第82話 空間の裏地、縫製魔法「どこでもスイート」
パーティーの前日、王都の工房の裏手。
そこには、一台の古びた幌馬車が置かれていた。
塗装は剥げ、車輪は泥だらけ。
どこからどう見ても、廃車寸前のポンコツだわ。
「……師匠。本当にこれに乗っていくのかい?
僕の美学が許さないんだけど」
アルフォンスが顔をしかめて抗議する。
彼はピカピカの貴族用馬車を想像していたのだろう。
無理もないわね。
「外見はカモフラージュよ。
目立てば公爵の追っ手に狙われるでしょ?
大事なのは中身。さあ、入ってみて」
私は幌をめくり、中へと招き入れた。
アルフォンスは渋々といった様子で足をかけ、そして……固まった。
「……は?」
彼の目の前に広がっていたのは、薄暗い荷台ではなかった。
高い天井、磨き上げられたフローリング、そして柔らかな光を放つシャンデリア。
そこは、王都の一等地に建つ高級マンションのリビングルームそのものだった。
「よ、ようこそ! ここが私たちの新しいお家ですよ!」
先に中で作業をしていたケイナが、エプロン姿で出迎える。
彼女の後ろには、広々としたシステムキッチンがあり、いい匂いのスープが煮込まれていた。
「ど、どうなってるんだ!?
外から見たら畳二畳分くらいしかなかったはずだぞ!?」
「空間拡張魔法よ。
服の裏地を折りたたんでポケットを作るように、空間の襞を縫い合わせて広げたの。
理論上は無限に拡張できるけど、馬の負担を考えて4LDKに抑えておいたわ」
私は得意げに解説した。
これは、私の『テクスチャ・リライト』を応用した、最高難度の空間魔法だ。
普通の魔導師なら一生かかっても習得できない技術を、私は「裁縫感覚」でやってのけたわけ。
「信じられない……。君は神か何かかい?」
「ただの服屋よ。
さあ、案内するわ。
こっちが貴方たちの部屋、奥が私の工房、そして……」
私は廊下の突き当たりにある扉を開けた。
そこには、湯気を立てる大きなバスタブがあった。
しかも、ジャグジー付きだ。
「お風呂も完備よ。
水は循環魔法で常に清潔に保たれているわ」
「最高だ……! これなら長旅も苦にならない!」
アルフォンスが歓声を上げる。
さらに、私は壁のスイッチを押した。
すると、窓の外の景色が切り替わり、美しい草原の風景が映し出された。
「これは『環境投影ウィンドウ』。
外が嵐でも砂漠でも、中からは好きな景色を楽しめるわ。
もちろん、防音・防振機能も完備よ」
「すごい……すごすぎるよ師匠!
これなら一生住める!」
アルフォンスはソファに飛び込み、その感触を楽しんでいる。
やれやれ、単純な男ね。
でも、これくらいの快適さがなきゃ、イマクサまでの過酷な旅路は耐えられないわ。
「さて、居住スペースはこれで良しとして。
次は『動力』と『防衛』のチェックね」
私は床下のメンテナンスハッチを開け、地下(馬車の床下)へと潜った。
そこには、複雑な魔法陣と、昨日回収した『呪いの魔導具』たちが組み込まれたエンジンルームがあった。
「ショウちゃん、調子はどう?」
『悪くない。呪いのエネルギー変換効率は良好だ。
これなら、馬なしでも自走できるぞ』
エンジンの上で丸まっていたショウちゃんが答える。
そう、この馬車は馬に引かせるだけでなく、魔力駆動で自律走行も可能なハイブリッド車なのだ。
緊急時には、タイヤを変形させて空を飛ぶことだってできる(まだ実験段階だけど)。
「頼もしいわね。
ディーノ、武装の方は?」
「バッチリだぜ姐さん。
屋根には『番犬くん』の発射台、側面には『粘着ネット』の発射口を仕込んである。
追っ手が来ても、ハチの巣にしてやるよ」
ディーノが整備中のガトリング砲(のような魔導具)を撫でる。
過剰防衛気味だけど、相手は公爵軍だもの、これくらいで丁度いいわ。
「よし、準備万端ね。
これなら、どんなトラブルが起きても笑って切り抜けられるわ」
私はハッチを閉め、リビングに戻った。
そこには、ケイナが淹れてくれた紅茶を囲んで、仲間たちが談笑していた。
アルフォンス、ケース、スノッツティ、そしてフラッペとポチ。
個性豊かで、頼りになる私の『家族』たち。
「……悪くないわね」
私は彼らの輪に入り、温かい紅茶を一口飲んだ。
ここが、私たちの新しい城。
フロンティア・テキスタイル移動本店、『フロンティア号』の船出だわ。
「さあ、みんな!
