第95話 黄金の馬車への搭乗
狂乱のパーティー会場を背に、私たちは闇夜に紛れて裏手の森へと急いだ。
そこには、出発準備を整えた『フロンティア号』が、月明かりを浴びて鈍く輝いている。
外見は泥はねの目立つ古びた幌馬車だが、その内装は王宮の貴賓室をも凌駕する、私が精魂込めてリフォームした移動要塞だ。
「お待たせ、みんな。怪我はない?」
私が駆け寄ると、先に到着していたケイナがほっとした表情で出迎えてくれた。
彼女の手には、私の着替えと、温かい紅茶が入った魔法瓶が握られている。
その制服の裾は少し汚れていたけれど、彼女の顔にはやり遂げたという達成感が滲んでいた。
「はい、お嬢様! 全員無事です!
アルフォンス様も、先ほど御者台でスタンバイ完了しました!
馬たちも、たっぷりと魔力水を飲んで元気いっぱいです!」
「やあ、師匠! 僕の華麗な手綱さばき、楽しみにしていてくれよ!
この日のために、王立厩舎で極秘特訓を積んだんだからね!」
御者台から顔を出したアルフォンスが、鞭を振ってウィンクする。
彼は貴族の正装を脱ぎ捨て、私がデザインした機能性抜群の御者服に身を包んでいた。
その顔は煤で汚れ、泥にまみれているけれど、今まで見たどんな時よりも生き生きとして見えたわ。
かつてのキザなナルシスト貴族はどこへやら、今や立派な「チームの一員」だ。
「頼もしいわね、パシリ一号。
でも、無茶は禁物よ。この馬車の積載量は半端じゃないんだから。
急カーブで横転なんかしたら、私の工房が台無しよ?」
「心得ているさ。僕の愛馬と、君の魔法があれば、空だって飛べるはずだ!
……まあ、実際に飛ぶ機能があるかは知らないけどね」
相変わらずのポジティブさね。
でも、これからの過酷な旅路には、その明るさが救いになるかもしれない。
「姐さん、こっちも片付いたぜ」
闇の中からディーノが現れた。
彼の手には、公爵の屋敷から回収した「退職金」と、最後の情報操作に使ったビラの残りが握られている。
その顔には、長年の仕事を終えた職人のような、清々しい疲労感があった。
「公爵の悪評は、明日の朝刊で確定事項になる。
新聞社だけじゃねえ、街の酒場や宿屋、賭博場にまで噂を流しておいた。
『ストレイ・フロンティアは、悪徳貴族の魔手から逃れるために旅立った』
『彼女は、腐った貴族社会に反旗を翻した英雄だ』ってな」
「完璧ね。これで私たちは、追放者じゃなくて『悲劇の亡命者』よ。
世論を味方につければ、公爵の残党も迂闊には手出しできないわ。
……それにしても、賭博場にまで手を回すなんて、相変わらず抜け目ないわね」
「へっ、情報は金になるからな。
ついでに『公爵が失脚する』に賭けて大儲けした奴らもいるらしいぜ。
そいつらは一生、姐さんに感謝するだろうよ」
私は苦笑いしながら、ディーノから革袋を受け取った。
中には、ずっしりと重い金貨と、数個の希少な魔石が入っていた。
当面の旅費としては十分すぎる額だ。
「ありがとう、ディーノ。
さあ、最後の仕上げよ」
私は懐から、銀色に輝く『Fカード』を取り出した。
これは、私が開発した魔導通信端末。
王都にばら撒いた量産型とは違い、特別な魔力波長を持つ「マスターカード」だ。
送信先は3つ。
王都の本店を守るフラッペ。
後見人として事後処理を引き受けてくれた侯爵。
そして、物流ルートを確保してくれたロドリ。
私は短いメッセージを打ち込んだ。
『ホンカン アトチ
ヨアケ ト トモニ
キエサリマス』
それは、過去との決別を告げる狼煙であり、新しい時代の幕開けを知らせる合図だ。
送信ボタンを押すと、画面に『ソウシン カンリョウ』の文字が浮かび上がる。
王都の本店では、フラッペが端末を握りしめ、夜空を見上げているだろう。
侯爵邸では、祖父が静かに頷いているはずだ。
そしてロドリは、商人の勘で新しいビジネスの匂いを嗅ぎつけているに違いない。
「……さようなら、私の鳥籠」
私はフロンティア家の本館跡地を見上げた。
かつては豪華絢爛な屋敷が建ち、私を見下ろしていた場所。
今は焼け落ち、瓦礫の山となり、そして間もなく跡形もなく消え去ろうとしている。
あそこには、私の辛かった記憶、悲しかった思い出、そして母との温かい時間、全てが埋もれている。
それを自分の手で葬り去ることに、寂しさがないと言えば嘘になる。
けれど、それ以上に胸のすくような解放感があった。
「さあ、乗り込んで!
