あんまり救いの無い話
タイトル通りのお話です。
魔王サウ・ウェルキンゲトリクスは誰よりも強大な力を持つ存在であったと、歴史にはある。
それまで魔族は長いこと人間と争っていたけれど、彼は人間を一人残らず滅ぼすと言う偉業を成し遂げた。
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魔王サウは、最初は小さなスライムの魔族であった。
彼はどうしてこの世界の片隅に生まれたかも定かでは無い。
気付いたら暖かな腕に抱かれて、大事に揺られながら移動していた。
その腕の持ち主は魔王城で働く女悪魔のベル・ウェルキンゲトリクスであった。
「魔王陛下!自然発生したスライムですよ!とっても大人しい子です!」
「おお……」
年老いた魔王コースは笑って、ベルからサウを受け取ると、『祝福』を授けた。
インフィニティドラゴンであるコースは、己の魔力を割譲することが出来るのだった。
「お前の名前はサウだ。これからサウと名乗りなさい」
ぱちん!
目が開いて、サウの世界に光が訪れた。
その瞬間サウは、出来たばかりのぱちくりとした一つの目で周りを見渡した。
誰も彼もがニコニコとした顔でサウを見つめていて、可愛いねえ、小さいねえ、と彼を優しい手つきで撫でる。
サウはまだ聴覚を得ていなかったが、触覚が伝える暖かさと柔らかな光で覆われた世界が、彼と彼の存在をとても歓迎していることは分かったのだった。
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サウは魔王城や、魔王城の近隣の安全な場所で育った。
ベルが率先して彼の世話を焼いてくれて、美味しい草を食べさせ、清らかな水を飲ませてくれるのだった。
すぐにベルのことを好きになったサウは、音の振動で彼らが意思疎通をしていることに気付いた。
光による感覚と似たようなもので、サウはしばらく学習した結果、聴覚と声帯を自力で生み出して獲得したのだった。
「ベう!べう!べうー」
と言っても最初は幼児が喃語を話すように、たどたどしい会話しか出来なかった。
「わあっ!サウ、お話しできるようになったの?」
「べうー!」
ぱちくり、ぱちくり。
ベルと一生懸命に呼んでいるつもりだったが、悲しいかな、「べうー」もしくは「えうー」としか聞こえない。
それでもサウは何度も瞬きまでして、ベルに意思を伝えようとした。
「よしよし、サウはお利口さんだ!でもごめんね、今日はちょっと忙しくて……明日必ずお話をしようね!」
謝ってからベルはサウを優しく一撫でして、魔王城の方へ走っていったのだった。
この時、サウは何も知らない。
『勇者』が軍隊を率いて魔族の国に攻め込んで来ている事も。
「……四天王の、『炎のゲシュオ』が!」
魔王城にもたらされた知らせは、老齢の魔王コースに何よりも精神的なダメージを与えた。
ゲシュオとは、コースが己の次の魔王として手塩にかけて育てていた魔族である。
「アイツら……アイツらは子供を人質に取ったんです!」
伝令のダークシルフは泣いていた。
「それなのに、ゲシュオ様が無抵抗で殺された後――その子まで!」
「……」
苦しいだけの沈黙。
「……これで、西の国境砦が落ちたのか……」
今頃は西の土地で虐殺が起きている頃であろう。
「「陛下!私めにお任せ下さい!この『風雷のデビダド』が!必ずや勇者を討ち取ってご覧に入れましょう!」」
進み出たのは勇猛で知られる双子の兄弟デビとダドであるが、魔王コースは首を振った。
「ならぬ!まずは我が国の民を避難させるのだ!」
「「ですが!」」
魔王は落ち着いた声で双子に言った。
「おまえ達には使者を頼みたい。停戦交渉の使者だ。人間が何を望んでいるのかを探って参れ」
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サウはその日、いつものように鉱石を食べていた。
美味しいオリハルコンや、ミスリル、魔法水晶などの貴重な鉱石が魔族の国には当たり前のように転がっているのである。
そこに聞き慣れた足音がして、サウは振り返った。
「べる!」
「サウ、もうお喋り出来るようになったのね……」
ベルはサウを抱きしめると、ぽたぽたと涙をこぼした。
スライムの体に熱い涙が滴って、サウは一つ目で不思議そうにベルを見上げる。
「どしたの、べる?」
ベルは涙を拭いたけれど、止まらなかった。
「デビとダドが、殺されたわ。停戦交渉に赴いたのに……今し方、首だけになって戻ってきたの」
「べる……」
「あの二人が何をしたって言うの……!」
強くサウを抱きしめて、ベルは嗚咽を堪えるのだった。
ベルが泣いている。
ベルが辛くて泣いている。
どうにか、しなきゃ!
