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雨音センチメンタル

 地元駅に足を踏み入れた時、いつも俺が過ごす世界とは違う、機微な空気を感じた。たった一年この駅に訪れていないだけで、人はここまで別世界を感じ、懐古に浸るのだともその時思っていた。生まれてから十八年間生きてきた町は、俺が覚えている情景と同じで、灰色が似合う町だ。その日は空が雨雲に包まれていて、携帯の天気予報では夕方から雨の予報が出ている。それらしい空をプラットフォームの屋根越しに見ながら、俺は改札口の方に続く階段を上った。

 東京スカイツリー線の一角に陣を据える駅に、柳生駅と言う駅がある。一言で片づけるなら、人気のほとんどない駅かつ真新しい自動改札口が全くマッチしていない、そんな駅だ。俺は仏頂面で改札口をくぐる俺を一瞥してくる駅員さんの横目を気に掛けながら、こじんまりした待合室を通って駅の外に出た。駅の前に何故か幹を伸ばしているヤシの樹は、変わらず俺のことを見下げて、葉を揺らして緩やかな音を立てている。

 この町に来ると、一世紀くらい時間を渡り歩いたのかと言う錯覚と、安堵に襲われる。東京の減ることのない人波、高層ビル越しに見える濁った空や陽炎、忙しく歯車を回すように、規則的に人々に回され続けるスクランブル交差点。その何もかもが、この町に来ると幻想や、具現化した事象でしか感じることが出来なくなってくる。そのくらい、この町は俺に安らぎを与えてくれていた。

 ゴールデンウィークという理由だけでふらりとこの町に戻ってきたけれど、正直俺には何の当てもなかった。無理やり今の東京の大学には進学したけれど、それが原因で親父との間に確執を生み、かつて俺の傍にいた人とも別れることになった。後悔なんてしていない、と言えばそれは嘘になる。当時、俺はこの町しか知らなかった俺は、若気の至りと言うやつで、東京の大学へ進学することを決めた。真っ先にそれに槍を投じたのは親父で、親父は実家の農業を継ぐことを望んだのだけれど、俺はそれを拒み、それ以来軽い勘当状態にもされている。そのおかげで、親父の顔はもう一年以上見ていない。時折実家にいる母親から連絡が取れる程度で、家族とのつながりももうほとんどない。

 もう一人、この町に来ると思い出してしまう人がいる。彼女は雨に包まれるこの町で、傘を差す背中がとてもきれいな人だった。彼女とも――もう、一年以上、会っていない。悪いのは俺なのだ。彼女は悪くない。あの日みた涙は、今も胸の奥に、抜けない楔となって残っている。


          *


 彼女との回想は、いつも雨の日に始まる。その時俺は高校二年生で、彼女は俺と同じクラスにいた。

狭い町というだけあって、小中高とずっと彼女とは同じ学校に通った。けれど、交わした言葉が多くなったのは、高校に進学してからだ。というのも、彼女は酷く内気で、口数の少ない少女だった。小学校時代、グラウンドで俺が男友達とサッカーボールを蹴っている間、彼女はずっと図書室で文字を追いかけているような少女で、交友関係も広くないのか一人でいることが多かった。

 中学に進学しても、彼女は変わりなく図書館に入り浸ることが多かった。俺は俺で

部活に追われていたことが多かったから、最初は彼女と接することなんてほとんど無かった。

二年に進級した時にに初めてクラスが一緒になって、一度だけ席が隣になったことがある。改めて彼女から感じ取られた第一印象は、陰気の二文字。発現するのも一歩遅く、くぐもった声が多いせいでお世辞にも聴き取りやすいとは言えない。

 けれど、そんな彼女にも、不思議な点があった。何故か俺と一対一で話すときだけは、落ち着いた物腰で、会話することが出来た。

「東条くんと話すときだけ、なんだか落ち着いてしゃべることが出来るような気がする」

 と、彼女は微笑んで言ったのを覚えている。その言葉を初めて聞いた日が雨だったから、彼女を回想すると雨が浮かぶのかもしれない。その時見せた、黒髪と焼けた感じのしない肌とのコントラストや、琥珀色の虹彩をした瞳に、俺は心惹かれ始めたのかもしれない。こいつってこんなやつだったっけ、って。

