6話 隣国の建国記念祭と、深まる溺愛
ガルディア王国は、建国以来最大とも言える熱狂に包まれていた。
今日は、この国の建国記念祭。そしてそれ以上に国民を熱くさせているのは、死の土地を蘇らせた「奇跡の聖女」エリンが、カイル王のパートナーとして初めて公の場に姿を現すという事実だった。
「エリン、準備はいいか?」
王城の控室。鏡の前に立つエリンの肩に、カイルがそっと手を置いた。
鏡の中に映る自分を見て、エリンは思わず息を呑んだ。
纏っているのは、カイルがこの日のために大陸中から最高の職人と魔導師を集めて作らせた「星屑のドレス」。極薄のシルクには粉末状に砕いた魔石が織り込まれ、エリンが動くたびに、夜空の銀河が揺らめくような輝きを放つ。地味だと言われ続けた茶色の髪は、エリン自身の魔力が高まったことで艶やかな琥珀色へと変化し、カイルから贈られた大粒のサファイアのティアラがその頭上で誇らしげに輝いていた。
「……これが、私……?」
「ああ。君の美しさに、今日は我が国民全員がひれ伏すことになるだろう。正直なところ、あまりに眩しすぎて、誰の目にも触れさせたくないという独占欲と戦っているところだ」
カイルは冗談めかして言いながらも、その瞳には熱い情熱が宿っていた。彼はエリンの手を取り、その甲に深く、長く口づけを落とした。
「バトラー王国では、君はいつも影に隠れていた。だがここでは、君こそが光だ。胸を張って、私の隣を歩いてくれ」
「はい、カイル様。……あなたが見つけてくれたこの命、すべてを懸けてあなたとこの国を支えます」
城のバルコニーに二人が姿を現した瞬間、広場を埋め尽くした数万の民衆から、地響きのような歓声が上がった。
「エリン様だ!」「真の聖女様、万歳!」「カイル陛下、万歳!」
降り注ぐ花の雨。かつて「無能」と石を投げられた少女に、今は惜しみない祝福が送られている。エリンがそっと手をかざし、民衆の幸せを祈って魔力を解放すると、空には季節外れの虹がかかり、会場中の花々が一斉に開花した。
その光景は、神話の一幕のようだった。
祭典のメインイベントである晩餐会。豪華な顔ぶれが並ぶ中、エリンはカイルと共に上座に座っていた。カイルは給仕が料理を運んでくるたびに、「これは君の口に合うだろうか」「冷えてはいないか」と、周囲の目も憚らずに甲斐甲斐しくエリンの世話を焼く。
「カイル様、皆様が見ていらっしゃいます……」
「構わない。君を愛でることが私の最優先事項だと、全貴族に知らしめる必要があるからな。これで変な虫も寄り付かないだろう」
カイルのあまりの溺愛ぶりに、周囲の貴族たちは苦笑しながらも、二人の仲睦まじい様子に目を細めていた。かつての「冷徹王」はどこへやら、今の彼は愛する女性を守り、慈しむ一人の情熱的な男に変わっていた。
しかし、そんな祝祭の最中、宰相が青ざめた顔でカイルに耳打ちをした。
「陛下……例の国から、また使者が。今度は王家からの公式な『嘆願書』です」
カイルの表情が瞬時に氷のように冷え切った。彼はエリンに気づかれないよう席を立とうとしたが、エリンはそっと彼の袖を引いた。
「カイル様、私にも見せてください。もう、逃げたくありませんから」
差し出された書状の内容は、惨めなものだった。
バトラー王国では、エリンが去った後、国内の主要な水源が完全に枯渇。さらに、聖女ミナが「奇跡」と称して大地から無秩序に魔力を吸い上げ続けた結果、王都周辺は不毛の砂漠と化し、飢饉が始まっているという。
レオナルド王子は廃嫡の危機にあり、国王は「エリンを返してくれとは言わない。せめて、この飢えを凌ぐための食料と、浄化の魔石を恵んでほしい」と、プライドを捨てて縋り付いてきていた。
かつてエリンを路頭に迷わせ、死に追いやろうとした国。
エリンはその書状を読み終えると、静かにカイルを見上げた。
「カイル様。私は、彼らを許すことはできません。私が大切に育てた花を、大地を、踏みにじった人たちですから」
「ああ、私も同感だ」
「ですが……あそこの民草に罪はありません。……カイル様、もしよろしければ、我が国で余っている『浄化の種』を売るというのはいかがでしょうか? もちろん、適正な……いえ、少し高めの価格で」
カイルは驚いたように目を見開き、やがて愉快そうに笑い声を上げた。
「くくく……なるほど。慈悲を与えるのではなく、商売として彼らの首を絞めるわけか。エリン、君は意外と策士だな。私の王妃にふさわしい」
エリンは悪戯っぽく微笑んだ。
「ただ助けるだけでは、彼らはまた同じ過ちを繰り返します。自分の足で立ち、どれほど私の仕事が重かったかを、身銭を切って学んでいただくのが一番ですから」
この決定により、バトラー王国は首の皮一枚で繋がることになるが、同時にガルディア王国への莫大な借金を背負い、事実上の属国へと転落していくことになる。
レオナルドが、そしてミナが、かつて自分たちが馬鹿にしていた「地味な仕事」のために、一生をかけて這いつくばりながら金を払い続ける未来が確定した瞬間だった。
「さて、仕事の話は終わりだ」
カイルはエリンの腰を抱き寄せ、ダンスホールの中心へと導いた。
「今夜はまだ長い。君と踊り、君を愛でる時間を、誰にも邪魔させはしない」
星屑のドレスが舞い、二人は夢のような旋律の中に溶けていく。
遠くで滅びゆく国の影など、今のエリンの視界には一欠片も入っていなかった。




