第97話 迷子の侍ムサニキと、危険な近道
王都を出発してから3日。
私たちの『フロンティア号』は、街道を逸れ、鬱蒼と茂る森の中へと進路を取っていた。
この先にあるのは、旅人の間で恐れられる『迷いの森』。
強力な魔獣が跋扈し、磁場が狂っていて方位磁石も役に立たないという、地図上の空白地帯だ。
「……師匠、本当にこっちでいいのかい?
さっきから、木々のざわめきが尋常じゃないんだけど」
御者台のアルフォンスが、不安そうに手綱を握りしめている。
彼の愛馬たちも、何かに怯えるように足踏みをしているわ。
「ええ、問題ないわ。
正規のルートは、公爵の息がかかった検問所があるからね。
無用なトラブルを避けるなら、こっちの方が安全よ」
私は窓から身を乗り出し、森の奥を見据えた。
確かに、嫌な気配がする。
けれど、私の『魔導コンパス』は、この森を抜けた先にイマクサへの最短ルートがあることを示している。
「それに、危険な場所にはお宝が眠っているものよ。
珍しい素材が手に入れば、新商品の開発に役立つわ」
私がニヤリと笑うと、ケースが目を輝かせて魔導書を開いた。
「そうです! この森には『幻惑キノコ』や『鉄の樹皮』など、希少な素材が自生しているというデータがあります!
研究材料の宝庫ですよ!」
「へっ、学者は気楽でいいな。
俺は魔獣の肉が食えりゃ文句はねえが」
ディーノが短剣の手入れをしながら口を挟む。
相変わらず、頼もしい連中だわ。
馬車は森の奥深くへと進んでいく。
木漏れ日が遮られ、周囲は薄暗くなってきた。
鳥のさえずりも消え、不気味な静寂が支配する。
その時。
前方の茂みが揺れ、何かが飛び出してきた。
「うわっ!?」
アルフォンスが悲鳴を上げ、急ブレーキをかける。
私たちが身構える中、姿を現したのは魔獣……ではなく、巨大な骨の山だった。
「……何これ」
私は馬車を降り、その物体に近づいた。
それは、牛ほどの大きさがある魔獣の白骨死体だった。
肉は綺麗に削ぎ落とされ、骨だけが積み木のように積み上げられている。
「ひぃっ! な、なんですかこれ!?」
ケイナが私の背中に隠れる。
確かに、異様な光景だ。
魔獣同士の共食いにしては、あまりにも綺麗すぎる。
「……見てください、社長。
この骨の断面、鋭利な刃物で切断されています」
ケースが骨の切れ端を拾い上げ、分析する。
スパッと切られた断面は、鏡のように滑らかだ。
「それに、この食べ方……。
獣が食い散らかしたというより、人間が『解体』して食べたような痕跡です」
「人間? こんな森の奥で?」
私は眉をひそめた。
迷いの森に住む人間なんて聞いたことがない。
まさか、隠れ里でもあるのかしら。
私たちは警戒しながら、さらに奥へと進んだ。
すると、同じような白骨死体が、点々と続いているのが見えてきた。
まるで、道しるべのように。
「……誰かが、ここで食事をしたってことか?」
ディーノが呆れたように呟く。
一体、どんな食欲魔人が通ったというのか。
やがて、開けた場所に出た。
そこには、巨大な焚き火の跡があり、その横に一人の男が倒れていた。
「……あ」
ボロボロの着流しを着た、大柄な男。
腰には、錆びついた刀を差している。
彼は大の字になって地面に転がり、ピクリとも動かない。
「し、死んでるのかい?」
アルフォンスが恐る恐る尋ねる。
私は魔力視覚で男の状態を確認した。
生命反応はある。
でも、極端に弱っているわ。
「……生きてるわ。でも、虫の息ね」
私が近づくと、男が呻き声を上げた。
「うぅ……ぐぅ……」
彼は腹を押さえ、脂汗を流して苦悶の表情を浮かべている。
怪我をしているわけじゃなさそうだけど……。
「もしもし、大丈夫?」
私が声をかけると、男はカッと目を見開き、私を睨みつけた。
その瞳は血走り、殺気立っている。
「……肉……」
「はい?」
「肉を……よこせ……!