夜明けまでに追手の包囲網を突破するわよ!」
私の号令と共に、全員が馬車に乗り込んだ。
ケースは早速、移動中継局の調整に入り、スノッツティは防衛システムの最終チェックを行っている。
ショウちゃんはと言えば、一番座り心地の良いソファを占領し、優雅に毛繕いを始めていた。
『フン、狭いな。吾輩の宮殿には程遠いが、まあ悪くない』
「文句言わないの。
あんたの影が、この馬車の動力源なんだからね。
しっかり働いてもらうわよ」
私はショウちゃんの頭を撫で、自分も席に着いた。
深紅の戦闘用ドレスを脱ぎ、動きやすいチュニックに着替える。
これで、本当に「令嬢ストレイ」は終わり。
これからは、開拓者ストレイとして生きていくのだ。
「出すぞ! しっかり捕まってろよ!」
アルフォンスの叫び声と共に、馬車がガクリと揺れた。
蹄の音が夜の森に響き渡り、車輪が回転を始める。
重厚な車体が、魔力アシストによって滑るように加速していく。
私たちは王都を背に、東へと向かう街道を疾走し始めた。
窓の外を流れる景色は、まだ暗くてよく見えないけれど、その向こうには確かに「未来」が待っている気がした。
「……あの、お嬢様。
イマクサに着いたら、本当に何でも作れるのですか?」
ケイナが期待に満ちた瞳で聞いてくる。
彼女は王都での生活を捨てることに、一瞬の迷いも見せなかった。
私についていくこと、それが彼女の選んだ道なのだ。
私はニヤリと笑って答えた。
「ええ、何でもよ。
リゾートホテルに遊園地、巨大なショッピングモールに温泉施設。
私の頭の中には、もう設計図ができているわ。
あそこはね、何もないからこそ、何でも描ける真っ白なキャンバスなの」
「温泉……! いいですね、私、大きなお風呂に入ってみたいです!」
ケイナが目を輝かせる。
その横で、ディーノが短剣の手入れをしながら口を挟んだ。
「俺はカジノだな。一攫千金できるようなデカい箱を作ってくれよ。
イマクサの荒くれ共から金を巻き上げるには、賭け事が一番だぜ」
「僕は研究所が欲しいです! 古代文明の謎を解き明かすための!
あの土地には、まだ知られていない魔力鉱脈があるはずなんです!」
ケースも前のめりになって語り出す。
スノッツティも工具をいじりながら、「ハロー! 僕のアトリエも忘れないでくれよ!」とウインクした。
仲間たちが口々に夢を語る。
その笑顔を見ているだけで、私の創作意欲が刺激されていく。
ああ、早く作りたい。
私の魔法で、あの荒れ果てた土地を、世界一面白い場所に変えてやりたい。
母が愛したあの場所を、誰もが羨む楽園にする。
それが、私にできる最大の親孝行であり、復讐でもあるのだから。
そんな妄想に浸っていると、不意に馬車が激しく揺れた。
ガタンッ! という衝撃と共に、外から爆発音と、怒号が聞こえてくる。
「チッ、やっぱり来やがったか!」
ディーノが窓を開け、後方を確認する。
そこには、土煙を上げて迫ってくる騎馬隊の姿があった。
彼らが掲げているのは、バルバロス公爵家の紋章旗。
主人の逮捕に逆上した私兵団の残党たちだ。
数は30……いや、もっといるかもしれない。
彼らは松明を掲げ、殺気立った形相で馬車を追ってくる。
「おのれ、ストレイ! 逃がさんぞ!
