第1話 世界の終わり、陰渓の森(8)
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こうして、ツェーネン王国史上稀に見る一大プロジェクト『不死兵団製造計画』の幕が切って落とされた。
謁見の間から出てきたふたりを不穏な空気が包む。いったいどこから漏れたのか、計画の内容までもが翼を得た神馬の如き素早さで城内を駆け巡ったらしい。耳打ち声さえ滔々と響き渡る大河の奔流に変えてしまう玉座からの声を十分に遮音できなかった広間設計者の敗北である。
「⋯⋯面倒なことになりましたね」
憔悴しきった顔でアミラザールがつぶやく。
「まぁ、いいさ。陰渓の森にはちょっと行ってみたいと思ってたとこだったし。大賢者とやらに話したいこともあるし」
「え、大賢者をご存知なんですか?」
「たぶん、あいつだろうなって程度だけど。でも、間違いないと思うぞ」
アミラザールの双眼に輝きが蘇る。
「それはもしかして⋯⋯建国の英雄のひとりでしょうか」
「その目やめろ」
自分に向けられた仔犬のようにつぶらな瞳を嫌ってか、スレオニールは歩みを早めた。
「冗談はさておき、大賢者訪問団はどのくらいの規模で行うべきでしょうか。国王陛下からのご下命ですし、やはりそれなりの体裁を繕うべきかと」
要は人数を増やして自分もそこに紛れ込みたいと言っているのだ。
下心丸出し男をスレオニールは呆れたようにジト目で睨む。
「なに言ってんだ。おまえんことの子供たちはどうすんだよ。置いてくつもりか?」
「でも仕事ですし、数日なら家を空けても許してくれるんじゃないかと⋯⋯」
はあ、と聞こえよがしに大きく溜息を吐くスレオニール。
「あのな、あの子らは一度、家も親も失うっていう辛い経験をしてるんだ。それを思い出させる気か? バカ者め」
「でも、お土産も人数分ちゃんと持って帰りますし⋯⋯」
「ダメだダメだ! おまえは連れてかないからな。王は俺に行けと言ったんだ。俺がひとりで行ってくる」
「⋯⋯ミスルはどうするんです?」
「ミスル?」
「まさか、うちで預かれって言うんじゃないでしょうね。あの子も一度、親も家も失った身の上で」
「わかったわかった! あいつは連れて行くよ。打ち解けるためにも旅はいい機会になる」
「じゃあ、自分も子供を連れてご同行しますよ!」
「じゃあ、じゃないだろ! 親子水入らずのとこに割って入ってくんな!」
シュンとうなだれるアミラザール。その姿があまりにも憐れに見えたのか、スレオニールが慰めトーンでフォローに勤しむ。
「まぁ、そう落ち込むなって。帰ってきたらいの一番でおまえに話してやっから。大賢者が何者なのか、陰渓の森がどんな場所なのか包み隠さずつぶさにな。だから、土産話を楽しみに待ってろよ」
機嫌は直らなかった。
言うべきセリフがまだ残されているらしい。
「そうだ! 子供たちへのお土産も持って帰るよ。俺が忘れてもミスルが覚えてるだろうから安心しな。なにがあるんだろうな。禁足地になって久しいから人が入ることはめったにないし、珍しい鉱石や植物があるといいんだが」
しおれていた赤い頭髪が少しばかり立ち上がり、波打っているように見えた。
回復まであと一息だろう。
「えーと⋯⋯まぁ、よくわからんが、そういうこった! 大勢で行って警戒されても事だしな。必要最小限でいいんだよ、こういうことはさ」
ポン、とアミラザールの肩を軽く叩く。
話は終わったようだがアミラザールが納得したかは定かでない。
「⋯⋯百戦錬磨のスレオニール殿がそうおっしゃるのであれば自分はそれに従います。お土産、楽しみにしてますからね!」
「まかせとけって!」
ミスルを連れ帰るためアミラザール邸に立ち寄るスレオニール。大勢の子供たちに別れを告げて帰路に就く間に、彼はミスルに旅への出立を告げる。同行の返事は「うん」であった。今にも消えそうな小さき声であったが、声に秘められた喜びの色を感じられて嬉しく思うスレオニールだった。
*
善は急げ、ということなのだろうか。
数日と経たないうちにスレオニールは出立を余儀なくされていた。
ある薄曇りの日の朝、靄の途切れた時刻にようやくふたりが現れる。彼らの姿を認めて、城の最西端に建つ丹神門に集まった小規模の人垣から遠慮がちな歓声が上がった。
