第1話 世界の終わり、陰渓の森(6)
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翌朝。
城郭内の一角。人気のない辺鄙な場所にある建物に足を運ぶスレオニール。
夜が明けて間もないせいか、あたりに白いモヤが立ち込め、不穏な雰囲気を漂わせていた。
ザクザクと朝露に濡れた草を踏みつけながら移動するふたつの影がモヤの中に浮かび上がる。
「寒くないか?」
スレオニールが並び歩く小さな影に声をかける。
朝露が足元を湿らせていることを気遣っての発言だった。
「⋯⋯ううん」
否定の返答がかろうじて聞き取れる音量で返ってきた。子供の声だ。
「そうか。ならいい」
思いやりが今ひとつ通じていないことに腹を立てる様子もなく、スレオニールは返事をそのまま受け入れる。「うん」と言われた場合の行いも用意してはいたが、必要ないのであれば施す必要もない。そう考えているかのようだ。
両者無言のまましばらく歩くと、石造りの二階建て建物が見えてきた。年季の入った木製扉を叩く。内開きの扉の奥から現れたのはアミラザールだった。身だしなみを整える前なのか、顔を取り囲む紅蓮の赤毛がいつもより自由奔放に燃え盛っている。
「おはようございます」
「おう」
短い挨拶を交わした後、アミラザールはふたりを中へと招き入れた。
「外が真っ白になってる。あやうく遭難するとこだった」
フード付きの外套を脱ぎながらスレオニールが軽口を叩く。
「長い乾季がようやく終わろうとしてるんですよ。今年は雨季が少しでも長くなるといいのですが」
スレオニールが連れてきた子供の外套を脱がせながらアミラザールが応える。
頭巾を外すと金糸と見紛う美しさの頭髪が現れた。
光の量や差し込む角度で変わるのか、部分的に青や朱、銀にも銅にも輝いて見える。
透明感のある乳白色の肌。中性的な美しい顔立ち。深い森を思わせる濃緑色の瞳。
肌の色を除けばスレオニールに似てなくもない。
「やあ、ミスル。ひさしぶりだね。元気だったかい?」
アミラザールに頭を撫でられた少年は、はにかんだ表情を作りながら小さく頷いた。
その様子をスレオニールがなにか言いたげに眺めている。
「朝食はまだなんだろう? 二階でうちの子たちが準備をしているから一緒に食べておいで」
階段を駆け上がる少年の姿を大人ふたり分の視線が追う。
視界から完全に消え、二階から歓声が湧き上がるのを確認してから、ふたりは視線を戻した。
「どうしました?」
小さく肩をすくめるスレオニールにアミラザールが声をかける。
「あいつも笑った顔をするんだなーと思って」
「笑わないんですか?」
「俺は見たことない⋯⋯嫌われてんのかな」
「きっとまだ緊張してるんですよ」
アミラザールが笑う。
「スレオニール殿の子供になって一月くらいですからね。環境に慣れてないのでしょう」
「おまえには笑うのに」
「ここで一年近く生活してましたし、その差じゃないですか?」
「⋯⋯なんか、おまえ嬉しそうじゃね?」
「え? いやいや、そんなことありませんよ」
「いーや! 絶対嬉しそうな顔してた! 俺に勝ったと思ってるだろ」
「違いますって」
「昨夜の砂盤で俺に負けたから、その仕返しのつもりか!?」
子供のようにむくれるスレオニール。アミラザールは困ったように頭を掻く。
取り扱いが厄介な約一名のせいでふたりの友誼が崩壊の危機に陥る。
それを救ったのは天上から賜った天使の声だった。
「おとうちゃーん、ごはん食べれるよぉ」
声の方向を見上げると、階段の隙間から丸い目が覗いている。
スレオニールと目が合うとニコッと笑う。
「ありがとう、フィマリ。すぐ行くよ」
アミラザールから返事を得ると、かわいい天使は小さな足音を立てて階段を上っていった。
「さあ、我々も朝食にしましょう! 腹が減っては怒りが先立つ、という言葉も昔からありますし」
スレオニールの背中に大きな手を添え、移動を促すアミラザール。
「いや、俺は別に怒ってねぇし!」
「まぁまぁまぁ」