 それからも、クラスで彼女と何気ない会話を交えることが多くなって、彼女の顔からも、少しずつ暗さが薄れて行った。彼女が俺と話すと落ち着く、と言ってくれるなら。それだけのために、どうでもない話を広げ、彼女の小さな笑いを誘った。

 少しずつ宿っていった感情を、俺はこのときまだ十分に理解していなかった。そのくらい、中学二年の時の俺は幼く、自分の感情にも疎かった。

 進級してまた同じクラスになり、進路を決め始める時期になったころ、俺は彼女の受ける高校を知ることになる。もうその頃には俺も部活を引退していて、進路希望調査の用紙を手に俺たちは図書室にいた。弱冷房がかかっているということで、教室にいるよりは楽でしょ、と彼女に言われやってきたけれど、俺はずっと呻るばかりだ。

 ふと、目の前で参考書に目を通す明梨の視線を伺い、問いかけてみる。

「明梨は、どこ受けるの?」

「高校?」

 そうだよ、と俺は言うと、明梨は口元に人差し指を当てる。

「親には古河三に行けって言われてるし、そうしようかなって思ってる」

「げ、マジ?」

 俺の言葉に明梨は首を傾げ、俺は口元を震わせる。

「げー、俺行けるかなあ、今の頭で」

「え、私と一緒の高校に来てくれるの?」

 明梨は目を輝かせて、俺の顔面に顔を寄せてくる。俺は一歩仰け反ると、カバンからクリアファイルを取り出して、そこから学期末の成績表を取り出した。

「でもな、今の成績このくらいなんだけど」

「……おぉ」

 低いトーンから、彼女の阿鼻叫喚がひしひしと感じられた。

「だから明梨とおんなじとこ行けるかわかんねーけど」

「だ、大丈夫だよ!」

 明梨は参考書を閉じて、また俺の方に顔を寄せてくる。どきり、と心の奥が揺らめく。

「私と一緒に勉強しようよ!」

「……俺の成績の凄惨さって知ってるよね?」

「大丈夫! まだ半年以上あるんだもん、三年間部活を休まないで続けた東条くんならできるよ、私も頑張るから」

 それからの明梨は、いつも以上に俺の傍で俺を支えてくれていた。多分、それが俺の気持ちに対する確信と、お互いの距離をより縮めることになったと思う。授業が終わった後は図書館でワンツーマンの受験勉強で、休日になると今にも崩れそうな湿った雰囲気のある市立図書館を使って勉強を教えてくれるようになった。自分の勉強に特になるところなんてほとんどないのに。毎回のようにそう彼女の熱心さが俺にそんな感情を抱かせて、自然と俺も負けじと彼女に食らいつこうと必死の日々が続いた。一気に成績が上がるなんてことは当然なかったけれど、真夏の光に照らされた青緑色の木々が赤く燃え、やがてその一年を超えたあたりで、受験した模試の成績も着実にその結果を表していた。

 俺より先に推薦入試で明梨が志望校への入学を決定した後も、個人指導は手を緩めなかった。明梨が近くにいることがあまりに当たり前すぎる生活が続いて、いつしか俺は高校へ入学すること以上に、明梨と過ごす時間を終えたくない気持ちを一層強く抱くようになった。結果として、それが原動力になり同じ高校に進学することが決まったのは、三月中旬の後期試験後のことだ。

 高校に入学してから最初の一年は、全く違うクラスになった。彼女は学年唯一の進学クラスに振り分けられ、俺は何の特徴もない、強いて言うならば腰が今にも折れそうな年老いた眼鏡教師が担任のクラスに入ることになった。

 中学時代と同じ部活に入部し、また俺は中学一年のころのように彼女とはあまり接することがない生活に突入した。登校する時間も、帰宅する時間も全く違っていた俺たちは、使う駅こそ同じだったけれど、あまりに共有する時間が自然に減って行って、時折駅で見かけても、廊下でお互いの友人と談笑しながらすれ違っても、何も言葉を交わすことは無くなった。

