逢魔が時がキミとの逢瀬
「ふぅ~これで最後か」
まるで引っ越し作業を済ませた直後のような、無性に一段落したい気持ちに襲われて俺は近くの段ボールに腰を下ろした。何が疲れるって、学校でたっぷりしごかれた後にこの片づけをしている状況だ。家に帰って昼寝でもしていた方がずっと良い。または山の中にでも入って虫でも捕るか。
とにかくこの、右に左に上に下に、とてもちょっと前まで人が使っていたとは思えないくらい散らかった部屋を掃除する事に比べたら何でも楽しいと感じられる筈だ。
「一人でも活動出来る部活って聞いたから楽だと思ったんだが……みんなが立候補すらしない理由が分かった。この片づけに何の楽しみも見いだせないんだ」
小学校の頃はこれが部活ではなく委員会や掃除当番にあったっけ。美化委員会はゴミに触るから汚い、トイレ掃除は便があった時にどうにもしたくならない。誰もなりたがらない役目には裏があると気づくべきだった。
「ワタシが居て良かったね、守命クン」
頬に冷やりと冷たい物体を当てられ怯んでしまう。顔を上げると、姫さまカットの女子がペットボトル入りの水を俺に押し付けていた。奪うように受け取って、一口で一気に飲み干す。
「…………ふぅ」
「お水飲まなきゃ駄目だよ。面倒くさがりなのに面倒くさすぎると一気にやっちゃうのは守命クンの悪い癖ね」
「だって誰も手伝ってくれないんだぞ? ちまちま休憩してたら部活前にくたばる。部活なんぞやる暇あったらこっち手伝ってくれよな……」
「じゃあ今すぐに部活変える? 先生は多分認めてくれると思うけど」
「やだ! 女子に少しでも触れるような事になったらどうする! 絶対に断る!」
俺は女子に触れない。相手が嫌がるから、とか周りの目が、とかではなくて条件的に障れない。認めたくないが俺の十数年の人生における原因不明のトラウマであり、これに比べれば触感が嫌いだった程度で食べられなくなったゼリーなんてトラックの荷台に積まれても手づかみで行ける。
当時から仲良しだった極一部の女子は事情を理解し、接触しないように気を遣ってくれた上で友達付き合いをしてくれるが殆どの場合は近寄りがたい印象を与えてしまう。どうも男子の中に『守命は女が嫌いだ』というデマを広めている輩が居るらしく、そのせいで同学年―――特に別のクラスの人間からはより確かな壁を感じる。
狭く、深くを交友モットーにしているからそこまで問題には感じていないが、ふとした時にトゲを感じるとそれはトゲというより最早槍。必要以上に気になってしまうものだ。
「それに、他の部活に入ったらお前との約束が果たせないだろ。だからいいんだ」
弓水一魅は他人には見えない。
初めて会った時からそうだったらしいのだが、子供の頃の俺には理解出来なかったし、出会った頃は彼女も同い年くらいの子供だったので自分が見えない事も構わず俺に話しかけてきた。『他人が居る時は話しかけない』というルールが出来たのは中学に入ったばかりの頃だ。けれど、友達になった時の約束は覚えてる。
『キミが、ワタシを見つけてくれるの?』
当時の俺はまだ子供で、かくれんぼを一緒にしたいだけだと思っていたが……実際は、まさかの自分探しだ。町のそこらを歩けば弓水一魅を探す張り紙がそこら中にある。一魅はここに居るが、しかし俺以外の誰にも見えない。有り体に言えば幽霊だ、だから、見える俺が代わりに探してやろうという約束になった。
「……それくらいの気遣いが他の子にも出来たら良かったのにね」
「え?」
「近寄るな、なんて直球で言って回ってたら誤解の一つも生まれるでしょって話。
もっと柔らかい表現を知らないの?」
「…………い、いいんだよ。お前には触れるんだから。それだけで十分だよ……」
「また、そういう事言って…………誤解されても、助けてあげられないよ」
トラウマというかアレルギーというか……極端に避け続けた結果、俺自身ももう一度女性に触れたらどうなるのか分からない、それが一番怖いのだ。流石に母親は問題ないにしても、その他の女性には心底気を付けなければ。
「さて、奥に行こうか、幽霊部員?」
「扉、閉めとくね」
「ん、何で?」
「邪魔が入ってほしくない」
ここは校舎の三階の端っこだ。俺達のいずれにも用事がなければ扉を閉めようと閉めまいとそうそう人はやってこない。けれど他人に見えないせいか一魅は動物に劣らないくらい気配というモノに敏感だ。俺の方に断る理由はなかった。
