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第85話 【就職】最強の御者、誕生

 夕暮れが迫る森の中、アルフォンスは上着を脱ぎ捨て、袖をまくり上げて馬のブラッシングをしていた。


 普段の彼なら「馬の世話なんて使用人の仕事だ」と言って鼻で笑うところだけれど、今の彼は違う。

 汗を流し、泥に汚れながらも、その瞳は真剣そのものだ。


「よしよし、いい子だ。

 今夜は頼むぞ。僕たちの未来がかかっているんだからな」


 彼が愛馬のたてがみを撫でると、馬はブルルと鼻を鳴らして応えた。

 どうやら、すっかり懐かれているようね。


「あら、様になってるじゃない。

 これなら、王宮の御者にも引けを取らないわね」


 私が声をかけると、アルフォンスは驚いて振り返った。


「し、師匠!

 見ていたのかい? 恥ずかしいな」


「恥ずかしくなんてないわ。

 自分の命を預ける相手(馬)を大事にするのは、プロとして当然のことよ」


 私は彼にタオルを投げ渡した。

 彼はそれを受け取り、顔の汗を拭う。


「でも、不安なんだ。

 いざという時、僕にこの巨大な馬車を操れるのかどうか……。

 もし失敗して、君たちを危険に晒してしまったらと思うと、手が震えるよ」


 彼は正直に吐露した。

 魔力炉を搭載し、武装まで施されたフロンティア号は、普通の馬車とは重量も操作性もまるで違う。

 それを、追っ手が迫る中、全速力で走らせるのだ。

 プレッシャーは相当なものだろう。


「大丈夫よ。

 貴方には才能があるわ。

 以前、私の店に乗り込んできた時、馬車をピタリと入り口に横付けしたでしょう?

 あの空間把握能力は、御者向きよ」


「そ、そうかな?

 あれは偶然というか、勢いで……」


「勢い、結構じゃない。

 御者に必要なのは、技術よりも度胸と判断力よ。

 迷ったらアクセルを踏む。

 障害物があったら乗り越える。

 貴方のその『無鉄砲さ』が、今夜は最大の武器になるわ」


 私が言うと、アルフォンスは少しだけ自信を取り戻したように笑った。


「無鉄砲か。

 褒め言葉として受け取っておくよ」


 そこへ、整備を終えたディーノがやってきた。

 彼は手に、使い込まれた革の鞭を持っていた。


「おい、ボンボン。

 これ使いな」


 ディーノが鞭を放り投げる。

 アルフォンスはそれを受け取り、しげしげと眺めた。


「これは?」


「俺が昔使ってたやつだ。

 魔力を通しやすくて、手首への負担も少ない。

 お前みたいな素人にはもったいない代物だが、特別に貸してやるよ」


 ディーノはそっぽを向いて言う。

 素直じゃないわね。

 でも、それが彼なりのエールなのだ。


「……ありがとう、ディーノ君。

 大切に使わせてもらうよ」


 アルフォンスは鞭を握りしめ、試しに空を打った。

 ピシッ!

 鋭い音が響き、空気が震える。


「いい音だ。

 これなら、風さえも切り裂いて進めそうだ」


「へっ、言うじゃねえか。

 なら証明してみせろよ。

 今夜の脱出劇、お前の手綱捌きにかかってるんだからな」


「ああ、任せてくれ!

 僕が君たちを、必ず新天地へ送り届けてみせる!」


 アルフォンスの宣言に、私たちも力強く頷いた。

 これで、移動手段の不安は解消された。

 年収1800万の貴族が、泥まみれになって御者を務める。

 なんて贅沢で、そして頼もしいのかしら。


「さあ、日没まであと少しよ。

 最後の休憩をとったら、いよいよ会場入りよ!」


 私の号令で、全員が動き出す。

 フロンティア号のエンジンが、低く唸りを上げていた。


 決戦の時は、もうすぐそこまで来ている。


++++++++


 日が沈み、森の奥に隠されたフロンティア号の周りは、深い闇に包まれていた。

 その中で、アルフォンスは道化師の仮面をつけ、鏡の前で最終チェックをしていた。

 タキシードの上から派手なマントを羽織り、手には手品用のステッキを持っている。

 どこからどう見ても、怪しげなエンターテイナーだわ。


「ふふふ……。どうだい、師匠?

 このミステリアスな雰囲気、完璧だろう?」


「ええ、完璧よ。

 誰が見ても、貴方がゴールドバーグ家の御曹司だとは思うまいわ」


「だろう?

 今夜の僕は、ただの『名もなき道化師』。

 会場をカオスに陥れ、そして風のように去っていくのさ!」


 彼はマントを翻し、意気揚々と馬車を降りていった。

 その背中は、頼もしいと同時に、少しだけ心配になるほどハイテンションだったけれど、まあ彼なら大丈夫でしょう。


「さて、次は貴女たちね」


 私はケイナとディーノに向き直った。

 ケイナは給仕の制服を着て、緊張でガチガチに震えている。

 ディーノは黒服に身を包み、いつもの短剣を隠し持っていた。


「ケイナ、大丈夫?

 顔色が悪いわよ」


「は、はい……。

 でも、もし失敗して、お嬢様の計画を台無しにしてしまったらと思うと……」


「失敗なんてないわ。

 もし何かあったら、全部笑いに変えればいいのよ。

 転んだらポーズを決める。

 皿を割ったら『厄払い』だと言って笑い飛ばす。

 それが、フロンティア流の接客術よ」


 私がウィンクすると、ケイナはほっとしたように息を吐いた。


「分かりました……!

 私、精一杯楽しみます!」


「いい子ね。行ってらっしゃい」


 ケイナが小走りで会場の方へ向かっていく。

 ディーノもそれに続いた。


「俺は照明と警備の指揮を執る。

 姐さんが合図したら、一斉に仕掛けを作動させるぜ」


「頼んだわよ。

 ショウちゃん、あんたも頼むわね」


『フン、任せておけ。

 公爵の影に潜んで、いつでも寝首を掻けるようにしておいてやる』


 ショウちゃんが影の中に溶け込んでいく。

 これで、私の手足となるスタッフたちは全員配置についた。


 馬車の中には、私一人だけが残された。

 静寂が満ちる。

 私は深紅のドレスの裾を直し、深呼吸をした。


 (いよいよ、始まるわね)


 このパーティーは、単なる復讐劇ではない。

 私がこの世界で生きていくための、最初で最大の『営業プレゼン』だ。

 公爵を倒し、アイリスを黙らせ、そして世界中に私の名前を刻み込む。

 失敗は許されない。


 でも、不思議と恐怖はなかった。

 あるのは、これから始まる大舞台への高揚感だけ。


 私は懐からマイクを取り出し、スイッチに指をかけた。

 会場のざわめきが、モニター越しに聞こえてくる。

 客は満員。

 役者も揃った。


 あとは、主役が登場するだけだわ。


「……さあ、行きましょうか。

 私の人生を賭けた、一世一代のショータイムへ!」


 私は馬車を降り、闇夜に紛れて会場の裏手へと進んだ。

 足取りは軽く、心は熱く燃えていた。


 フロンティア家、最後の夜。


 その幕開けまで、あと数分。


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