生肉じゃねえ……焼いたやつだ……!」
男は私の足首を掴み、ものすごい力で締め上げた。
痛い! 何なのこいつ!
「離しなさい! この変質者!」
私は反射的に蹴りを入れたが、男はびくともしない。
それどころか、私の足を支えにして体を起こし、鼻をひくつかせた。
「……いい匂いだ。
スープか? パンか?
あるなら出せ! 俺は腹が減って死にそうなんだ!」
その迫力に、私は一瞬たじろいだ。
こいつ、ただの行き倒れじゃない。
野生動物並みの飢餓感と、底知れない生命力を感じるわ。
「ケイナ! 余ってるサンドイッチ、ある?」
「は、はい! ありますけど……」
「投げて! こいつの口に突っ込むのよ!」
ケイナがバスケットを投げ渡してくる。
私はそこからサンドイッチを取り出し、男の口に押し込んだ。
「んぐっ!?」
男は一瞬むせたが、すぐに猛獣のような勢いで咀嚼を始めた。
ゴクリ、と飲み込む音が響く。
「……うめえ。
なんだこれ、パンがふわふわで、具がジューシーで……。
生き返るようだ……」
男の顔色が、見る見るうちに良くなっていく。
さっきまでの死相が嘘のように、頬に赤みが差してくる。
何て回復力なの。
「……ふぅ。助かったぜ、姉ちゃん。
もう少しで、三途の川を渡るところだった」
男はゲップをし、満足げに腹をさすった。
私は呆れてため息をつく。
「あんた、一体何者なの?
こんな場所で、何をしてたわけ?」
「俺か? 俺はムサニキ。
しがない風来坊さ」
ムサニキと名乗った男は、ニカっと笑って刀の柄を叩いた。
「実はな、イマクサの安宿を出て、新しい飯屋を探して歩いてたんだよ。
そしたら、いつの間にかこんな森に迷い込んじまってな。
腹が減ったから、その辺の魔獣を狩って食ってたんだが……」
「イマクサから!?」
全員が声を揃えて叫んだ。
イマクサからここまでは、馬車でも一週間以上かかる距離だ。
それを、飯屋を探して散歩していたら着いた?
どんな方向音痴よ!
「……あんた、縮地法でも使ったの?」
「知らん。気づいたらここにいたんだ。
で、腹が減ったから魔獣を食ったんだが、どうも生焼けだったらしくてな。
おまけに、鳥の巣から拝借した卵を生で混ぜたら、腹を下しちまって……」
ムサニキは照れくさそうに頭を掻く。
私たちは顔を見合わせ、ドン引きした。
魔獣を生で? しかも、あんな凶暴な奴らを?
こいつ、胃袋も頭もどうかしてるわ。
「……ま、まあいいわ。
元気になったなら、そこを退いてくれる?
私たちは急いでるの」
私が言うと、ムサニキは立ち上がり、道を塞ぐように立ちはだかった。
「待てよ。飯の礼もしてねえのに、行かせるわけにはいかねえな。
俺は義理堅いんだ。
何か手伝えることはねえか?
用心棒でも、荷物持ちでも、何でもやるぜ」
彼の提案に、私は少し考えた。
確かに、この先も危険な道のりが続く。
腕の立つ用心棒がいれば、心強いのは確かだわ。
それに、彼が食べたという魔獣の残骸を見る限り、その実力は本物っぽい。
「……いいわ。雇ってあげる。
報酬は、三食昼寝付き。あと、美味しいお酒もつけてあげる」
「マジか!? 酒もあるのか!
乗った! 俺の刀は、今日から姉ちゃんのために振るうぜ!」
ムサニキは大喜びで、私たちの馬車に乗り込んできた。
こうして、フロンティア・テキスタイルに、また一人(一匹?)変な仲間が加わったのだった。
馬車は再び動き出す。
新しい仲間を乗せて、迷いの森の奥深くへと進んでいく。
その先に待ち受ける、さらなる脅威も知らずに。
++++++++
フロンティア号の車内は、かつてない食糧危機に直面していた。
原因は、新入り用心棒のムサニキだ。
彼は私のサンドイッチで復活した後も、その底なしの胃袋を満たすべく、備蓄庫の扉を開け放っていたのだ。
「うめぇ! この干し肉、最高だな!
