第93話 契約魔法の真実「あなたたちに私を売る権利はない」
アイリスと公爵が連行され、父と弟との別れも済ませた私は、会場の片隅で待っていた老紳士――祖父である侯爵の元へ向かった。
彼は静かに杖をつき、瓦礫と化したステージを眺めていた。
その背中からは、一族の恥を晒した悲しみよりも、腐敗を断ち切った安堵の空気が漂っている。
「……お待たせいたしました、閣下」
私が声をかけると、侯爵はゆっくりと振り返った。
厳格なその瞳が、私を真っ直ぐに見据える。
「見事だった。
あの公爵を、あれほど鮮やかに葬るとはな。
私の想像を遥かに超えていたよ」
「恐れ入ります。
全ては、閣下のご協力があってこそですわ」
私は深々と頭を下げた。
彼が衛兵を動かし、公爵を法的に拘束してくれたからこそ、私のショーは完結したのだ。
個人対個人の喧嘩ではなく、国を巻き込んだ断罪劇として。
「礼を言うのはこちらの方だ。
フロンティア家の膿を出し切ってくれたのだからな。
……お前からの手紙には、私を拒絶する言葉ばかりが並んでいたが、あれも偽物だったのだな。
……さて、これを受け取れ」
侯爵は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、私に渡した。
それは、王家の印章が押された公式文書だった。
「これは……?」
「アイリス・フロンティアがバルバロス公爵と交わした契約書の『無効証明書』だ。
魔術的には、お前が仕込んだ術式で既に無効化されているようだが、人間社会の法廷ではそうもいかん。
公爵が『金だけ取られた詐欺だ』と騒ぎ立てるのを防ぐため、王家の名において正式に契約の無効を宣言し、公爵側の過失を認定させたものだ」
なるほど、完璧なアフターフォローね。
これで、法的な決着もついた。
公爵はいかなる手段を用いても、私に賠償を求めることはできない。
「ありがとうございます。
これで、心置きなく旅立てます」
「うむ。
……ストレイよ。本当にイマクサへ行くのか?
王都に残れば、私が後見人となって、もっと良い縁談も用意できるぞ。
お前の才能なら、宮廷デザイナーとして生きる道もある」
侯爵の提案は、彼なりの最大の愛情表現だった。
孫娘を荒れ果てた辺境へ行かせたくない、安全な場所で幸せになってほしいという願い。
けれど、私は首を横に振った。
「お気持ちだけ、頂戴いたします。
でも、私は自分の道を行きたいのです。
母様が愛したあの土地を、私の手で蘇らせたい。
それが、私にとっての幸せですから」
私の決意を聞いた侯爵は、少し寂しそうに、けれど満足げに微笑んだ。
「そうか。やはり、あの子の娘だな。
頑固なところまでそっくりだ」
彼は私の手を取り、固く握手をした。
その手は、皺だらけだけれど、とても力強かった。
「行け、ストレイ。
自分の信じる道を突き進め。
何かあれば、いつでも力になろう」
「はい。行って参ります」
私は祖父に別れを告げ、その場を離れた。
これで、王都に残した未練は本当になくなった。
会場のあちこちでは、ディーノたちがまだ忙しく動き回っている。
彼は散らばった証拠書類を回収しつつ、記者たちに情報をリークしていた。
「へっ、公爵の悪事をもっと詳しく知りたいか?
なら、明日の朝刊を楽しみにしな。
特ダネをくれてやるよ」
彼の巧みな話術に、記者たちが群がっている。
これで、公爵の悪評は決定的なものとなり、彼を擁護する者は誰もいなくなるだろう。
「おーい、姐さん!
