第98話 見えないバナナの皮、あるいは因果の転倒
エンシェント・ベアを倒し、今夜の夕食(熊鍋)を確保した私たちだったけれど、森の歓迎はそれだけじゃ終わらなかったわ。
さらに奥へと進むにつれ、周囲の魔力濃度が上がり、肌がピリピリと痛むような感覚に襲われる。
ここは『迷いの森』の最深部。
地図にも載っていない、人跡未踏の魔境だ。
「……師匠、ちょっとマズイんじゃないかい?
さっきから、森の木々が動いているような気がするんだけど」
御者台のアルフォンスが、青ざめた顔で振り返る。
彼の直感は正しい。
この森の木々は、魔力によって変異した『トレント』の一種だ。
私たちが通り過ぎるのを、じっと息を潜めて待ち構えているのよ。
「気にしないで進みなさい。
止まったら、それこそ根っこに絡め取られて養分にされるわよ」
「ひぃぃっ! 冗談キツイよ師匠!」
アルフォンスが悲鳴を上げ、鞭を振るう。
馬たちも本能的な恐怖を感じているのか、嘶きを上げて疾走する。
しかし、私たちの行く手を阻むのは植物だけじゃなかった。
ガサガサッ! という音と共に、左右の茂みから無数の影が飛び出してくる。
ライオンの頭とヤギの体を持つキメラ、巨大な角を生やしたベヒモス、そして空からは鋭い爪を持ったグリフォンの群れ。
まるで魔獣のバーゲンセールね。
「うわぁっ! 囲まれたぞ!」
ディーノが叫び、短剣を構える。
数は30……いや、50体以上。
どれもSランク級の化け物ばかりだ。
普通なら、ここで全滅エンド一直線ね。
「肉だ……! 素材の山だ……!」
車内では、ムサニキが窓にへばりついて涎を垂らしていた。
彼はまだ腹痛が治りきっていないらしく、顔色は土気色だが、食欲だけは健在だ。
「おい、姉ちゃん! 俺を外に出せ!
あのグリフォンの手羽先、絶対に美味いぞ!」
「あんたは大人しく寝てなさい!
トイレに行きたくなっても知らないわよ!」
私が叱りつけると、ムサニキは「うぐっ」と腹を押さえてうずくまった。
戦力外ね。
ショウちゃんも「吾輩は高貴な身ゆえ、雑魚の相手はせぬ」と決め込んで、ソファで丸まっている。
まったく、どいつもこいつも!
「仕方ないわね。
私がやるわ」
私は天井のハッチを開け、屋根の上に立った。
風が吹き荒れ、魔獣たちの咆哮が鼓膜を震わせる。
真正面からは、巨大なベヒモスが地響きを立てて突進してくる。
その迫力は、走る城塞そのものだ。
「グルォォォッ!」
「師匠! ぶつかる!」
アルフォンスが叫ぶ。
私は冷静に魔力を練り上げた。
真正面から受け止める必要はない。
相手の力を利用して、自滅させてやればいいのよ。
イメージするのは、第1話の私の死因。
あの屈辱的で、滑稽で、そして絶対的な物理法則。
摩擦係数ゼロの世界。
「広域展開、『スリップ・フィールド』!」
私が指を鳴らすと、馬車を中心とした半径100メートルの地面が、青白く発光した。
土、草、岩。
それら全てのテクスチャが書き換わり、氷の上よりも滑りやすい『魔導潤滑面』へと変貌する。
ドシドシと足音を立てていたベヒモスが、次の一歩を踏み出した瞬間。
ズルッ!
巨大な足が空を切り、巨体がバランスを失った。
「グオッ!?」
ベアの時と同じだ。
支えを失ったベヒモスは、その重量と勢いのまま、スローモーションのように前につんのめった。
ズドォォォン!
顔面から地面に激突し、そのまま勢い余って地面を滑走していく。
まるで、巨大なカーリングのストーンね。
「ギャンッ!」
「キャンッ!」
後続のキメラたちも、止まることができずに次々と足を滑らせた。
転倒し、転がり、先行していたベヒモスに追突する。
ドミノ倒しのように重なり合い、団子状態になって滑っていく魔獣たち。
その光景は、恐ろしいというより、あまりにもシュールで滑稽だった。
「……ぶっ。あははは!
