第7話 学院ざわつき
レオンハルト・グランディールが学院を休んだ翌日。
王立学院は、これまでにない奇妙な熱気に包まれていた。
「ねえ、昨日の話聞いた?」
「医務室での?」
「そう、それ!」
廊下のあちこちで、同じ話題が繰り返されている。
氷の公爵令息が発熱。
そして――婚約者を呼び出した。
それだけならまだいい。
問題は、その後だった。
「態度が別人だったらしいのよ」
「“来てくれてありがとう”って言ったんですって」
「え、誰が?」
「レオンハルト様が」
信じがたい、という顔が並ぶ。
普段の彼を知る者ほど、その異常さが理解できた。
⸻
教室の扉が開く。
瞬間、空気が静まった。
入ってきたのはレオンハルト本人だった。
いつも通り整った制服。
表情は冷静。
視線は真っ直ぐ前。
完全に“氷の公爵令息”。
(……普通だわ)
(昨日の話、本当なの?)
疑念が漂う。
そのとき。
「おはようございます、レオンハルト様」
後方から声がした。
エリシアだった。
彼女が一礼する。
次の瞬間。
「おはよう、エリシア」
声が柔らかく変わった。
明確に。
周囲の空気が凍る。
視線。
声音。
表情のわずかな緩み。
すべてが違う。
「体調はもう大丈夫なのですか?」
「はい。あなたのおかげで回復した」
「私は何もしておりませんよ」
「隣にいてくれた」
自然に言う。
重い言葉を、日常会話のように。
教室の数名が息を呑んだ。
(距離感が……近い)
しかし当のエリシアは気づかない。
「無理はなさらないでくださいね」
「了解した」
素直すぎる返答。
そしてレオンハルトは、ごく自然な動作で彼女の椅子を引いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
当たり前のように座るエリシア。
当たり前ではない周囲。
沈黙。
そして――爆発寸前のざわめき。
⸻
数分後。
教室の後方で、リリアーナは腕を組んでいた。
「……なるほど」
真剣な顔。
観察者の目。
(昨日は特殊状況だと思いましたが)
違う。
これは日常だ。
彼女は気づいた。
決定的な事実に。
(あの方、婚約者様限定で人格が変わりますわ)
恋愛イベントどころではない。
すでにエンディング後の関係性。
⸻
授業が始まる。
教師が質問を投げた。
「では、この問題を――」
指名されかけた瞬間。
エリシアがわずかに考え込む。
すると。
「補足してもよろしいでしょうか」
レオンハルトが静かに手を挙げた。
教師が頷く。
彼は簡潔に解答を述べたあと、自然に言葉を続けた。
「なお、この部分はローゼンフェルト嬢の専門分野です。彼女の見解の方が正確でしょう」
教室が静まる。
視線が一斉にエリシアへ。
「え、わ、私ですか?」
「はい」
信頼しきった声。
逃げ場なし。
エリシアは戸惑いながらも説明を始めた。
内容は的確で、美しく整理されていた。
教師が満足そうに頷く。
「見事です」
小さな拍手が起きた。
エリシアは少し頬を染める。
その隣で。
レオンハルトが、わずかに誇らしげな表情をしていた。
それを見逃した者はいない。
⸻
休み時間。
ついに結論が共有される。
「……あれ、仲悪いんじゃなくて」
「むしろ」
「めちゃくちゃ仲良くない?」
誰かが言った。
否定する者はいなかった。
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一方、エリシア本人は首を傾げていた。
「今日は皆さん、やけに静かですね」
「そうだな」
レオンハルトは平然と答える。
「穏やかで良いことです」
原因はあなたです、とは誰も言えない。
⸻
教室の隅で、リリアーナは深く頷いた。
「理解しました」
小さく呟く。
「これは恋愛競争ではありません」
そして、きっぱりと結論づけた。
「観察対象ですわ」
こうして学院内に、新たな共通認識が生まれた。
氷の公爵令息。
その正体は――
婚約者限定、極度の溺愛体質。
そして当の本人たちだけが、それに気づいていなかった。




