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5話 王子の自業自得。聖女を失った王国の凋落


 ガルディア王国とバトラー王国の国境、白亜の関所。

 そこには、対照的な二つの陣営が向かい合っていた。


 一方は、漆黒の毛並みを持つ巨馬に跨り、堂々たる威厳を放つカイル王。その腕の中には、最高級の絹を纏い、まるで女神のような輝きを放つエリンが守られるように座っている。

 対するバトラー王国の陣営は、見る影もなく荒廃していた。兵士たちの鎧は薄汚れ、彼らが跨る馬は元気がなく足取りが重い。そしてその中心にいるレオナルド王子は、不眠と焦燥からか目の下にどす黒い隈を浮かべ、かつての端正な面影を失っていた。


「……エリン、お前なのか? 本当に、エリンなのか……?」


 レオナルドの声は震えていた。

 彼が知っているエリンは、いつも俯き、泥に汚れた修道服を着て、黙々と雑用に励む地味な女だったはずだ。だが今、目の前にいる女性は、カイル王の寵愛を一身に受け、自信と慈愛に満ちた、目も眩むような「真の聖女」そのものだった。


「お久しぶりでございます、レオナルド殿下。いえ、もう私は貴国の民ではありませんから、他国の王族としてのご挨拶をすべきでしょうか」


 エリンの声は鈴を転がすように澄んでいたが、その響きは氷のように冷たかった。


「ふざけるな! 誰の許しを得て、そのような格好をしている! お前は我が王国の所有物であり、私の婚約者だ。その男の手を離し、今すぐこちらへ戻ってこい!」


 レオナルドが叫ぶ。その傲慢な物言いに、エリンの横でカイル王の眉がぴくりと動いた。カイルから放たれた冷徹な殺気が、国境の空気を一瞬で凍りつかせる。


「……所有物、だと? レオナルド王子。君の耳は飾りか? 私は昨日、君の国が彼女を『国外追放』とした公式文書をしかと受け取っている。彼女を捨てたのは君だ。そして、傷つき倒れていた彼女を拾い上げ、私の国の宝として迎えたのは私だ」


 カイルの低い声が、大地を震わせるように響く。


「彼女はもはや、私の魂の一部も同然。これ以上、その汚らわしい口で彼女を侮辱するなら、この国境を血で染めることになるが……構わないか?」


 ガルディア軍の精鋭たちが、一斉に剣を抜く。その鋭い金属音に、バトラー王国の兵士たちは恐怖で数歩後ずさった。


「くっ……! エリン、お前からも何か言え! お前は慈悲深い聖女だろう? 今、我が国がどうなっているか分かっているのか! 井戸は枯れ、作物は腐り、魔物どもが結界を破って街を襲っているんだぞ! お前さえ……お前さえ戻ってくれば、すべて解決するんだ!」


 レオナルドは必死だった。彼が「奇跡の聖女」と崇めたミナは、派手な光を出すことはできても、大地を癒やすことも水を浄化することもできなかった。それどころか、彼女が魔法を使うたびに周囲の生命力が吸い取られ、土地の荒廃は加速する一方だったのだ。


 エリンは静かに、カイルの腕の中からレオナルドを見下ろした。


「殿下、あなたは私を『掃除婦』だと笑いましたね。私の力は『雑用レベル』だと。……その通りです。私は毎日、王国の隅々まで『掃除』をしていました。魔力の淀みを払い、大地の疲れを取り、毒を浄化する。あなたが『何も起きていない』と笑っていた平和な日常は、私が毎日欠かさず積み上げてきた『雑用』の結果だったのです」


 エリンの言葉に、レオナルドは言葉を失う。


「あなたが捨てたのは、一人の地味な女ではありません。王国の安寧そのものだったのですよ。それを今さら『戻れ』とは……あまりに虫が良すぎます」


「そんな……。だが、お前がいなければ我が国は滅びるんだぞ! 民が死んでもいいと言うのか!」


「それを救うのは、今あなたの隣で震えている『真の聖女』様の役目ではありませんか?」


 エリンが視線を向けると、レオナルドの背後に隠れるようにして、泥だらけのドレスを着たミナがいた。彼女の顔は恐怖で引き攣り、かつての愛らしさは微塵もなかった。


「あ、あわわ……私、私は……レオ様が『咲かせろ』って言ったから……」

「黙れミナ! 役立たずめ!」


 レオナルドがミナを突き飛ばす。その醜態を、カイルは冷ややかに笑い飛ばした。


「見苦しいな。エリン、もう十分だろう。こんな愚か者たちの相手をする時間は、今の君には無駄だ」


 カイルは馬を反転させようとした。だが、レオナルドは諦めきれず、狂ったように叫びながら剣を抜こうとした。


「待て! 行かせるか! エリンは私の――」


 その瞬間、レオナルドの足元の地面が爆発した。

 エリンが指先を少し動かしただけで、大地が怒り狂うように隆起し、レオナルドを吹き飛ばしたのだ。


「……これ以上、私に触れないでください。そして、私の大切なカイル様を侮辱しないで。次に剣を向けたら、あなたの国から『慈悲』を完全に引き剥がします」


 黄金の魔力を瞳に宿したエリンの姿は、まさしく「原初の聖女」の威厳に満ちていた。

 レオナルドは泥の中に転がり、ただ呆然と、遠ざかっていくエリンの背中を見つめることしかできなかった。


 ガルディア王城へと戻る道中、カイルはエリンを背後から包み込むように抱きしめた。


「よく言った、エリン。君の強さに、改めて惚れ直したよ」

「カイル様……。私、少し怖かったです。でも、もう迷いません」

「ああ。あの国はもう終わりだ。だが、君の手で新しく生まれ変わったこの国は、これから永遠の繁栄を迎えるだろう。……準備を始めよう。君を、私の正式な王妃として迎えるための、世界一華やかな儀式の準備を」


 エリンの頬を、カイルの温かい唇が掠める。

 一方、国境に取り残されたレオナルドたちの耳には、バトラー王国の方角から、巨大な魔物の咆哮が風に乗って聞こえてきていた。



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