公爵様の無念、晴らさせてもらう!」
先頭の男が叫び、魔導銃を発砲した。
弾丸が馬車の外壁に当たり、防弾結界が青白く光る。
「しつこい客ね。
お帰りくださいって言ったのに、まだ遊び足りないのかしら」
私はため息をつき、天井のハッチを開けた。
夜風が吹き込み、私の髪を乱す。
ドレスから着替えたばかりのチュニックがはためく。
「アルフォンス、速度を維持して! 振り落とされないようにね!
ディーノ、迎撃準備!
お客様のお帰りよ。盛大に見送ってあげましょう!」
私の言葉に、全員が戦闘態勢に入った。
スノッツティがスイッチを押し、馬車の側面からガトリング砲のような筒がせり出す。
中身は実弾ではなく、強力な粘着液を含んだ「捕獲ネット」だ。
殺しはしない。
けれど、二度と追ってこれないように、きっちりと「梱包」してあげるわ。
「くらえ! フロンティア流・お見送り砲!」
ドシュシュシュッ!
無数のネットが発射され、先頭の騎馬隊を絡め取る。
馬ごと転倒し、後続の兵士たちが巻き込まれていく。
阿鼻叫喚の地獄絵図だわ。
「ハハッ! ざまあみろ!
こちとら伊達に修羅場くぐってねえんだよ!」
ディーノが快哉を叫ぶ。
しかし、敵の数は多い。
ネットを避けた別動隊が、側面から回り込もうとしてくる。
彼らの目は血走り、死をも恐れない狂気を孕んでいる。
騎乗している兵士たちの装備は、公爵家の資金で固めた高級な軽鎧だ。
だが、私の目には、その鎧がただの「綻びだらけの布」に見えていた。
「……野蛮ね。せっかくのいい素材が台無しだわ。
私が『お直し』してあげる」
私は馬車の屋根に立ち、銀の針を構えた。
魔力を込めると、針先が青白く発光する。
狙うのは、兵士たちの鎧を繋ぎ止めている「革紐」と「留め金」だ。
「分解魔法、『テクスチャ・ブレイク』!」
私が針を振ると、見えない魔力の刃が飛んだ。
それは兵士たちの装備を正確に捉え、結合部分を一瞬で切断する。
パチン! ブチッ!
乾いた音が響き、兵士たちの鎧がバラバラに弾け飛んだ。
肩当てが落ち、胸当てが外れ、脛当てが砕け散る。
突然防御力を失った兵士たちは、バランスを崩して馬から転げ落ちた。
「な、何だ!? 鎧が勝手に……!」
「うわあっ! 裸同然じゃないか!」
兵士たちがパニックに陥る。
その隙を逃さず、私はさらに追撃を加えた。
今度は、彼らが乗っている馬の装備だ。
「鞍も鐙も、邪魔くさいわね。
全部外して、馬たちを自由にしてあげましょう」
再び針を閃かせる。
馬具の留め金が外れ、鞍がずり落ちる。
支えを失った兵士たちは、無様に地面へと投げ出された。
解放された馬たちは、いななきを上げて森の中へと走り去っていく。
「ああっ! 待て! 戻ってこい!」
馬を失い、鎧を失い、ただの歩兵となった残党たち。
もはや脅威ではない。
ただの、哀れな敗残兵だ。
「ふふっ。お似合いよ。
自分の足で歩いて帰りなさい」
私は彼らを見下ろし、冷ややかに告げた。
これにて、カーチェイスは終了。
私たちの圧勝ね。
++++++++
鎧と馬を失い、地面に放り出された兵士たちは、もはや追撃どころではなかった。
私たちは彼らを置き去りにして、さらに速度を上げた。
森を抜け、荒涼とした岩場へと差し掛かる。
このまま逃げ切れれば、王都エリアを脱出できるはずだ。
「……ん? 姐さん、後ろ!」
ディーノが窓から身を乗り出し、叫んだ。
見ると、敗走する兵士たちの中に、一人だけ立ち止まっている男がいた。
彼は懐から何かを取り出し、天に向けて掲げている。
それは、禍々しい紫色の光を放つ『通信魔石』だった。
「増援を頼む! 奴らは化け物だ!