反論を許さない強制力でスレオニールの身体を階段に押しやるのだった。
テーブルを挟んで向かい合う二人の男。
先に食べ終えた二十人の子供たちは後片付けを済ませると、我先にと階段を駆け下り外へ飛び出した。
「⋯⋯賑やかだな。毎朝こうなのか?」
皮が厚く硬いリーンパンを齧りながらスレオニールが問う。彼はアミラザールと正対するのを嫌ってか、椅子の背もたれに肘を置き、横向きに座っている。
「毎朝こうです。慣れてくると嬉しいもんですよ」
「ふぅーん」
日差しの高まりと共に、窓から入ってくる空気も温かみが増した気がした。
いや、もしかすると、子供たちの明るく楽しげな声によって補正がなされているのかもしれない。
そんな考えがスレオニールの頭の中にふと浮かんだ。
「⋯⋯まいったな」
「どうしました?」
「いや⋯⋯もしかしたら、俺は自分が考えてるより子供好きなのかもしれないと思って」
驚きのあまりアミラザールがフリーズする。
そして、大きく口を開けて笑い始めた。
「もしかしたら、じゃありませんよ。スレオニール殿は誰の目からしても子供好きに見えてますって」
「え、そなの?」
「自覚ないんですか? 困ったお人だ」
アミラザールの指摘に対して、困惑した表情のスレオニール。
本当に自覚がないらしい。
「数千年の刻を生きる長命種であるが故にエルフは滅多に子供を作らないという話ですから、子供との接し方がわからないだけじゃないですか? ミスルと一緒に暮らしていけば、いつか打ち解けて笑い合える日が必ず来ますよ。スレオニール殿は良い父親になる素質を十分に備えてますから大丈夫です。このアミラザールが保証します!」
「そ、そう?」
アミラザールの強弁にスレオニールは少し照れた様子だった。
「ええ。あせらずゆっくり父親になりましょう」
「そうか、それならまぁ⋯⋯」
そこまで言って、動きが止まる。
「⋯⋯エルフって言ったか?」
「え? ああ。長命種のくだりですね」
朝食を食べ終えたアミラザールがテーブルナプキンで口周りを拭いつつ応える。
「どこにエルフがいるんだ?」
面倒そうにスレオニールを一瞥すると、アミラザールは食器を片付けに立ち上がった。
「言っておきますが、昨晩の会議に出席した連中はみんな知ってますからね。去年でしたか、スレオニール殿が欠席したことがあったでしょう。その時にキャスパール殿が代理出席という形になりましてね」
小さなシンクで食器を洗いながら語られる逸話にスレオニールの顔色が刻々と変化する。赤、青、黄、緑ときて白に染まったあたりでようやく彼は声を発することができた。
「じゃあ、みんな俺がダークエルフだって知ってるってのか!?」
「キャスパール殿から話を聞くまでもなく、人間じゃないことくらいわかりますよ。ずっと若い容姿のままですし。気づいてないのは王だけじゃないでしょうか。あの人は自分にしか興味ありませんから」
「マジかよ⋯⋯」
ガックリと項垂れるスレオニールの様子を横目で盗み見たアミラザールが小さく笑う。
「あなたにも見て欲しかったですねえ。キャスパール殿自ら滔々と語る英雄譚に聞き惚れる我々の顔を。みんな完全に子供に戻ってましたからね」
「あのクソジジイがそんなマネを⋯⋯俺はなにも聞いてねぇぞ。ちくしょう」
「尋常じゃない本数のボトルが床に転がってましたから、酔った勢いで、というヤツでしょう」
「⋯⋯じゃあ、俺の耳のことも知られてるんだな」
「⋯⋯はい」
「あーあ。なんのために長年メラノイ人のふりをしてきたんだか。これじゃただのおマヌケ野郎じゃねーか」
「まぁまぁ。他国の間諜が潜んでないとも限りませんし、決して無駄ではないと思いますよ」
懸命のフォローに励むアミラザールをスレオニールは軽く睨む。
「どうしました?」
「⋯⋯なんか、やる気なくした。王への進言はあんたひとりで行ってくれ」
「冗談はやめてください。ほら、食べ終わったならもう出かけますよ!」
アミラザールに腕を抱えられ、ようやく椅子から立ち上がるスレオニールであった。




