第1話 世界の終わり、陰渓の森(5)
5
勝利の間には国王を筆頭に錚々たる面々がスレオニールの到着を今や遅しと待ち構えていた。険しい眼光の集中砲火が遅参者に容赦なく突き刺さる。並みの人間には即死レベルの邪眼の群れも、全身に神の加護を掘り入れた彼には祝福の花吹雪と大差ないように感じられるのだろうか。
花吹雪の舞う花道を堂々とした足取りでまっすぐ玉座へと向かう。腫れぼったい唇が動き出す前にスレオニールは膝を折り、首を垂れて、王に深く詫びた。今では耳にすることも少ない格式ばった格調高い礼儀作法を徹底してみせたのだ。言葉の形式、順序立て、すべてが完璧であった。
儀礼として最高位の謝罪を受けた王の顔がだらしなく崩れ、蕩け落ちるのも無理からぬことだろう。数多いる王の中でもこの礼法が許されるのは王の中の王だけである。現在は空位となっているが、その地位を夢に見ぬ者などこの世にいない。
呆れるほど早く王の機嫌が直った。現王に媚びへつらう家臣らもあまりの豹変ぶりに困惑を隠しきれないでいる。
「うむ。全員揃ったな。それでは戦略回顧会議を始めようではないか」
満面の笑顔だ。
王によって開会宣言が行われると、勝利の間にテーブルにワインボトルとグラスが運ばれてくる。おつまみ用のナッツとチョコレート、ドライフルーツにチーズが山と積み上げられた皿がそれに続いた。夜の会議ではこれらを飲み食いしながら議論を闘わせるのが慣例になっているのだ。磨き上げられたグラスに赤紫の液体が注がれる。おつまみを取り分けた小皿が着席する各々の前に到着した。まずは今日の働きを労って笑顔で乾杯といきたいところだが、その和を乱す者がいた。
「自分は酒を嗜みません」
見習い神職のごとき口調でキッパリ言い放ったのはアミラザールだ。声だけ聞くと、病的なまでに青白い顔をした青瓢箪が聖約誓書片手に対応している印象だが、実際の姿は声の印象と大きく異なる。身長も肩幅も胸板の厚さもツェーネン王国で五本の指に入るであろうと噂される大巨漢。戦場で大斧を振り回す姿が容易に想像できる体格だが、彼の職務は軍務補佐官である。
燃え盛る炎を模したような赤い髪に、頬から顎にかけて伸びる赤い髭。さながら炎獅子といった風貌だが、両目だけは慈愛に満ちた優しげな光沢で満たされている。それもそのはず、彼は六男十三女の父親でもあるのだ。といっても、その全員が孤児。アミラザールはさまざまな事情により親を失った子供たちを引き取って育てていた。
そんな人格者であるはずの大男がテーブルの上に正座の姿勢で座っている。大変お行儀がよろしくないのだが、アミラザールは議論に熱中すると興奮のあまりテーブルの上に飛び乗って、討論に興じてしまう困ったクセがあるらしく、ならば最初から乗ってしまえということでこのスタイルになったのである。もちろん、王の了承も得てのことだ。
戦略回顧会議は砂盤が乗った台とそれを取り囲む円形のテーブル上で行われる。砂盤を俯瞰できるよう中央の台には段差が設けられ、一段低くなっていた。関係者は神の視点から戦場を眺め、グラス片手に議論を闘わせるのだ。奇岩地帯の地形を模した砂盤には、赤と青に色分けされた三角形の木片が乗っている。両軍の軍勢を模した駒だ。これを二つのテーブルの間に待機した下働きの少年たちが指示に従って動かし、戦況を再現するのである。
「では、始めましょうか」
アミラザールの言葉にテーブルの列席各位はぎこちなく頷き、複雑な表情でグラスを掲げた。王に倣って破顔する者がひとりもいないのは不思議である。ともあれ、こうして会議の幕は開けたのだ。
*
半刻ほどの時間をかけて、形式的な評議を丁寧に済ませる。ほどよく酔った頭には睡魔を引き寄せるにちょうどよい退屈さであり、案の定、玉座の君はすっかり夢心地に至ったらしい。女官らによって寝室へと誘われる姿を低頭にて見送った後、議論はようやく本番を迎えた。
「だ、か、ら! あの岩石軍団が邪魔なんだよ! あれさえいなけりゃ五分以上の戦いに持ち込めたはずだ!」
「バカを言え! そもそも岩石軍団が出張る前提の戦だろうが!」
「だいたい、兵士に岩を被せて何の意味があるってんだ! 責任者出てこい!」
「前の鉄球兵団の方がまだマシだったな」
「あれは下り坂が終わった途端に役立たずになったじゃないですか! 捕虜になった兵を取り戻すのにいくら掛かったと思ってるんです!? まったく冗談じゃない!」
「戦略家のじいさんもここに呼べ! 説教してやる!」
喧々囂々と忌憚のない意見が広間を飛び交う。王の発案による新兵器は概ね不評であるらしい。
王のお遊びなのだから、頭皮に血管を浮き上がらせるほど真剣に討論しなくても⋯⋯と、お考えの諸兄姉も多いだろうが、これにはれっきとした理由が存在する。彼らは王個人ではなく王国に仕えるいわば国家公務員。その才能を発揮し、対価として報酬を受け取り、安定した生活が送れているのもツェーネン王国が存続すればこそ。もし、ここでバカ殿がバカとバレて国民が蜂起でもしようものなら、夢に描いた人生設計も水泡に帰す。つまり、彼らがヒートアップしているのは自己保身を第一とした実に利己的な事情からだ。
「⋯⋯とにかく、これ以上、兵を無駄死にさせるわけにはいきません。国防からも財務からも王に厳しく進言を行い、最強軍備計画を諦めていただく。これを今会議の結論といたします。よろしいですね」
細身で色白の女性財務官が総評を述べる。
賛同者は拍手にて応じた。
「砂遊びに興じてるそこのおふたり。そういうことなのであとはよろしく頼みます」
軽蔑を多分に含んだ切れ長の目がテーブルの中央に差し向けられた。
そこに立つのはふたりの男。スレオニールとアミラザールである。
ふたりは少年らを差し置いて自ら砂盤上の駒を動かし、戦況の推移について意見を戦わせていた。
だが、声をかけられたことで、その手がピタリと止まる。
「あ?」
「なんです?」
スレオニールは気を削がれたせいか少し睨むような目で、アミラザールはきょとんとした様子で女性財務官を見つめる。
純朴な子供めいた視線を浴びた女性官僚は、疼痛の面持ちで深く重い溜息を吐き出すのだった。