噛めば噛むほど味が染み出してきやがる!」
ムサニキは干し肉をスルメのように齧り、ケイナが作った保存用のクッキーを水のように飲み込んでいく。
そのスピードたるや、ショウちゃんが呆れて毛繕いを止めるほどだ。
「ちょ、ちょっとムサニキさん!
それは三日分の食料ですよ!?
全部食べちゃうんですか!?」
ケイナが涙目で抗議するが、ムサニキは聞く耳を持たない。
「三日分? 俺にとっちゃ一食分だ。
心配すんな、足りなくなったら現地調達すりゃいいだろ。
この森は食いもんの宝庫だぜ?」
彼はニカっと笑い、また一つクッキーを口に放り込む。
現地調達って、まさかまた魔獣を生で食べる気じゃないでしょうね。
「はぁ……。食費がかさみそうね」
私はため息をつきながら、彼の着ているボロボロの着流しに目を留めた。
血と泥と油汚れがこびりつき、裾はほつれ放題。
衛生的に問題があるし、何より私の美学に反するわ。
「ねえ、ムサニキ。
ご飯の代わりと言っちゃなんだけど、その服、洗濯してあげましょうか?
ついでに破れも直してあげるわよ」
私が提案すると、ムサニキは食べる手を止め、真顔で首を横に振った。
「断る。
これは俺の『魂』だ。
この汚れ一つ一つに、俺が倒してきた敵との思い出が詰まってるんだ。
ピカピカの新品なんざ、肌に馴染まなくて調子が狂う」
「……魂ねえ。ただ不潔なだけに見えるけど」
「うるせえ。男の美学ってやつだ。
姉ちゃんには分からねえよ」
彼はふんと鼻を鳴らし、また食事に戻る。
頑固な男ね。
でも、プロのデザイナーとして、目の前の『綻び』を見過ごすわけにはいかないのよ。
(ま、寝てる間にこっそりやっちゃえば分からないわよね)
私は密かに決意し、指先で魔法糸を操った。
彼が気づかないよう、極細の糸を飛ばし、着流しの繊維に『自動洗浄』と『防臭』、そして『強度補強』の魔法を編み込んでいく。
見た目はボロいままだが、中身は最新鋭の防具にアップグレード完了よ。
「……ん? なんか背中が痒いな」
ムサニキが背中を掻く。
バレてないわね。よしよし。
そんな平和な(?)時間が流れていた時、馬車が急ブレーキをかけた。
ガクンッ! という衝撃で、テーブルの上の皿が飛び跳ねる。
「うわっと! 何だ!?」
「師匠! 前方に敵だ!
デカいぞ!」
御者台のアルフォンスが叫ぶ。
私が窓から身を乗り出すと、進行方向の道を塞ぐように、巨大な黒い影が立ちはだかっていた。
体長10メートルはある熊型の魔獣。
全身が岩のような甲殻で覆われ、その爪は鉄をも切り裂くほど鋭い。
「……『エンシェント・ベア』ね。
森の主クラスの大物よ」
魔力視覚で見ると、その体内には膨大な魔力が渦巻いているのが分かる。
Sランク指定の危険生物だわ。
「グルゥゥゥァァァッ!」
ベアが咆哮し、地面を叩く。
その衝撃波で、周囲の木々がなぎ倒される。
並の冒険者なら、これだけで戦意喪失して逃げ出すレベルだ。
しかし、私たちの車内には、違う意味で目を輝かせている男がいた。
「肉だ……!
極上の霜降り肉だぜ!」
ムサニキだ。
彼は食べかけのパンを放り投げ、刀を掴んで立ち上がった。
その瞳は、獲物を見つけた猛獣のようにギラギラと光っている。
「どけ! 俺が行く!
あいつの熊掌は絶品なんだよ!」
彼は言うが早いか、窓から飛び出した。
着地と同時に抜刀し、ベアに向かって一直線に突っ込んでいく。
「ちょ、待ちなさい!