明日の夜はパーティー、そしてその後は出発よ!
荷造りは済んだ? 忘れ物はない?」
「はいっ!」
元気な返事が返ってくる。
私は窓の外、王都の空を見上げた。
そこには、嵐の前の静けさを湛えた満月が輝いていた。
決戦まで、あとわずか。
そして、旅立ちの時も近い。
私の心は、かつてないほど高鳴っていた。
++++++++
仲間たちが談笑するリビングを抜け、私は馬車の最奥にある自分専用の部屋へと入った。
そこは、他の部屋とは少し空気が違う。
静謐で、どこか凛とした気配が漂う空間。
私の寝室であり、同時に魔法の研究と製作を行う『聖域』だ。
壁一面には、色とりどりの糸や布地が整然と並べられ、中央には愛用の作業台が置かれている。
私はその上に、本館から取り戻した『母の裁縫箱』をそっと置いた。
「……ここが、私の新しい居場所よ」
私は箱を開け、中に入っていた銀の針を一本取り出した。
指先に馴染む冷たい感触。
これがなければ、私は今頃バナナの皮で死んだまま、誰にも知られずに朽ち果てていただろう。
服を作り、人を救い、そして家を壊した。
この数ヶ月で、私の人生は劇的に変わった。
「後悔なんてないわ。
だって、今の私は前世のどの瞬間よりも輝いているもの」
私は壁に貼られたイマクサの地図を見上げた。
そこには、まだ見ぬ大地と、無限の可能性が広がっている。
私が守り、育てていくべき場所。
「待ってなさい、イマクサ。
貴方には、世界一素敵な『ドレス』を着せてあげるから」
私は地図の上に、新しい計画書を貼り付けた。
『イマクサ・リゾート開発計画』『古代遺跡テーマパーク化構想』そして『対公爵防衛線構築案』。
夢と現実が入り混じった、私だけの未来予想図だ。
一人で悦に入っていると、不意にポケットの中の魔導端末が震えた。
ピピピ、という無機質な電子音が、静寂を破る。
私は画面を確認し、眉をひそめた。
発信者はディーノだ。
『緊急連絡。
公爵軍、予定ヨリ早ク ウゴキダシタ。
明日ノ ヒル ニハ トウチャク スル』
「……早いわね。気が短いの?」
私は舌打ちをした。
当初の予定では、パーティーは明後日の夜。
公爵軍もそれに合わせてゆっくり進軍してくると踏んでいたのに。
どうやら、私の挑発(偽の契約書)が効きすぎて、待ちきれなくなってしまったらしい。
「まあいいわ。
早まるなら、早めるだけよ」
私は端末を操作し、全スタッフに一斉送信した。
『作戦変更。
パーティー ハ 明日ノ ヨル。
ジュンビ ヲ イソゲ』
送信ボタンを押すと同時に、ドアがノックされた。
ケイナだ。
「お嬢様! 今の連絡、本当ですか!?」
「ええ。敵さんがせっかちなのよ。
徹夜になるけど、付き合ってくれる?」
私が尋ねると、ケイナは力強く頷いた。
「もちろんです!
私、もう眠気なんて吹き飛びました!」
「いい子ね。
じゃあ、最終仕上げに取り掛かるわよ。
会場のセッティング、料理の仕込み、そして……」
私は作業台の上のドレス――アイリスに着せる『感謝のドレス』を見つめた。
「このドレスに、最後の一針を入れる」
私は針を手に取り、魔力を込めた。
銀色の光が走り、ドレスの生地に吸い込まれていく。
それは、私の怒りと、哀れみと、そして決別への意志を込めた、最強の呪い。
「さあ、お義母様。
貴女のために、時間を巻いてあげたわ。
破滅へのカウントダウン、スタートよ」
私は不敵に笑い、工房を出た。
外のリビングでは、既に仲間たちが臨戦態勢に入っていた。
アルフォンスは剣を磨き、ケースは魔導書を読み込み、スノッツティは爆弾(のような花火)を調整している。
「みんな、準備はいい!?」
「おう!」
頼もしい声が返ってくる。
このメンバーなら、どんな急な変更にも対応できる。
私たちは最強の劇団『フロンティア』なのだから。
「行くわよ!
明日の夜は、歴史に残る大騒ぎにしてやるんだから!」
私の号令と共に、フロンティア号のエンジン(魔導炉)が唸りを上げた。
決戦の地、本館跡地へ向けて。
私たちの最後の戦いが、今始まる。