 二年に進級して、文系クラスを選択した時、また俺は彼女と同じクラスになった。けれど、中学時代との彼女との関係は既にかけ離れたものが生まれてしまっていて、ほとんど言葉を交わすこともないし、俺にはそれが出来なかった。理由は、すごく単純だ。

 明梨に恋人がいると聞いたのは、高校一年の終わりが近づいた頃だ。そして、同じ部活の仲間から口伝で聞いて、それが確信に変わったのは、彼女が俺よりも少し背の高い男子生徒と仲睦まじく会話を交えながら帰宅している姿を見てしまってからだ。既に彼氏がいた彼女は、今まで見てきた都築明梨とはまるで違い、陰気暗さを払拭しきった姿だった。

 多分それは、俺が望んだ姿でもあった。あの中学時代に出会った彼女はあまりに陰気暗く、影に常に隠れるような人間だった。もっと日の目を見れば、彼女に振り向いてくれる奴が現れるのに。そう感じたことだってある。だから今ある姿は、あの日俺が望んだ彼女の姿だから。だから、それでいい。俺が干渉する必要だってない。


 ただ俺は、言い聞かせるようにそう繰り返していた。


 梅雨の時期になると、大抵の練習が校舎の中をただひたすらに走り続けてから、ウェイトトレーニングを繰り返すだけになっていた。その年は、全国的にも雨の日がやたらと続いていて、二週間近く太陽の姿を見ていない。練習もいつもより一時間以上も早く終えることが多くなって、帰宅するときによく文化系の部活の終了時間と被ることが多くなっていた。

 その日、ウェイトの使用点検簿を職員室に届けた後、汗にまみれたシャツを着替え、制服を着なおしたときには、既に俺の仲間は帰宅澄みで、一人昇降口で靴に履き替え傘を開こうとしていた。ビニール傘越しに見る空は濁った灰色の絵の具が溶けた後みたいに淀んでいて、革靴を弾く雨音もどこか鈍く聞こえる。

「あ……」

 昇降口をすぐ出たところで、俺はその小さな黒髪に隠れた影を見た。小さなビニール傘を差したまま、俺の方を見上げていた明梨は、不器用な笑顔を俺に向けて、小さく言う。

「今、帰り?」

 久々に聞いた彼女の声だけは、あの時当たり前のように傍にいた声と何も変わりはない、どこか震えたような声だ。なのに、傘の下で雨をよける明梨の姿は酷く綺麗に映った。

「……おう」

 かすれかけの声を振り絞ってそういうと、彼女は「そっか」と小さく相槌を打って、俺の方へと少しずつ歩んでくる。膝より少し下まで下げられたえんじ色のスカートは少しだけ雨に滲んでいて、夏服姿だというのにどこか冷たい温度を感じる。

「なんか、東条くんの声聞いたの久しぶりかもしれないね」

「俺も」

 俺たちの間に、あの日のような笑顔はない。

「もっと、話してくれてもいいのに。あの頃みたいにさ」

 俺は口を強く結んだ。彼女のその言葉に、あの頃の思い出が走馬灯に様に脳内に一気に流れ込んできて、俺はやりきれない感情を押し殺しながら、彼女の表情を振り切って横切ろうとする。

「……ねえ!」

 彼女が語尾を強めて俺に言葉を投げかけたのは、多分その時が初めてだった。俺は俯いたまま、制服の裾がただ雨に濡れていく様を眺めつづける。

「私が、悪いの?」違う。「私が、恋人を作ったから?」そうじゃない。「私が、東条くんに何も言葉をかけなかったから?」

「そうだよ」

 俺は背中越しに、単調に言い切る。

「明梨が俺に声をかけないようになって、いつの間にか俺の遠いところにいるようになって、いつの間にかすれ違うようになったからだ」

 本当にそう言ったかは、正直俺は覚えていない。そのくらい、あの時の俺は頭が回っていなかったし、彼女の言葉をまともに受け入れることもできなかったし、俺が何を言っているかもわからなかった。けれど、俺と彼女の間に流れた雨音は、まるで誰かの涙のように絶え間なく泣いていて、その音がある意味、俺のやりきれない感情を流していったのかもしれない。

