二人のぼっち
ぼっちという言葉がある。一人ぼっちの略称だ。慣れない環境、妙に高すぎる周囲のテンション、クラスという概念の消失。大学はぼっちを大量生産する。かくいう俺もその一人だ。だが俺はそこらのやつらとは違う。一人であることを気にしていないからだ。ほんの数か月前まで必死になって受験勉強に取り組んでいた者たちが、大学に入るやいなやサークルやら飲み会やら恋愛やらにかまけだす。俺はそんな露骨な変貌を快く思わなかった。かくして俺はぼっち道の探求者となった。だから、俺は気持ちの良い五月晴れのなか、ほとんど誰もいない、埃っぽく荒涼とした図書館の飲食スペースで一人昼飯を食べていても何も恥ずかしくない。だから、俺はぼっち道の先達として、孤独の楽しみ方を指導すべく、3メートル離れた椅子に座り、しゃんと背筋を伸ばして黙々と弁当を食べる彼女に話しかける機会をうかがっているのだ。
私は図書館の飲食スペースで弁当を食べる。ガラス張りとなっているのでぽかぽかと日が当たって非常に気持ちがよい。ほとんど人がいないのも好ましい。少し気にかかるのが、いつもきょろきょろと周囲を見回しながら身を縮めるようにして昼ごはんを食べる男子学生だ。時折私の方を見ている気もする。
俺は、小説を読みはじめた彼女のつやつやと背中まで届く長い髪を見ていた。彼女は俺の同類だろう。昼飯を一人で食べている。時たまキャンパスで見かける時も常に一人で行動している。だが、友人のいない大学生にありがちなように一人であることを気にしているようだ。一見平然とした様子だが、この一年間ほとんど人と交わらずに生きてきた俺の目はごまかせない。彼女は確実にさびしがっている。
今日は飲食コーナーに隣接する雑誌スペースの資料の入れ替え日らしい。大量の科学雑誌や経済雑誌などを積んだ台車がさっきから私の目の前を何往復もしている。この小説を読み終わったら科学雑誌を読むことにしよう。
何と言って彼女に話しかけるか。俺の昼休みの大半はこの問題についての思索に費やされる。脳内で彼女と食堂に行ったところで俺の思考は中断された。小柄な男性事務員の運ぶ、雑誌を大量に積んだ台車が倒れたからだ。俺は床に散らばった雑誌を拾うため立ち上がった。
台車は倒れた。事務員と男子学生が雑誌を拾う。私も科学雑誌を拾うのを手伝うことにする。生命の起源とは?超ひも理論とは?などと実に興味をひかれる見出しに目を奪われた。
俺は雑誌を拾い集める彼女のワンピースのふっくらとした胸元に目を奪われた。これは、彼女に話しかける千載一遇のチャンスではないか?現在俺と彼女の距離は1メートルもない。
雑誌を拾い終わると事務員は礼を言って作業に戻った。私もそろそろ講義室に向かわなくては。
何と話しかければいいのだ。全くわからん。
彼女との距離が1メートル半に広がってしまった。なんでもいい。早く話しかけろ。全身全霊をかけて会話の糸口を見出すのだ。
読みかけの小説をかばんにしまったところで私は声をかけられた。
「あ、あの、その小説、面白いですよね」
俺は声をかけていた。
「ええ」
彼女は平たんな声でそう答え、まるで何事もなかったかのように去って行った。
俺は得体のしれない羞恥心に全身を包まれ、昼飯を片付け、便所の個室に駆け込み、自らの挙動不審を罵り、数少ない知り合いに醜態を目撃されていないように祈り、気づくとつぶやいていた。
「ぼっちはもう嫌だ」
夜、アパートに戻ると携帯電話に着信が残っていた。私は、珍しいなと思いつつ携帯を開いた。実家からの電話だった。
晩御飯を食べた後電話をかけなおした。誰かと会話をするのは何日ぶりだろうと考え、昼休み、挙動不審な男子学生に話しかけられたことを思い出し、気づくと微笑んでいた。
「明日も図書館でお弁当を食べよう」
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