒すことができなかったというのに。
「しかも、たった一瞬、一太刀で」
「このところ名声が尽きませんわね」
「今度はどんな伝説が生まれるのやら」
先程から話題の中心となっている黒騎士様とは、謎に包まれた存在だった。
頭はいつも黒のヴェールに包まれ、その下の素顔を直に見た者は、噂では誰1人としていないようだ。
どこで生まれたのか、どこに住んでいるのか、何者なのか、そもそも人間なのか……
彼に関する情報は皆無だった。
ただ、その狩りの腕前は前代未聞と言われるほどで、これまでに倒した魔獣の数は500を超えるとか。
とにかく、あらゆる地域で有名だった。
ここ数年街へ繰り出していないサラは、こうやって人づてに街の情報を得るしかなかった。
街の賑わい、新しいお店、流行りの服、食べ物、雑貨。
ずっと城にいるサラは、まるで1人だけ置いてけぼりを食らったみたいだ。
「シュタットおじさん、元気かな」
町へ出かけた日の事を思い出す。
いつも、真っ先に向かう所があった。