なんだありゃ! コントかよ!」
ディーノが窓から身を乗り出し、腹を抱えて笑う。
アルフォンスも、恐怖を忘れて呆然としている。
「すごい……。
あんな巨大な魔獣たちが、赤子のように転がされている……」
「デカい図体して、足元がお留守よ。
重ければ重いほど、転んだ時のダメージは大きいの」
私は冷ややかに言い放った。
空を飛ぶグリフォンたちは、難を逃れたように見えたが、そう甘くはない。
私が空中に展開した『粘着ネット』に絡め取られ、次々と墜落していく。
地面に落ちれば、そこは摩擦ゼロの世界。
彼らもまた、滑って転んで、魔獣の山の一部となる運命だ。
「……壮観ね。
これだけの数が集まれば、イマクサの食糧事情もしばらくは安泰だわ」
私は山積みになった魔獣たちを見下ろし、計算機を弾く。
肉、皮、骨、魔石。
解体すれば、莫大な資源になる。
まさに、向こうから飛び込んできた「カモ」ね。
「さて、仕上げといきましょうか。
ムサニキ、腹痛は治った?」
私が声をかけると、車内から「おお!」という元気な声が返ってきた。
ムサニキが刀を提げ、屋根に登ってくる。
その顔色はまだ悪いが、目はギラギラと輝いている。
「へっへっへ……。
待ってたぜ、この時をよ。
見ろよ、あの肉の山! 宝の山だ!」
「ええ、そうね。
でも、あいつらまだ生きてるわよ。
動けないだけで、殺気は十分だわ」
転倒した魔獣たちは、起き上がろうともがいているが、足が滑って立てない。
その苛立ちと怒りで、周囲の空気がビリビリと震えている。
「関係ねえ。
俺が……俺が美味しくいただいてやるよ!」
ムサニキが刀を抜き放つ。
錆びついてボロボロの刀身だが、彼が構えると、名刀のような輝きを放ち始めた。
「いくぜ!
秘剣・解体新書!」
彼が跳躍する。
スリップ・フィールドの影響を受けないよう、私の魔力糸を足場にして空中を駆ける。
その動きは、病人とは思えないほど俊敏で、洗練されていた。
ザシュッ! ザシュッ!
空中で刀が一閃するたびに、魔獣の首が飛び、急所が貫かれる。
無駄な動きは一切ない。
殺すためではなく、『食べるため』に最適化された、究極の剣技だ。
「すげえ……。
あいつ、本当にただの浪人か?」
ディーノが息を呑む。
私も、改めて彼の実力に舌を巻いた。
これなら、イマクサでの用心棒も十分に務まるわね。
数分後。
魔獣の群れは、きれいに解体された肉と素材の山に変わっていた。
血の一滴まで無駄にしない、完璧な仕事ぶりだ。
「ふぅ……。一丁上がり。
さあ、宴の始まりだ!」
ムサニキが血振るいをして、ニカっと笑う。
私たちは馬車を止め、素材の回収作業に入った。
ケイナやスノッツティも総出で、肉や皮を『圧縮パッキング』していく。
「大漁ですね、お嬢様!
これなら、革製品の新作がたくさん作れます!」
「ええ。肉は燻製にして保存食にしましょう。
骨は肥料や建材に使えるわ」
私たちは夜通し作業を続けた。
森の危険生物たちが、私たちにとってはただの『資源』でしかない。
その事実が、この旅の過酷さと、私たちの逞しさを物語っていた。
やがて、作業が一段落した頃。
ムサニキが焚き火を起こし、巨大な肉の塊を焼き始めた。
「へへっ、やっぱ肉は焼くに限るな!
生もいいけど、火を通すと脂が滴って……たまらねえ!」
香ばしい匂いが漂い、みんなの腹が鳴る。
私たちは焚き火を囲み、焼きたての肉を頬張った。
「うまーい! ほっぺたが落ちそうです!」
「野性味あふれる味だね! ハロー、肉!」
笑顔が溢れる。
過酷な環境でも、美味しいものを食べて笑い合える。
それが、生きるということなのかもしれない。
私は肉を齧りながら、夜空を見上げた。
星々が瞬いている。
この森を抜ければ、イマクサはもうすぐだ。
「……待ってなさい。
最高のお土産を持っていくから」
私は心の中で呟き、仲間たちの笑顔を見渡した。
このチームなら、どんな場所でも、どんな困難でも、きっと『楽園』に変えられる。
そう確信した夜だった。
+++++++
大量の魔獣肉を平らげ、私たちは焚き火を囲んで食後の余韻に浸っていた。
お腹も膨れ、命の危険も去り、誰もがリラックスした表情を浮かべている。
ただ一人、ムサニキを除いては。
「……まだだ。まだ足りねえ」
彼は解体したばかりの新鮮なレバー(肝臓)を手に取り、うっとりとした目で見つめていた。
そして、懐から取り出した生卵を割り入れ、怪しげなタレをかけ始める。
「やっぱこれだよな。
焼肉もいいが、新鮮なうちは生でいかねえと男が廃るってもんだ。
特製・魔獣ユッケ、いただきまーす!」
彼が口を大きく開けた、その瞬間。
パコォォォンッ!
