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第3話 隣国の若き「冷徹王」の意外な素顔


 ガルディア王国の王城「アイゼンフェルス」の朝は、バトラー王国のそれとは全く異なるものだった。

 エリンが目を覚ますと、窓からは抜けるような青空と、険しくも雄大な山々が見えた。柔らかなシルクの寝具、繊細な刺繍が施されたカーテン。バトラー王国の実家では、聖女の務め(という名の雑用)のために、いつも日の出前に起きて冷たい水で顔を洗うのが日課だったエリンにとって、この穏やかな目覚めは現実味のない夢のようだった。


「……あ、おはようございます」


 寝台の脇に控えていた侍女たちが、エリンが身を起こすと同時に一斉に深く頭を下げた。


「お目覚めになられましたか、エリン様。カイル陛下より、お目覚めになったらすぐに極上の朝食を用意するようにと仰せつかっております」

「あ、あの、私のような者にそんな……。自分で準備できますから」


 慌てて断ろうとするエリンだったが、侍女たちは微笑みながらも譲らなかった。


「いいえ、陛下からは『彼女の指一本、汚させぬよう。もし彼女が自分で動こうとしたら、私の配慮が足りないということだ』と厳命されております。どうか、私たちを失業させないでくださいませ」


 エリンは困惑しながらも、着替えを済ませ、テラスへと案内された。

 そこに待っていたのは、漆黒の軍服を脱ぎ、ゆったりとした白いシャツを纏ったカイル王だった。朝の光を浴びる彼の姿は、昨夜の「冷徹王」の威圧感とは裏腹に、驚くほど神々しく、そしてどこか優しげだった。


「気分はどうだ、エリン。昨夜の熱は引いたようだが」

「はい、おかげさまで。……あの、カイル陛下。昨夜は助けていただいただけでなく、このような過分なもてなしまで……」

「過分? 冗談はやめてくれ。私の城にこれほど美しい客人を迎えるのは初めてだ。むしろ、もてなしが足りないのではないかと不安だったところだ」


 カイルは迷いなくエリンの隣に座ると、自ら彼女のカップに紅茶を注いだ。その所作の一つひとつが洗練されており、バトラー王国のレオナルド王子がいつも「俺の茶が冷めている!」と怒鳴り散らしていた姿とは雲泥の差だった。


「さあ、食べてくれ。君は少し痩せすぎだ。聖女としての激務で、まともな食事も摂らせてもらえなかったのだろう?」

「それは……。でも、聖女は清貧であるべきだと教えられてきましたから」

「清貧と搾取を履き違えているな、あの国は。エリン、私の国ではそんな我慢は必要ない。君が笑うことが、我が国にとっての最大の利益だ」


 カイルの言葉は、単なる社交辞令には聞こえなかった。彼の真っ直ぐな瞳に見つめられ、エリンは胸の奥が温かくなるのを感じた。


 食事を終えた後、カイルはエリンを城の裏手に広がる「禁じられた庭園」へと連れ出した。

 そこは、かつての戦争で呪いを受け、何十年もの間、草一本生えない死の土地と化している場所だった。


「冷徹王」と呼ばれるカイルが、なぜこの場所をエリンに見せたのか。彼女はその理由をすぐに悟った。


「エリン。私は君の力を試そうというのではない。ただ、君が昨日漏らした魔力の片鱗を見て、確信したんだ。君なら、この土地の『悲しみ』を癒やせるのではないかと」

「この土地の……悲しみ……」


 エリンが地面に手を触れると、地中から叫びのような痛みが伝わってきた。バトラー王国で感じていた「汚れ」とは次元が違う、深い呪縛。けれど、エリンの中に眠る魔力は、拒絶するどころか、その痛みを包み込もうと波打ち始めた。


「やってみます。私にできることがあれば」


 エリンは目を閉じ、祈りを捧げた。

 バトラー王国では、いつも「目立たないように、最低限だけ」と抑え込まれていた力。レオナルドからは「雑用レベル」と言い捨てられた力。

 けれど今、カイルが隣で静かに見守ってくれている。その安心感が、エリンの心の枷を外した。


 ――満たせ、芽吹かせ、癒やしたまえ。


 その瞬間、エリンの体から目も眩むような黄金の光が溢れ出した。

 それは単なる浄化の魔法ではなかった。大気を震わせ、大地に直接語りかけるような、原初の生命の輝き。

 茶褐色のひび割れた大地から、奇跡のような速度で青々とした芽が吹き出し、瞬く間に大輪の花々が咲き誇っていく。死の土地に風が吹き抜け、枯れていた泉から清らかな水が湧き上がった。


「これは……」


 カイルが息を呑む。

 数分前まで荒野だった場所は、今や楽園のような美しさに包まれていた。


「ふぅ……」


 魔法を終えたエリンが、少しふらりとよろめく。それをカイルがすぐさま抱きとめた。


「エリン! 大丈夫か?」

「はい……。少し、出しすぎてしまったみたいです……。でも、この子たちが笑っているのが分かります」

「出しすぎ、どころではない。これほどの規模の環境再生を、一瞬で成し遂げるなど……。伝説の『原初の聖女』でもなければ不可能だ」


 カイルは、腕の中に収まった小さな少女――けれど世界を塗り替える力を持つ彼女を、宝物を扱うような手つきで抱きしめた。


「君は、自分がどれほどの存在か分かっていないようだな。レオナルドは……あの愚か者は、太陽を捨ててランプの火を選んだのだ」

「カイル様……」

「エリン、約束してくれ。君のその力は、これからは君を愛する者のために、そして君自身が幸せになるためにだけ使ってほしい。私が全力で君を隠し、守り抜こう」


 カイルの胸の鼓動が、エリンの背中に伝わってくる。

 それは「王」としての契約ではなく、一人の「男」としての切実な誓いのように聞こえた。


 一方その頃、バトラー王国。

 エリンが去ってから二日。王宮の最高級のバラが、すべてどす黒く変色し、崩れ落ちた。

 不吉な予感に震えるレオナルド王子の元に、さらなる報告が届く。


「殿下! 王都の井戸から泥水が湧き出ております! 浄化魔法が……全く効きません!」


 破滅の足音は、確実に忍び寄っていた。



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