サウの世界が一変した。
それまでは小さなスライムだったのに、体の体積や容量を自在に操れるようになったのだ。
ニューッとサウは触手を伸ばして、ベルの涙を拭った。
「なかないで、べる!」
驚いた顔のベルにサウは音声で告げる。
「サウ……?」
「さう、べる、わらうの、すき!」
それでもベルは泣いていたけれど、もう一度サウを抱きしめてくれた。
「……ありがとう、サウ……」
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やがて魔王城に大勢の避難民がやって来た。
西の土地から『勇者』達に追われて、家を燃やされ、住処を奪われた民が逃げてきたのだ。
「お家はこっちです!今、世界樹の木材で追加の仮設住宅を組み立てています!」
その頃にはサウは立派な魔王城の一戦力だった。
相変わらず小さなスライムの姿をしていたものの、その彼の手さえも借りる必要があった。
ベルの配下として、避難民相手にポーションや食料などの配布をし、怪我人に初級の治癒魔法をかけ、毎日毎晩てんてこ舞いになるくらいの忙しさで働いていた。
「……ねえ、ママ……パパはどこ?」
「これからどうなるんだろう」
「何とかして人間を追い払わないと……」
不安そうに会話をしている避難民の間を通り抜けて、サウはベルを探す。
いた!
中年のゴブリン族に絡まれて、謝り倒していた。
「オレの娘を返してくれよ!なあ、オレの娘を返してくれよ!」
「……ごめんなさい」
ベルが可哀想なくらい萎縮していたのでサウは一生懸命に割って入った。
「おじさん、僕がお話を伺います」
けれどゴブリンは彼を足蹴にした。
ベルが息を呑んだ。
「うるせえ!オレの娘を――」
触覚はあるが、サウは痛覚を持たない。
だから彼は冷静に繰り返した。
「おじさん、僕がお話を伺います」
「……っ!もう良い!!!」
ゴブリンは足音喧しく去って行った後で、ベルはお礼を言った。
「ありがとう……サウ」
「良いの!僕、ベルの役に立ちたい!」
小柄なベルの周りをそうやってピョンピョンと跳ね回る小さなスライムの姿に、緊迫した雰囲気に覆われていた避難民の間にも笑顔がちらほらと見えていた。
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勇者の侵略速度は速かった。
ほんの半年後には、魔王城を包囲したのだ。
その頃、サウは避難民を率いるベルの肩で、一生懸命にピョンピョンと跳ねて彼女を励ましていた。
「皆さん、もうすぐ最後の四天王『森のサジュリー』様の結界に入ります!かの大森林に入ればしばらくは安心できます!」
ベルは薄汚れた顔で、必死に先頭に立って避難民を鼓舞している。
――夕暮れの中、断崖絶壁の渓谷を越えた向こう。
細い吊り橋を越えた先に、世界樹のみで出来た巨大な大森林が見える。
避難民はこの数日の必死の逃避行で誰もがくたくたに疲れ果てていたが、吊り橋を見て誰もががむしゃらに体を動かした。
吊り橋の向こう――結界の中では大勢のダークエルフやダークシルフ達が明かりを手に待っている。
それだけじゃない。
先に逃げた避難民の中の数人が、早く!早く!とこちらを手招きしているのだ。
もう少し。
もう少しだ!