乾いた音が響き渡り、ムサニキの後頭部に強烈な衝撃が走った。
私が全霊を込めて振り下ろした、特製ハリセンの一撃だ。
「ぶべっ!?」
ムサニキが前のめりに倒れ、大事なユッケが焚き火の中に落ちる。
ジュウウゥ……という悲しい音と共に、生肉は消し炭となった。
「ああっ! 俺のユッケが!
何すんだよ姉ちゃん! 殺す気か!」
「殺される前に止めてあげたのよ!
あんた、さっき食あたりで死にかけたの忘れたの!?
衛生観念ゼロか!?」
私が仁王立ちで説教すると、ムサニキは「うぐっ」と言葉に詰まった。
どうやら自覚はあるらしい。
でも、食欲という本能には抗えないのね。困った野獣だわ。
「いい? ウチの社員になるなら、健康管理は義務よ。
腹を壊して戦えませんでした、なんて言い訳は通用しないからね。
次、生肉を食おうとしたら、胃袋ごと『洗浄魔法』で洗ってあげるから覚悟しなさい」
「ひぃっ! わ、分かったよ!
ちゃんと焼くよ! ウェルダンでな!」
ムサニキが涙目で降参する。
これにて一件落着。
やれやれ、手のかかる用心棒だこと。
私たちは休息を終え、再びフロンティア号に乗り込んだ。
森を抜けると、視界が一気に開けた。
広大な荒野の先に、石造りの堅牢な城壁が見えてくる。
イマクサ領の手前にある、国内の関所だ。
「……嫌な雰囲気ね」
私は窓から双眼鏡で関所の様子を観察した。
門は固く閉ざされ、武装した兵士たちが厳重な警備を敷いている。
彼らの装備には、隣国の公爵家……ではなく、この地域を治める辺境伯の紋章が刻まれていた。
「辺境伯の私兵か。
どうやら、公爵の金に目が眩んで、私たちの邪魔をする気ね」
ロドリの情報通りだ。
イマクサへの陸路を断つことで、私たちの支援活動を妨害し、領民を兵糧攻めにするつもりなのだろう。
どこまでも腐った連中だわ。
「どうする、姐さん?
さっきみたいに強行突破するか?」
ディーノが好戦的に笑う。
フロンティア号の武装なら、あの程度の門を吹き飛ばすことなど造作もない。
けれど、ここは国内だ。
公的な関所を破壊すれば、私たちは反逆者として指名手配されかねない。
「……うーん。できれば穏便に済ませたいわね。
これからイマクサを統治する身としては、あまり派手な騒ぎは起こしたくないもの」
「なら、僕に任せてくれないか?」
不意に、アルフォンスが手を挙げた。
彼は御者台から振り返り、自信満々な顔をしている。
「交渉かい?」
「ああ。僕の顔と名前、そしてこの『黄金の輝き』を使えば、兵士たちの心を動かせるかもしれない」
彼は懐から、ジャラジャラと音を立てて金貨の袋を取り出した。
さらに、貴族としての身分証である紋章入りの懐中時計を見せつける。
「なるほど。賄賂と権威ね。
古典的だけど、一番確実な方法かも」
私は苦笑いした。
彼のような世間知らずのボンボンが、こんな泥臭い手を使うようになるとは。
成長したというか、染まったというか。
「いいわ、やってみて。
でも、無理そうならすぐに合図して。
私が『物理的交渉』に切り替えるから」
「ラジャー!
僕の交渉術に期待していてくれたまえ!」
アルフォンスは馬車を降り、一人で関所の門へと歩いていった。
兵士たちが槍を構え、彼を威嚇する。
「止まれ! 何者だ!
この関所は、辺境伯様の命令により封鎖中だ!」
「やあ、ご苦労様。
僕はアルフォンス・フォン・ゴールドバーグ。
通りすがりの、ただの大富豪さ」
彼は自己紹介と共に、金貨を一枚、指で弾いた。
金貨は放物線を描き、兵士の足元にチャリンと落ちる。
兵士たちの視線が、一瞬だけ金貨に釘付けになった。
「ゴ、ゴールドバーグ家だと!?
