第1話 世界の終わり、深淵の森(1)
第一話 世界の終わり、深淵の森
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ジリジリと劫火の陽射しが降り注ぐ白昼の奇岩地帯に、黄色い砂埃が舞い上がる。
憤怒の雄叫びが両軍から湧き起こると、地響きと怒号が谷間にこだまし、乾燥した空気を打ち震わせた。
甲高い金属音。剣や斧が打ち重なり、盾や鎧が刃を弾く。その無数の音の連なりも、大量の砂塵によって視界が遮られているため、想像上の動きでしかない。やがて地表に溜まった熱は上昇気流を生み、崖の上で戦いを見守る者たちの所へと砂埃を押し上げる。熱く乾いた空気が高貴な身分も関係なく、彼らの喉から水分を奪っていくのだ。
高く聳える崖の上には二人の人物が立っていた。砂避けストールで頭をすっぽりと覆い隠し、目の位置に開いた隙間から下界を見下ろしている。もうもうと煙る濃い砂埃の中にあって、彼らの輪郭は全身を覆うマントのおかげか完全に消え去っていた。戦の偵察をしているのだろうか。時おり望遠鏡を取り出しては覗き込んでいる。
「こりゃ、ダメっぽいスね」
望遠鏡を覗いていた小柄な男がつぶやく。
「そうか。やっぱり、ダメか」
体格の良い男が日焼けした筋肉質の太い腕を組んだ状態で、頷きながら嘆息にも似た声を吐き出した。意見の一致を事実確認としたらしい。
「なにがダメか?」
二人の耳元で第三の声がした。
その声を聞くなり、二人は揃って声の方へと向き直るや否や膝を折って首を垂れる。
「申し訳ありません! 我が王よ!」
「咎めているわけではない。なにがダメなのかと問うておるのだ」
自信と威厳に満ち溢れた力強い声が二人の鼓膜を殴打する。
なおも黙したままの二人に王は苛立ちを覚えたようだ。
「スレオニール、答えてみよ」
名指しされた筋肉男は一瞬だけ身をこわばらせるも間髪を入れず声を発する。
「はっ! 砂煙で軍場の様子を見通すことが叶いませぬゆえ、つい漏れ出た言葉にございます」
「ほう⋯⋯」
王が二人へと歩み寄る。カシャンという軽い金属音が響いた。
「その覗き棒を持て。余が直々に目してやるわ」
「はっ!」
小柄な男がうやうやしく両手で望遠鏡を差し出すと、お付き美女の白く細い指を経由して王の肉付きの良い手に渡る。
かしずいたスレオニールは、その様子を横目で盗み見ながら置かれた状況を冷静に推察した。
いつもであれば、王には日陰に設えたテントの中で実際の戦況とは大きく異なる盤面を前に、非現実な采配を存分に奮っていただく、という流れになっていたはず。老齢の軍略家が諸手を挙げて絶賛することで満足していた御方が今日に限ってどうしたというのだ。齢三十を数えて、疑問に思うことを覚えたのか。それとも、この幼稚な手段を看破したのか——。
戦闘に特化した脳細胞がさらに考察を深める。
少なくとも国王陛下は美酒や色恋に溺れ、統治を疎かにするような愚君ではない。
ただ、唯一とも言える趣味に問題があるのだ。
”ぼくのかんがえたさいきょうのぶき” ”さいきょうのせんりゃく” ”さいきょうのそうび” といった ”ぼくのかんがえたさいきょう” シリーズの実施。これが王の趣味だった。実際に開発し、兵に装備させ、その有効性を戦場で証明してみせようとするのである。
はぁ、と彼は心の中で大きなため息を吐いた。
そんな部下の心痛をよそに、王は眼下の砂埃を睥睨する。
表情は宝石で装飾された金色の穴あきバケツヘルムに覆われて見えないが、全身から溢れ出るウキウキオーラからおおよそ察することができた。肩と胸元の宝石付きの黄金のプレートも興奮からか大きく上下している。腰布とサンダルに挟まれた剥き出しの白い腿部は汗で艶を生み、まるで露天に吊るされた丸鳥の肉塊のようだ。腰布の上に乗った大きな腹も同様である。この腹こそ庶民と上流階級を分つ高い壁なのだろう。