ミスルは外套に頭巾の外出スタイルに旅行気分を爆上げするリュックサック。スレオニールもノースリーブの黒い胴衣に草染のサルエルパンツ。顔を覆うためのストールをベルトのように腰に巻き、砂避けマントを外套としている格好だ。いつもと異なる点があるとすれば、肩に担いだ死体袋の存在だろうか。
ミスルの姿が駆け寄ってきたアミラザールの子供たちの中に埋没するのを見て、スレオニールは足を止めて肩の荷を乱暴に投げ下ろす。
「おぬし⋯⋯その袋はいったいなんじゃ?」
人垣の端に陣取るキャスパールから呆れたような声が出た。
「ああ、これね」
ツェーネン王国から陰渓の森入り口まで大人の足で約三日。さほど遠くはない。問題はその先だ。森の中を通って大賢者の元に辿り着くまでの道のりは過去に例がない。つまり、日数が計算できないのだ。そのため、死体袋と見紛う大きな雑嚢には、野外宿泊用の幕屋とふたり分の衣類。他にも食料や水などが隙間なく詰め込まれていた。
「勅書も一緒くたに入れてあるのか?」
「いやいやいや。それはさすがに見くびりすぎじゃね? 子供じゃないんだからさ」
マントの下に手を差し込み、なにやらモゾモゾと動かしている。
背中から脇の下を通し、胸の前に晒して見せたのは小さな頭陀袋だった。どうやら袋を袈裟懸けし、マントが翻っても見えないよう背中に隠していたらしい。
「ふむ。おぬしにしてはなかなか気が利いておる」
「預かったのが勅書だけならともかく、金子もあったんでね」
「おい」
「金子の袋の中身を見せようか? 国王陛下どうやら本気らしいぜ?」
袋を逆さにすると二十枚の金貨がスレオニールの手のひらに積み上がった。慎ましい生活を営む家庭であれば三年は暮らしていける金額だ。
「な?」
金色に輝く光の塊を見てキャスパールが唸る。
「この度の計画は先王派のおぬしを中枢から遠ざけたい連中の謀略だと思ったのだがな⋯⋯死なぬ兵などただの戯言だと」
「でも、あの国王陛下が冗談にこの額を出すとは思えないだろ? もしかしたら⋯⋯」
ふたりが期せずして顔を見合わせる。キャスパールもなにかに思い当たった様子だ。
「⋯⋯あやつなら、やりかねんってこと、か」
「俺もそれを確かめたくてね」
「死なない兵士、つまり一度死んだ者を蘇らせる秘術だろう? そんな神の理に反することを神の領域たる森でやるかね?」
「言われてみれば、たしかに⋯⋯」
思考がリングワンデルングに陥ったのか、眉間に皺を寄せ、深く考え込むふたり。
彼の者の人物像からして、金子を財源に数多くの人魂を買い取り、試作のために湯水の如く浪費するとは考えにくいのだ。そもそも、人魂を捕まえるためと証言した獣人が真実を語っていた確証もない。しかし、この場で思索を重ねても、時間を無駄に費やすばかりで無意味なのは確実である。
「眉唾話なら尚のこと実際に会って話を聞いた方が早い。そんなわけで行ってくるよ」
「ああ、気をつけてな」
握った拳を互いの拳に打ち付ける。
「キャスパール将軍とのお話は終わりましたか」
遠慮がちに話しかけてきたのはアミラザールである。
「よかったら、これ。道中で食べてください。子供たちと作ったお弁当です」
「おう、ありがとう」
こぢんまりとした布包みを受け取りながら礼を述べるスレオニール。
「いつもの硬いリーンパンと干し肉だけじゃ味気ないでしょう? 旅立ちの日くらいは心踊る食事であるべきです」
「おお⋯⋯そうか、そうだな」
歯を見せて大きな笑顔を作るスレオニール。アミラザールも同じ笑顔で応じる。
受け取った弁当をミスルのリュックに押し込むと、スレオニールは高々と手を掲げた。
「じゃあ、行ってくらあ!」
横でミスルも小さく手を振る。
見送りを終えたアミラザールは名残惜しそうな子供たちを促しつつ家路へと向かう。ふと振り返ると、次第に小さくなるふたりの姿から目を外せない者の存在に気づく。
「キャスパール将軍、どうかなさいましたか?」
「⋯⋯いや、なんでもない」
そう応えつつも服の胸元を握る手も額も冷たい汗が滲んでいた。戦場を駆け巡っていた頃に味わった覚えのある、不吉の到来を予見させる悪寒が全身を貫いたのだ。キャスパールはそれを年齢による体調不良と思い込もうとしていた。