「……そっか」

 その時ようやく、彼女の声が泣いていたことに気づいて、俺は無意識のうちに振り返っていた。彼女のスカートやワイシャツの裾は、雨粒のせい以上に濡れていたように見え、目の前にある表情は、まるで五年以上前にタイムスリップしたような表情になっている。

「……ごめんね」

 なんで。

 なんで明梨はそこで、謝るんだ。

「……ごめんね、もう、もう……」

 彼女は俺に目を向けることなく、目線を落としながら呆然とたたずむ俺の横を横切ろうとする。

「……でもね」

彼女の声がすぐ横にあるというのに、その声は、あまりに遠い。

「一緒の高校に行くって言ってくれたとき、本当に嬉しかったんだよ」

 彼女の去り際に見た瞳には、雨粒とは違う、涙粒が確かにあった。

彼女はそのまま、雨音が飲み込む中を一人歩き去って行った。彼女がいなくなったことに気づかされた頃には、雨音がようやく止み始めていて、ビニール傘を叩く音も泣き止むのを止めていたように聞こえる。ああ、俺の悲しみってこんなものなのか。そううそぶくけれど、その声を聞く人はいない。


 それが、雨音の彼女の最後の記憶だ。

 その後、クラスで彼女と会話はおろか目を合わせることもほとんどなかったし、三年に進級してからまた別のクラスになってからは、一層それが顕著になった。将来の構想を俺はやるせない気持ちとどこか一緒にしていて、それを還元するように受験勉強に励むようになり、結果として親父の反対を押し切りながらも東京の大学に進学することを決めた。


          *


 柳生駅を出たあたりで、額に冷たいものが当たることに気づいた。ゴールデンウィークだというのに、何で俺はこうも雨に縁があるのかと我ながら苦笑しながら、リュックの中に放りこまれた折りたたみ傘を引き抜く。傘を開くころにはもう雨音がすっかり夏を前に走るようになっていて、これから自宅まで母親に顔を見せるだけのために歩くのは、正直億劫にも感じる。

 ――それに、明梨のことを強く思い出してしまう。

 高校二年の記憶は、今も鮮明に覚えている。明梨とは、親父以上に顔を合わせていない。意識すればするだけ、美化されているであろう彼女との短い記憶が蘇り、そのたびにどうしようもない感情が押し付けてくる。

「……ん」

 その声は最初、雨に消えて聞こえなかった。だから、その傘の姿にも気づくことは無かったし、その声も忘れかけていた。

「……東条、くん?」

 背中越しに聞こえた声は、あの時と同じようにどこか震えていたような声だったけれど、振り向いた時に見た彼女はあの時とは違った。まだどこかあどけなさを残していたような風貌は無くなり、白地のワンピース姿と、背中に落とす色の変わらない黒髪が、別の彼女を見せているように思える。

「……明梨」

 言葉が続かなかった。水色の傘の下で俺の言葉を待つであろう彼女は、首を少しだけかしげて、まるで何もなかったかのような目を俺に向ける。

「本当に帰ってたんだ、さっき東条くんのお母さんにあったんだよ」

「……母さんに?」

「うん、偶然東条くんの家の前を通りかかったらね。裕也が帰ってくるらしいから代わりに駅に迎えに行ってあげてって」

 瞬時に脳裏をよぎった母親の表情を思案しながら、俺は嘆息する。

「ねえ、少し歩こうよ」

 彼女は俺の方に小さく歩み寄ると、俺の頭に引っかかりそうな傘を向けながらそう言った。


 田植えが澄んだ後の田園の間を歩く間、しばらくは俺から何か彼女に声をかけることは出来なかった。彼女は道を歩くたびに郷愁に浸るかのような思い出話を少しずつ出していくけれど、あまり長くは続かずに、途切れ途切れの会話が続く。傘と傘の距離は不自然に離れていて、たどたどしく歩く俺たちの間は、中々埋まろうとはしない。