まだ病み上がりでしょうが!」
私が止めるのも聞かず、彼は突進する。
ベアがその巨体を揺らし、迎撃のために腕を振り上げた。
「遅えっ! いただきまァァァッ……ぐっ!?」
ムサニキが跳躍し、必殺の一撃を放とうとしたその瞬間。
彼の動きがピタリと止まった。
空中で体をくの字に曲げ、腹を押さえて落下する。
「は、腹が……!
さっき食った生卵が……!」
ドサッ!
彼は無様に地面に転がった。
食あたりだ。
治ったと思ったら、暴飲暴食のせいでぶり返したのね!
「グルルッ?」
ベアも一瞬呆気にとられたようだが、すぐに好機と見て襲いかかってくる。
振り下ろされる剛腕。
このままじゃ、ムサニキがミンチになるわ!
「……まったく、世話が焼けるんだから!」
私は屋根のハッチを開け、飛び出した。
銀の針を構え、魔力を練る。
物理攻撃が効きにくい相手なら、別の方法で止めるまでよ。
「ディーノ、援護して!
アルフォンスは馬車を守って!」
「へいよ! 手間かけさせやがって!」
「任せろ! 僕の愛馬は指一本触れさせない!」
仲間たちが展開する。
私はベアの足元に狙いを定め、広域結界魔法を展開した。
イメージするのは、第1話の私の死因。
そして、弟フラッペを転ばせた、あの意地悪なトラップ。
「広域展開、『スリップ・フィールド』!」
私が指を鳴らすと、地面のテクスチャが一瞬で書き換わった。
土や草の摩擦係数がゼロになり、氷の上よりも滑りやすい状態になる。
ベアが踏み込んだ足が、ツルッと滑った。
その巨体がバランスを崩し、スローモーションのように倒れていく。
ズドォォォン!
地響きと共に、ベアが転倒した。
ムサニキはその直撃を、転がりながらギリギリで回避する。
「あぶねっ!
……って、なんだこれ?
地面がツルツルだぞ!?」
「私の魔法よ!
あんた、そこで寝てなさい!
トドメは私たちが刺すわ!」
私は叫び、次の魔法の準備に入った。
転んだベアは、起き上がろうともがいているが、足が滑って立ち上がれない。
今がチャンスだわ。
「ディーノ、首を狙って!
ショウちゃん、影で拘束!」
「おう!」
『承知した!』
ディーノが私の作った滑る地面を、魔法の靴(スパイク付き)で難なく駆け抜け、ベアの懐に飛び込む。
ショウちゃんの影がベアの手足を縛り上げる。
完璧な連携。
これなら勝てる――そう思った時だった。
「待てぇぇぇい!」
腹を押さえていたムサニキが、ゾンビのように立ち上がった。
その顔色は青白く、脂汗を流しているが、目だけは死んでいない。
「その熊は……俺の獲物だ……!
誰にも……渡さねえ……!」
彼は刀を杖代わりにして、よろよろとベアに近づいていく。
その執念(食欲)に、ベアさえも恐怖を感じたのか、後ずさりしようとする。
「……食わせろ。
肉を……食わせろォォォッ!」
ムサニキが叫び、刀を振り上げた。
その一撃は、魔力も技も関係ない、ただの『飢え』を乗せた一撃だった。
ザシュッ!
錆びた刀が、ベアの硬い甲殻を、まるで紙のように切り裂いた。
首が飛び、巨体が崩れ落ちる。
一撃必殺。
「……へへっ。
今夜は……熊鍋だ……」
ムサニキは満足げに呟き、再び地面に倒れ込んだ。
私たちは呆然とその光景を見守っていた。
「……なんなの、あの人。
本当に人間?」
ケイナが震える声で言う。
私も同感だわ。
あんな状態でSランク魔獣を倒すなんて、常識じゃ考えられない。
「まあ、頼もしいのは確かね。
食費はかかるけど、護衛としては最高級よ」
私は苦笑いし、倒れたムサニキ(とベアの死体)を回収するように指示を出した。
これで、今夜の夕食は豪華になりそうね。
馬車は再び動き出す。
迷いの森の奥深く、未知の冒険はまだまだ続く。




