第1話 入学式と噂の婚約者
王立アルヴェリア学院の入学式は、例年通り華やかに――そして、例年以上に騒がしかった。
「見ました? あの方よ」
「ええ、噂の侯爵令嬢……」
「悪役令嬢って、本当にあんな雰囲気なのね」
ひそひそと交わされる声は、決して小さくない。
その視線の中心にいるのは、エリシア・ローゼンフェルト。
淡い銀の髪を丁寧に結い上げ、背筋を真っ直ぐ伸ばした侯爵令嬢は、非の打ち所のない淑女そのものだった。完璧すぎる所作が、かえって周囲に距離を感じさせる。
――また、ですわね。
慣れている。少なくとも、表面上は。
エリシアは静かに微笑みを保ったまま、視線を正面へ向けた。
(気にしてはいけないわ。私は侯爵家の娘。学院では慎ましく、問題を起こさず……)
それが婚約者の迷惑にならない唯一の方法なのだから。
婚約者。
その存在を思い浮かべた瞬間、周囲のざわめきがわずかに強くなった。
「ねえ、公爵令息は?」
「まだ来ていないらしいわ」
「婚約者と一緒じゃないのね」
くすくす、と笑いが混じる。
「やっぱり不仲なのよ」
「政略婚約だもの」
「そのうち婚約破棄でしょう?」
――そう、なのかもしれない。
エリシアはわずかに視線を伏せた。
レオンハルト・グランディール。
公爵家嫡男にして、王国随一の才人。冷徹無比と名高く、誰にも心を許さないと噂される青年。
そんな人にとって、自分との婚約など義務でしかないはずだ。
(せめて、足を引っ張らないようにしなくては)
そう決意したときだった。
「――あの、失礼します!」
明るい声が割り込んできた。
振り向くと、見慣れない少女が立っている。柔らかな栗色の髪に、どこか庶民的な親しみやすさ。
「あの、ローゼンフェルト様ですよね? 私、リリアーナと申します!」
周囲がざわめく。
「聖女候補……!」
「今年の特例入学の?」
少女は輝くような笑顔で続けた。
「学院に知り合いがいなくて……よかったら仲良くしていただけませんか?」
突然の申し出に、エリシアは一瞬言葉を失った。
――どう対応すべきかしら。
貴族令嬢としては丁寧に応じるべき。けれど、あまり親しくすればまた余計な噂が立つかもしれない。
迷い、口を開きかけた、そのとき。
「エリシア」
低く落ち着いた声が背後から響いた。
空気が変わる。
ざわめきが、ぴたりと止まった。
振り返らなくても分かる。
「……レオンハルト様?」
「迎えに来た」
当然のような声音だった。
黒の制服を完璧に着こなした青年――レオンハルト・グランディールが、エリシアの隣に立つ。
周囲の空気が凍りつく。
「式は長かっただろう。疲れていないか?」
「い、いえ……大丈夫ですわ」
自然すぎる距離。
自然すぎる気遣い。
それは、とても“不仲な婚約者”の態度ではなかった。
リリアーナが目を丸くする。
「あ、あの……グランディール様?」
「誰だ?」
温度が変わった。
先ほどまでの柔らかな声が嘘のように、淡々としている。
「えっと、私、聖女候補で――」
「そうか」
興味を失った声だった。
そして次の瞬間。
「行こう、エリシア。昼食の時間だ」
「え?」
「席は用意してある」
ごく自然に差し出された手。
エリシアは戸惑いながらも、それを取る。
――取ってしまってから、はっとした。
周囲の視線が、信じられないものを見るように集まっている。
(ち、近すぎませんこと……!?)
しかし当の本人は気にした様子もない。
「今日から忙しくなる。無理はするな」
「……はい」
二人は並んで歩き出す。
取り残された生徒たちは、しばらく沈黙し――。
「……え?」
「不仲、じゃなかったの?」
「むしろ……」
誰かが小さく呟いた。
「――すごく、仲良くない?」
その日、学院の噂は静かに書き換えられ始めた。