魔導部隊を出せ! 空から焼き払ってくれ!」
男の絶叫が、魔力に乗って遠くまで響き渡る。
その瞬間、遥か上空の雲が渦を巻き始めた。
「……まずいわね。魔導部隊ですって?」
私は眉をひそめた。
魔導部隊。
それは、バルバロス公爵が秘密裏に育成していた、空を飛ぶ魔導師のエリート集団だ。
彼らが来れば、空からの爆撃でフロンティア号は黒焦げになる。
馬車に防空システムは積んでいるけれど、多勢に無勢だわ。
「どうする、師匠!
このままじゃ追いつかれるぞ!」
アルフォンスが焦りの色を浮かべる。
馬車は最大戦速で走っているが、空を飛ぶ相手からは逃げきれない。
「……仕方ないわね。
ここで決着をつけるしかないわ」
私は決断した。
追手を振り切るだけじゃダメだ。
彼らの戦意を根底からへし折り、二度と追ってこれないほどの絶望を与える必要がある。
そのためには、最大のカードを切るしかない。
「アルフォンス、速度を維持して!
ケース、後方の座標を計算!
ターゲットは『フロンティア家本館跡地』よ!」
「えっ!? あそこを狙うんですか!?」
ケースが驚愕する。
今、私たちは本館跡地から数キロ離れた場所を走っている。
そこを狙ってどうするつもりなのか、彼には理解できないだろう。
「いいから計算して!
ディーノ、ショウちゃん、私の魔力回路を補助して!
デカいのを一発、ぶちかますわよ!」
「へいよ! 何するか知らねえが、乗った!」
『フン、派手にやるつもりだな』
私は馬車の屋根に上がり、風の中に立った。
ドレスから着替えたチュニックが激しくはためく。
後方からは、既に魔導部隊のものと思われる黒い影が数点、空を飛んで近づいてきていた。
「……間に合ってよ」
私は右手を高く掲げ、意識を集中させた。
遥か後方、今はもう見えない本館跡地。
その地下深くに、私が事前に仕込んでおいた魔法陣がある。
それは、アイリスにドレスを渡した日、回収作業のついでに刻み込んでおいた『終焉の刻印』だ。
イメージするのは、砂上の楼閣。
積み上げたものが一瞬で崩れ去る、儚くも美しい滅びの光景。
「座標固定、魔力充填率120%!
いつでもいけます、社長!」
ケースの声がインカムから響く。
私はニヤリと笑った。
「ありがとう。
さあ、見ていなさい。
これが、私の『お片付け』よ」
私は指先に全魔力を込めた。
それは、ただの合図ではない。
因果を断ち切り、過去を清算するための、最後の一撃。
空気が震える。
魔力が飽和し、スパークする。
「さようなら、私の鳥籠。
これにて、終幕よ!」
私は高らかに宣言し、指を鳴らした。
パチン!
その乾いた音が、終わりの始まりの合図だった。
瞬間。
遥か彼方の地平線が、青白く発光した。
地面に描かれた魔法陣が起動し、巨大な光の柱となって夜空を貫いたのだ。
それは、攻撃魔法ではない。
建物を構成する物質の結合を強制的に解除する、大規模な『風化の魔法』の起動シーケンスだった。
光の柱は徐々に太さを増し、周囲の空間を歪ませていく。
空を飛んでいた魔導部隊も、その異常な魔力反応に気づき、動きを止めた。
「な、何だあれは!?」
「本館の方角から……!?」
彼らが呆然と見つめる先で、歴史あるフロンティア家の屋敷跡地が、音もなく崩れ去ろうとしていた。