侍従が差し出す日傘の下で、王は赤ん坊のような丸みを帯びた腕を持ち上げ、望遠鏡を眼前にかざした。
カン、と小気味の良い高音が鳴る。望遠鏡の接眼部がバケツヘルムと衝突したのだ。もちろん、その姿を笑う者などこの場にいない。王も多少の気恥ずかしさを覚えたのか、胸当てのラインから大きくはみ出した腹肉を揺らして体勢を整え直すと、再び望遠鏡を構えた。
しかし、と言うべきか。やはり、と言うべきか。
見えるのは相も変わらず黄土色の煙ばかりだ。
「なにも見えぬではないか!」
当然の感想を口にする王に対し、思慮深き男が無難な返事で応じる。
「今は乾季でございますゆえ、大軍を動かせば砂埃が湧き立つのも止む無しかと」
「これでは余の考えた鎧の成果がわからぬ!」
今回の ”ぼくのかんがえたさいきょう” は、硬い石柱に穴を開け、そこに腕や足、胴体を通した『岩石軍団へんしんセット』である。降り注ぐ鏃を無効化し、槍も剣も通さない最強の鎧。問題点を挙げるとすれば、その重量であろうか。歩くことはもちろん、立ち上がることさえ不可能な鎧は、もはやただの岩でしかない。敵も味方も関係なく、その進軍を邪魔立てするだけの存在。完全な失敗作だった。当然のことながら、この結果は最初から分かりきっていた。だが、頑迷固陋が服を着て歩いている王の前に、側近の進言はあまりにも無力すぎたのだ。
地表で渦巻く土煙は一向に晴れる気配がない。
覇気のある声と剣戟の響きは聞こえてくるものの、その材料で想像できる乱戦の記憶ストックはとうに尽きていた。
奇岩の間を吹き抜ける笛の音にも似た風鳴りだけが虚しく轟く。
「もうよい! 全軍に退却を命じよ! もう、こんな暑い場所になぞ居ておれぬわ!」
王は我慢の限界に達したようだ。
「しかし、まだ四半刻も経ってはおりませぬが」
スレオニールが健気にも嗜める。
「よいのじゃ! ああ、もう汗が垂れてきておる⋯⋯ヘルムのせいで拭えぬではないか!」
「ですが、この度の戦はこちらが仕掛けたものでござりますれば、相手方の怒りも相当なものかと」
「いつものように金を渡せばよい! 多めにつけてやれば文句もなかろう」
「しかし⋯⋯」
「くどい! ヘターレンデ公国は余の姉上の嫁ぎ先ぞ! かわいい弟に戯れつかれただけでお優しい姉上が目くじらを立てるものか! 兄上たるヤーレン公爵も笑って許すに決まっておるわ!」
スレオニールは口を噤んだ。
願望だけで構成された自分勝手な論調に呆れ果てたのだ。
国家が国家に対して予告もなく一方的に戦端を開く行為を”戯れ”の一言で片付けることはできない。王にとっては児戯に等しいかもしれないが、これは国家間戦争なのだ。戦場に立つ兵士は命を賭して剣を振り下ろし、使命を全うするため奮起している。当然のことながら、彼らにも家族がいる。無事の帰りを待つ者たちのためにも無駄な戦闘を速やかに終息させ、無意味に散りゆく命を最小限に抑えなければならない。
スレオニールはすぐさま小柄な男に目配せする。男は小さく頷くとすぐさま立ち上がり、マントの下から取り出した角笛に口をつけた。全軍退却を知らせる音色が鳴り渡る。だが、土煙は左右に分かれるどころか密度をますます濃くし、戦闘が終わる気配は一向に感じられない。
「風か⋯⋯」
スレオニールが呟く。
地表から砂を巻き、崖を駆け上る気流が角笛の音を掻き消しているのである。
「部隊に戦闘終結を知らせるため崖を下りる。おまえは救護隊に状況を知らせて後から来てくれ」
小柄な男に命令を下すや否や、スレオニールの姿が崖から消えた。岩肌から庇のように飛び出した小さな足場に飛び乗ったのだ。片足分の幅もなく、すぐに崩れそうな岩でも躊躇がない。マントをたなびかせ、崖を軽やかに駆け渡る姿はとても人間業に思えなかった。