学校の放送室はテレビ局に比べればずっと簡易的だ。机一つに対して椅子が対面になるように一組。机の上にはマイクがあり、マイクは壁に沿って配置された機材と繋がっている。放送を開始するにはスイッチを押せばいいだけなので使い方が分からなくても安心だ。機材の上部に取り付けられた謎のつまみなんて機械音痴の自信があるなら触るべきじゃない。まあ、音量調節とかだろうけど。
奥の部屋は物置であり、放送部に入った先輩達が遺した物がここに積みあがっている。つまり忘れ物だ。二人しか入れない部活なんて多少私物を持ち込んでもそりゃ怒られない。担当顧問だって用意されないくらいだし。先程、俺がすっかり疲れ切ってしまった片付け作業の殆どはここの物品が原因だ。誰かが悪戯したのか卒業間際に先輩がはっちゃけたのかは分からないが……いっそ外に投げ捨てたくなるぐらい多かった。
掃除を終えた後も微妙に埃っぽかったので一魅に窓を開けてもらう。彼女はその場で大きく伸びをした後、胸を机の上に置いて気怠そうに微笑んだ。
「何だか秘密基地って感じね。先輩に倣って私達も秘密基地扱いしちゃう?」
「するまでもなく秘密基地だろ。誰も来ないんだからさ」
ここから窓を見下ろせば町が殆ど一望出来る。少し視線を下に向けるだけで外を走る陸上部の姿が見えるだろう。こう考えると同じ『部』活動をしているとは思えない。補習か何かで教室に取り残されたみたいだ。
「ラジオさ、守命クンは聞いてた?」
「いや、残念ながら聞く習慣がなかった。家にはあるんだけどな、別に親も聞こうとしないし……」
だからこの部活について知ったのも最近の事だ。誰も聞かないならさっさと廃部すればいいものをと思う反面、こういう部活があってくれないと万が一は存在する。
―――幽霊だから、大丈夫なのかな。
一魅だけがセーフな理由はそれくらいしか思い当たらない。便宜上、幽霊とは言ったが肌に触ればきちんと感触があるし、休日になると私服姿になる存在が果たして幽霊なのかは疑問が残るところだ。でも他の人の目には映らない。じゃあ幽霊か。
しかし俺の視界とは無関係に動き回る事も出来る。自販機で買ってきた水もそうだ―――幽霊か?
「ただ、いざ自分が入部するってなったら話は別だ。何としてもみんなに聞いてもらいたい。その方が効率が良いし……もしかしたらあの謎も解決出来るかもしれない」
「ワタシを探してる人が誰かも分からない、っていう件だね?」
弓水一魅の捜索願はそこら中に張り出されているが、連絡先は何処にも書かれていない。ただ、その人間を探していると書かれているだけだ。昔、気持ち悪くて剥がし回った事もあるが一晩の内に戻っていた。誰に聞いても、知らないという。
「誰がお前を探してるのかがまず分かれば、そこから進展すると俺は睨んでる。まあそんな、焦るようなモンでもないけどさ。もう八年くらい一緒に居ると思うけど、身体が透けて見えるようにもなってないし」
「それじゃまるで、私がお化けみたいね。キミと沢山遊んだ思い出があるのに」
「まあ…………」
川で泳いだ事もあるし、一緒に焚火をした記憶もある。夜中にこっそり外に出て、二人で毛布にくるまりながら星を見た日もあった。なんなら家庭科の授業では彼女がマンツーマンで俺に料理を教えてくれた(まあこれは女子との接触を過度に恐れて授業を妨害した俺が悪いけど)。
生きているのに、そこには居ない。
居ないのに、俺の人生には確かに一魅が生きている。
幽霊としか言いようがないだけで認めたくない気持ちは俺も同じだ。先生に怒られた時、両親に怒られた時、女子に数の暴力で圧された時―――いつだって、慰めてくれたのに。
「もし何の手がかりもなくても、三年間を過ごせたら私はそれで十分だから。気負わず楽しもう。学校ではもう殆どキミに話しかけられなくなっちゃって寂しかったの」
「その点についてはごめんっ。もうお前の存在を証明するのが面倒になったんだ。唯一存在を証明する方法を使っても加工とか仕込みとか疑われたらキリがなくてさ。そこで無駄に頑張って他の関係に亀裂を入れるのもなって」
「…………そうだ。今夜部活動を始める前に、一つだけ確認しておきましょう」
一魅はポケットから古い携帯電話を取り出すと、録音ボタンを直に押した。
「キミがどんな人生を歩もうとも、ワタシは傍にいたいって思ってる。キミにしかワタシが見えていないように、ワタシはキミしか見たくない。その事をよく覚えておいて」
「お、おう…………あ。その。もう、帰るな? 夜に向けて準備しないと」
「私はちょっと気になる事があるから一旦お別れね。深夜二時頃にまたここで会いましょう」
ほぼ同時刻、携帯のグループチャットに通知。
『怖かったら迎えに行くから、他の人は連れてきちゃ駄目』




