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2話 雨の国境と、拾い上げられた手


叩きつけるような雨が、エリンの薄いドレスを容赦なく打ち据える。

王都の華やかな灯火はすでに遠のき、周囲には深い森の闇が広がっていた。足元は泥濘ぬかるみと化し、一歩進むたびに体力が削られていく。


「……はぁ、はぁ……」


肺が焼けるように熱い。レオナルド王子に投げつけられた金貨の袋は、重すぎて途中で茂みに隠した。今の私には、明日を生きるための金よりも、一晩の雨を凌ぐ屋根の方が切実だった。


エリンは木陰に身を寄せ、震える肩を抱いた。

(私が……何をしたっていうの)

幼い頃から、聖女としての教育を叩き込まれてきた。友達と遊ぶ時間も、お洒落を楽しむ時間もすべて削り、ただひたすらに国の結界を維持し、枯れゆく大地に魔力を注いできた。

地味だと笑われても、それが国民の平穏を守ることだと信じていたから耐えられた。


だが、報いは「国外追放」という名の死刑宣告だった。


「……もう、いいよね」


ふっと、意識が遠のく。

極度の魔力枯渇と低体温。エリンの瞳から光が消えようとしたその時、雨音に混じってひづめの音が聞こえてきた。


「おい、こんなところで何をしている」


低く、地響きのような声。

エリンが重い瞼を持ち上げると、そこには漆黒の巨馬に跨った一人の男が立っていた。

濡れた黒髪から滴る水滴が、彫刻のように整った鼻梁を伝い落ちる。瞳は深い宵闇の色をしていたが、その奥には凍てつくような鋭い光が宿っている。


「……あ……」


声が出ない。エリンの体は限界を迎え、そのまま前へとのめり込むように倒れ込んだ。

地面の泥に顔をつく直前、鉄のように硬く、けれど温かい腕が彼女の細い腰を抱きとめた。


「ひどい熱だ。それにこの魔力の減り方は……。おい、しっかりしろ」


男の纏うマントが、エリンの冷え切った体を包み込む。高級な獣脂と、微かに香る白檀のような匂い。

エリンは薄れゆく意識の中で、男の胸元に刻まれた紋章を見た。それは、隣国ガルディア王国の象徴――「不倒の獅子」の紋章だった。


ガルディア王国。

軍事大国であり、現国王カイル・ガルディアは「冷徹王」として恐れられている。情け容赦なく敵を討ち、感情を表に出さない氷の君主。


(ああ……私、殺されるのかな……)


そんな絶望的な思考を最後に、エリンの意識は深い闇へと沈んでいった。


どれほどの時間が経っただろうか。

次に目覚めた時、エリンを包んでいたのは雨の冷たさではなく、柔らかな羽毛の感触だった。


「気がついたか」


寝台の傍らに座っていたのは、先ほどの男だった。甲冑を脱ぎ、くつろいだ格好をしていながらも、隠しきれない王者の覇気が漂っている。


「ここは……」

「我が王城の客室だ。国境付近を見回っていたところ、お前が転がっていた。……クロムウェル公爵家の長女、エリンだな?」


エリンはびくりと肩を震わせた。

「なぜ……私の名前を?」

「バトラー王国の愚かな王子が、夜会で婚約破棄を叫んだという報せはすでに届いている。我が国の密偵は無能ではないのでな」


カイルは組んでいた足を解き、エリンの顔を覗き込んだ。その距離の近さに、エリンは息を呑む。


「エリン。お前はあちらの国で『無能』と呼ばれていたそうだが……。私の目には、そうは見えない」

「え……?」

「お前が倒れていた場所の周囲だけ、雨の中でも草花が枯れずにいた。それどころか、お前の魔力が漏れ出した影響で、土壌が異常なまでの生命力を宿していた。……あれを『無能』と呼ぶ奴の目は、飾りか何かか?」


カイルの言葉に、エリンの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

家族からも、婚約者からも、国民からも否定され続けた私の力を。

「冷徹」と恐れられる他国の王が、たった一度会っただけで見抜いてくれた。


「お前を我が国に迎えたい。客分としてではない。『専属の癒やし手』としてだ」

「私のような、追放された女をですか……?」

「追放されたからこそ都合がいい。前国との縁が切れているなら、私はお前を心置きなく……甘やかすことができるからな」


カイルの口角が、ほんの少しだけ上がった。それは冷徹という噂からは程遠い、酷く独占欲に満ちた笑みだった。


「エリン、お前はここで、本当の価値を知ることになる。……そして、お前を捨てた者たちが、どれほど愚かな選択をしたのかを思い知らせてやる」


エリンは、差し出された大きな手を見つめた。

その手を取れば、もう後戻りはできない。穏やかだった「地味な聖女」としての生活は終わり、激動の運命が始まるだろう。


けれど、エリンに迷いはなかった。

自分を認め、必要としてくれる人のために、この力を使いたい。


「……はい。よろしくお願いいたします、カイル陛下」


エリンがその手を取った瞬間、彼女の指先から柔らかな光が溢れ出し、カイルの手に温かな熱を伝えた。

それは、失われたはずの聖女の力が、真の居場所を見つけた証だった。


一方その頃。

エリンがいなくなったバトラー王国の王宮では、早くも異変が起き始めていた。

豪華な庭園の花々が、一晩にして黒く変色し始めていたのである。




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