王都の大貴族様が、こんな辺境で何を……?」
「いやぁ、ちょっとした『傷心旅行』でね。
失恋の痛手を癒やすために、イマクサの海を見に行こうと思ったんだ。
通してくれないかな?」
アルフォンスが大げさにため息をつく。
兵士たちは顔を見合わせた。
貴族の気まぐれな旅行。
怪しいが、無下にはできない身分だ。
「しかし、辺境伯様からは『不審な馬車は通すな』と厳命されておりまして……。
特に、フロンティア家の関係者は……」
「フロンティア家? ああ、あの没落貴族か。
僕は彼らとは無関係だよ。
ただの『優雅な一人旅』さ」
アルフォンスはさらに金貨の袋を取り出し、ジャラジャラと音をさせた。
兵士たちの喉がゴクリと鳴る。
彼らもまた、安月給で雇われている下っ端なのだ。
目の前の大金に、心が揺れないはずがない。
「……で、でも」
「それにね、この馬車には『特別な積み荷』があるんだ。
知っているかい? 今、王都で大流行中の『ムッタん♥』グッズを」
「ムッタん……?」
兵士たちが首をかしげる。
アルフォンスはニヤリと笑い、懐から取り出したのは……
なんと、チアキがデザインした『ムツゴロウの被り物(安価版)』だった。
「これだよ! この何とも言えない愛くるしい表情!
これを被れば、どんな悩みも吹き飛ぶし、家庭円満、商売繁盛間違いなしさ!
今なら特別に、君たちにもプレゼントしてあげよう!」
彼は被り物を兵士たちの頭に強引に被せた。
無骨な鎧姿の兵士たちが、ムツゴロウの帽子を被っている。
その光景はあまりにもシュールで、緊張感が一気に吹き飛んだ。
「な、なんだこれ……?
意外と……温かい……?」
「だろう? 最新の魔導繊維……に見えるだろう? 実はこれ、現地の特殊な泥で染めただけの、超お買い得品なんだ。
でも、その効果は本物さ! 」
「魔除けに、保温に、肌荒れ防止! 奥さんや子供へのお土産にも最高だよ!『パパ、流行の最先端を知ってるんだね!』って尊敬されること間違いなしさ!」
アルフォンスの話術が炸裂する。
兵士たちは、金貨の魅力と、謎の被り物の魔力に当てられ、次第に戦意を喪失していった。
「……わ、分かりました。
ゴールドバーグ様のお顔に免じて、特別に通しましょう。
ですが、他言は無用でお願いしますよ?」
「話が早くて助かるよ。
君たちは賢いね。出世するよ」
アルフォンスは満面の笑みで兵士の手を握り、さらに金貨を数枚握らせた。
門が、ゆっくりと開かれていく。
「開門! ゴールドバーグ家御一行様、お通りだ!」
私は車内からその様子を見て、思わず吹き出した。
「ぷっ……あははは!
やるじゃない、パシリ一号。
まさか、『ムッタん♥』で関所を突破するなんて」
ディーノも腹を抱えて笑っている。
「すげえな。あいつ、口だけで城を落とせるかもしれねえぞ」
フロンティア号は、開かれた門を悠々と通過した。
兵士たちはムツゴロウの帽子を被ったまま、敬礼して見送ってくれる。
なんて平和的で、馬鹿馬鹿しい解決方法かしら。
「お待たせ、師匠!
どうだい、僕の交渉術は?」
馬車に戻ってきたアルフォンスが、ドヤ顔でVサインをする。
「最高よ。貴方の『無駄話』も、使いようによっては武器になるのね。
見直したわ」
「ふふん、伊達に社交界で揉まれてないさ!」
こうして、私たちは最大の難関である関所を、血を流すことなく突破した。
目の前には、荒野が広がっている。
その先にあるのは、目的の地、イマクサだ。
「……見えてきたわね」
私は窓の外、地平線の彼方を見つめた。
微かに、潮の香りが風に乗って漂ってくる。
海だ。
母が愛し、私が守ると誓った場所。
「あと少しよ。
みんな、ラストスパートかけるわよ!」
「「「オーッ!!」」」
馬車は加速する。
希望と、野望と、そして大量の『変なグッズ』を乗せて。
物語は、クライマックスへ。
新天地での冒険が、すぐそこまで迫っていた。