避難民が細い吊り橋を渡りはじめた瞬間だった。
何処かから魔法の火球が飛んできて、列の最後尾にいたブラッドオーガが丸焦げになる。
「ぎゃあああああああああっ!」
周りの数名も火だるまになって地面を転がった。
瞬く間に辺り一面が大混乱に陥って、行儀良く並んでいた避難民達が細い吊り橋に殺到した。
あまりにもか細い吊り橋はその狂乱と負荷に耐えきれず、途中でブツリと切れてしまったのだ。
「魔族を殺せ!」
そこを襲ってきたのは魔法兵達だった。
杖を片手に次々と火焔魔法を詠唱する。
逃げ惑う避難民達が次々と焼き払われた。
「止めて!」
ベルが叫んで、肩のサウを地面に落とすなり魔法兵達の前に立ちはだかった。
「ベル!」
咄嗟にサウが叫んだ時、為す術無くベルの体が炎に包まれた。
『――うわあああああああああああああああああああああああっ!!!!!』
サウは声なき絶叫を上げて、ベルを助けようと猛火の中に飛び込んだのだった。
けれど気付けば――何も出来ないまま焼け焦げたサウは、既に事切れたベルの側で死にかけていた。
「『魔法使い』様、このスライムどうします?」
「あ?スライム?……何だ、もう死にかけているじゃないか。こんなの放っておけよ。
それより私達はどうやってこの断崖絶壁の渓谷を越えるかの作戦会議をしなきゃいけない。勇者様も今頃は魔王を仕留めただろう。とっとと帰るぞ」
「へーい」
……ベル。
ベル。
サウはそっと触手を伸ばして、ベルの顔に触れた。
ごめんね、ベル。
ベルの顔からは涙と血の味がした。
――そうだ。
その事を思いついたのは、彼がスライムだったからである。
ベルをこのまま独りぼっちにしたくない。
だから、僕が食べよう。
一仕事終えて、ソレに背中を向けていた『魔法使い』達は、気付くのがあまりにも遅れた。
気付いた時には――その巨大なスライムは彼らの背後に忍び寄り、まるでバケツを引っ繰り返された時の水のように彼らを一瞬で食らいつくしていたのだから。
「……人間って、不味いね」
そう呟くなり、サウはベルの姿を取ってまっしぐらに魔王城へと引き返したのだった。
魔王城は焼け跡と化していた。
その周りには大勢の魔族の死体が転がっていた。
それらを一つ一つ食べながら、焼け跡の中を歩いて回っていたサウは、心臓を貫かれて息絶えた魔王コースの亡骸を見つけた。
『お前の名前はサウだ。これからサウと名乗りなさい』
あの優しい『祝福』はもう何処にも無い。
今ここにいるのは、人間を、同胞の骸を食べるスライムが一匹。
サウはコースの亡骸を食べると、呟いた。
「ベル、僕は魔王になるよ。魔王……そうだね、魔王サウ・ウェルキンゲトリクスになる」
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『勇者』達は異変に気付くのがあまりにも遅れた。
よもや大きな都市ごと跡形も無く人間を平らげるスライムが現れ、単身で人間の世界を滅ぼそうとしているなんて誰が予測できただろうか。
ぺろり。ぺろり。ぺろり。ぺろり。
ごくり。ごくり。ごくり。ごくり。
『勇者』達が己も捕食された事に気付いたのは――彼らも刹那の内にスライムに飲み込まれ、四肢を溶かされている時であった。
何が起きたのか慌てて周囲を探ろうとしても、既に『勇者』の五感は溶解されていたのだった。
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最後の四天王『森のサジュリー』の元にやって来た魔王サウ・ウェルキンゲトリクスは、もう脅威となる『人間』はこの世に一人も存在しない事、もう外に出ても安心である事を告げて、大森林を去って行った。
「貴方は、何処に行かれるつもりなのですか?」
サジュリーが思わず呼び止めて訊ねると、サウは振り返らずに答えた。
「遠いところに行くよ。でも、ベルに出来るだけ近いところに」
その後の歴史に魔王サウ・ウェルキンゲトリクスは何処にも登場しない。
残っているのは、生き延びた魔族達が再び国を作り上げ、穏やかに暮らした事だけである。




