第4話 ダンス予約は一年分
王立アルヴェリア学院の午後。
貴族科一年生の必修科目――社交舞踏の授業が始まろうとしていた。
広い舞踏室には磨き上げられた床が輝き、生徒たちは期待と緊張を滲ませて整列している。
この授業には、暗黙の意味があった。
すなわち――。
「誰と踊るか」である。
「最初のパートナーって重要なのよね」
「社交界でも話題になるもの」
「公爵令息は誰を選ぶのかしら……」
視線が一斉に向く。
当然、その先にはレオンハルトがいた。
壁際に静かに立つ姿は相変わらず近寄りがたく、誰も声をかけられない。
(わ、わたくしからお願いするのは目立ちすぎますわよね……)
少し離れた位置で、エリシアは控えめに視線を落としていた。
学園では距離を取るべき。
そう決めている。
――決めている、はずなのに。
「エリシア」
呼ばれた。
当然のように。
「こちらへ」
すでに手が差し出されている。
周囲がどよめいた。
(やっぱりですの!?)
逃げ場はない。
エリシアが近づいた瞬間。
「少々お待ちくださいませ!」
凛とした声が響いた。
人垣を割って現れたのは、赤みがかった金髪の令嬢。
堂々とした歩み、誇り高い視線。
伯爵令嬢ミレイユ・カーディアだった。
「グランディール様」
優雅に一礼する。
「最初のダンス、わたくしにお譲りいただけません?」
場が静まり返る。
正面からの挑戦だった。
令嬢たちが息を呑む。
エリシアは思わず一歩下がりかけた。
(当然ですわ……本来なら、こうあるべきですもの)
だが。
「無理だ」
即答だった。
間髪入れない拒否。
ミレイユが瞬きをする。
「……理由を伺っても?」
「すでに決まっている」
レオンハルトは当然のように隣を見た。
「最初のダンスはエリシアと踊る」
ざわっ、と空気が揺れる。
ミレイユの眉がぴくりと動いた。
「ですが授業は自由選択のはずですわ」
「その通りだ」
「でしたら――」
「だから選んだ」
淡々とした返答。
「婚約者を」
沈黙。
エリシアの心臓が跳ねる。
(い、言い方……!)
ミレイユは一瞬言葉を失い、しかしすぐに立て直した。
「では次の曲を」
「それも無理だ」
「では三曲目を」
「無理だ」
会話が成立しない。
「……全部ですの?」
「全部だ」
周囲から吹き出す声が漏れた。
ミレイユは完全に固まった。
「まさか……」
ゆっくり尋ねる。
「全て予約済み、と?」
レオンハルトは頷いた。
「一年分」
舞踏室が爆発した。
「一年分!?」
「聞いたことないわよそんなの!」
「本気すぎる!」
エリシアの思考は停止していた。
(い、一年……?)
「授業開始前に提出する希望表があっただろう」
「……ありましたわね」
「全部エリシアの名前で出した」
当然の報告だった。
教師までもが遠い目をしている。
ミレイユは数秒沈黙し――やがて、ふっと笑った。
「……なるほど」
扇子を開き、楽しげに目を細める。
「これは失礼いたしましたわ」
くるりと踵を返す。
「どうやら、わたくしの入り込む余地は最初からなかったようですもの」
去り際、小さく呟いた。
「……ですが、面白いですわね」
その言葉を残し、列へ戻っていく。
教師が咳払いをした。
「では、パートナーを組みなさい」
音楽が流れ始める。
レオンハルトは自然に手を差し出した。
「行こう」
「……はい」
手を取った瞬間、周囲の視線が消える。
踊り始めれば、彼の動きは驚くほど滑らかだった。
「緊張しているか?」
「少しだけ……」
「問題ない。私に合わせればいい」
優しく導かれる。
完璧なリード。
(どうしてこの方は、こんなにも……)
胸の奥が静かに揺れる。
遠くでそれを見ていたミレイユが、ぽつりと呟いた。
「……悪役令嬢、ですって?」
扇子の向こうで笑う。
「どこがですの」
こうして新たな観察者が誕生した。
そして学院の噂は、さらに修正される。
――公爵令息は冷酷。
ではなく。
――婚約者限定で、別人。