こっちの片付けも終わったぜ!」
ディーノが手を振る。
ケイナも、ショウちゃんも、アルフォンスも、全員集合していた。
「お疲れ様。
さあ、最後の仕上げよ。
この会場ごと、綺麗さっぱり消してしまいましょう」
私は指を鳴らした。
瞬間、会場を照らしていた照明が一斉に消え、設営されていたテントやステージが魔法の光となって霧散していく。
私が事前に仕掛けておいた『撤収魔法』だ。
一夜限りの夢のように、パーティーの痕跡は跡形もなく消え去った。
残されたのは、静まり返った更地と、夜空に輝く月だけ。
「……ふぅ。
これで、本当に終わりね」
私は大きく伸びをした。
心地よい疲労感が体を包む。
「帰ろう、みんな。
私たちの馬車へ」
私たちは闇に紛れ、会場の裏手に隠しておいた『フロンティア号』へと向かった。
足取りは軽く、心は晴れやかだった。
物語は、いよいよ最終局面へ。
王都脱出の時が、すぐそこまで迫っている。
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アイリスと公爵が衛兵に連行され、会場の喧騒が少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃。
私はステージを降り、会場の隅で立ち尽くしている二人の人物の元へ歩み寄った。
父リックザクと、弟フラッペだ。
父は私が着せたタキシードの襟を握りしめ、魂が抜けたように一点を見つめていた。
アイリスの没落、公爵の逮捕、そして家の破産。
彼が縋っていたものが、一夜にして全て消え去ったのだ。
そのショックは計り知れないだろう。
「……お父様」
私が声をかけると、彼はビクリと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。
その目には、私への恐怖と、そして深い後悔の色が浮かんでいた。
「ス、ストレイ……。
俺は……俺は……」
彼は言葉を紡ぐことができない。
何を言っても言い訳にしかならないことを、彼自身が一番よく分かっているからだ。
「謝罪なんていらないわ。
そんなもので、過去が消えるわけじゃないもの」
私は冷たく言い放った。
けれど、その声には以前のような刺々しさはなかった。
もう、彼を恨む気力さえ湧かない。
彼はただの、弱くて哀れな老人なのだ。
「でも、一つだけ言っておくわ。
貴方はもう、誰の言いなりにもならなくていいのよ」
「え……?」
「アイリスはいなくなった。公爵もいない。
貴方を縛っていた鎖は、もうどこにもないわ。
だから、これからは自分の足で立ちなさい。
自分の頭で考えて、自分の人生を生きるのよ」
私の言葉に、父は目を見開いた。
彼は長い間、誰かに依存することでしか生きられなかった。
自分の弱さを直視するのが怖くて、強い誰かの後ろに隠れていたのだ。
でも、もう隠れ場所はない。
「……できるだろうか。
俺なんかに……」
「できるわよ。
だって貴方は、かつて剣一つで王都を沸かせた『剛剣のリックザク』なんでしょう?
その誇りさえ忘れなければ、きっとやり直せるわ」
私は彼の手を取り、強く握った。
父の手は震えていたけれど、温かかった。
「……ありがとう、ストレイ。
すまなかった。本当に、すまなかった……!」
父はその場に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。
私は彼の肩を一度だけ叩き、そして隣に立っていたフラッペの方を向いた。
彼は泣いていなかった。
ただじっと、その大きな瞳で私を見つめている。
その目には、かつての生意気な子供の色はなく、一人の少年としての意思が宿っていた。
「……姉上。行くんだね」
「ええ。ここでの仕事は終わったから」
「僕も……連れて行ってくれないの?」
彼は小さな声で尋ねた。
イマクサでの開拓生活。
彼にとっても、それは魅力的な冒険に見えるのかもしれない。
でも、私は首を横に振った。
「ダメよ。あんたには、やるべきことがあるでしょ?」
私は彼の足元に寄り添うポチMk-IIを指差した。
「この店を、そしてこの街を守りなさい。
王都の本店には、まだ私の作った服を待っているお客さんがたくさんいるの。
その人たちを笑顔にするのが、あんたの仕事よ」
「……僕に、できるかな?」
「できるわ。
あんたは、自分の大切なものを守るために、勇気を出して戦ったじゃない。
その気持ちがあれば、大丈夫よ」
私は懐から、一つの魔導キーを取り出し、フラッペに渡した。
それは、ポチMk-IIのマスターキーであり、王都の店の管理権限を示す鍵だ。
「これをあんたに預けるわ。
強くなりなさい、フラッペ。
誰かを守れるくらいにね」
「……うん!
僕、頑張るよ!
姉上に負けないくらい、立派な店長になる!」
フラッペがキーを握りしめ、力強く頷く。
ポチも「ワン!」と吠えて、主人の決意に応えた。
「いい返事ね。
じゃあ、また会いましょう。
……いつか、私が凱旋する時まで、店を潰さないようにね」
私は二人に背を向け、歩き出した。
もう、振り返ることはない。
家族との因縁は、ここで完全に断ち切られた。
会場の裏手、森の中に隠されたスペースには、仲間たちが待っていた。
ディーノ、ケイナ、ショウちゃん、アルフォンス、ケース、そしてスノッツティ。
全員、晴れやかな顔をしている。
「終わったな、姐さん」
「ええ。長かったけど、悪くないショーだったわ」
私はニッコリと笑い、彼らの輪に入った。
会場の喧騒が遠ざかっていく。
夜空には満月が輝き、私たちの行く手を照らしていた。
私はふと足を止め、夜空を見上げた。
そこには、母が見守ってくれているような気がした。
「……母様、見ていてくれましたか?
私はもう、大丈夫です。
貴女が愛した場所で、新しい物語を紡いでいきます」
心の中で語りかけ、私は再び歩き出した。
次の舞台へ向かって。
「さあ、みんな!
ここからは撤収作業よ!
証拠隠滅、情報操作、そして……夜逃げの準備!
朝が来るまでに、王都を脱出するわよ!」
「「「アイアイサー!」」」
私の号令と共に、チーム・ストレイが動き出す。
まだ夜は長い。
私たちの戦いは、終わったようでいて、実はまだ始まったばかりなのだから。