「……東条くんはさ」

 声を絞り出すような口調で明梨が歩きながら言う。

「なんで、わざわざあんな遠くの大学に行ったの?」

 彼女が俺の方を見上げながらも、俺は彼女の方へ視線を向けることが出来ずに、田園風景の向こうに見える土手の方を見ながら言った。

「……逃げたかったんだ、多分」

 自嘲気味に言う俺の声は、酷く情けなく町に響く。

「どうしたらいいか分からなくてさ、やりたいこととやるせない気持ちがこんがらがって。東京に行ったら変わるかと思ったけど、んなことも無かったけど」

 苦笑代わりに鼻を鳴らした俺に、彼女は少し足取りを速めて俺の前の道を塞ぐように俺の前に立ち、眉を潜めながら俺の方を見上げる。一瞬仰け反りそうになったけれど、やがて彼女は優しく微笑んで、目線を下げた。

「……あの日、東条くんに言われてから」

 雨音が弱くなったのかと錯覚するかのように、彼女の声が不思議と耳に入る。

「ずっと、ずっと考えてたの。東条くんと同じ学校にいたのに、何もできずにいて、流されるようにあの人と付き合って、がむしゃらに高校時代を生きてたんだ」

 彼女が俺のシャツの裾を掴むことに気づいたあたりで、彼女は自嘲気味の声を続ける。

「なんでだろうね、本当に欲しいものは手に入らなかったの。逃げてただけなのかな」

「それは、俺もそうだよ。俺も逃げてたから」

 即座に返した言葉を聞いた明梨は、苦笑する。

「東条くんは、いつもはっきり言葉を返してくれるよね」

「そうでもねえよ?」

 面を見合って、苦笑する。その笑顔は、あの日追いかけた彼女の表情だった。

「だって、そうじゃなかったらあの時あんなひどいこと言わないもん」

 やっぱり酷かった? と返すと、やっぱりすごい傷ついたと彼女は嘆息するように返す。心の重荷が少しだけ、降りたような気がしたのは言うまでもなかった。水田に滴る雨粒が少しだけ弱まっているのに気付いたのは、その時だった。

「……ごめん、明梨」

 ううん、と彼女が返すと、彼女は俺の胸に額を当てて、脱力したかのように傘を持つ手を下ろす。

「嫉妬してたんだ、多分」

 知ってる、と小さく返した彼女の言葉が染み渡る。否定しながらも、どこかで彼女の気持ちを知っていた自分に、ようやくそこで気づかされた。やっぱり彼女は出会ったころとほとんど変わらない、俺がずっと追いかけていた明梨そのものだった。日に当たっていないようにしか見えない白い肌と、対照的な黒髪と、あの頃と同じくらい小さな体躯は、俺の胸元で泣いているように見えた。

「たぶん、中学生のころから、追いかけてた。明梨のこと。だから逆に、何を言えばいいか分からなかった」

 彼女は何も言わずに、ただ俺の腰に両手をあてて額を上げようとはしなかった。俺の言葉を噛みしめるように頭を揺らして、強く指に力を当てる。

「……大学出たらさ、迎えにくるから」

 そこでようやく、彼女は胸に当てていた額を上げて、少しだけ潤んだ瞳を俺の方に向けた。

「埋めきれなかった時間を埋めれたらいいな、って」

「……うん」

 彼女が笑みを含んだような言葉を繋いで、不器用な笑顔を見せた時、ちょうど俺の傘にあたる雨音が遠のいた。淀んだ灰色の暑い雲の切れ目から、優しい光が差し込んでくる。そこで初めて、俺たちは雨が止んだことに気が付いた。白金が溶けたような光は、俺がようやく手に取った彼女の手を少しだけ握った時に、俺と明梨の間に差し込んできて、そのまま優しく声をかけるように俺たちに微笑んでいた。

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