第76話 名演技、売られる娘の「完璧な落胆」
決戦の日が近づくにつれ、王都の『フロンティア・テキスタイル』周辺は、異様な熱気に包まれていた。
表向きは「新作発表会」と称して客を集めているけれど、裏では着々と「破滅の宴」の準備が進んでいる。
アイリスは、私が用立てた資金を湯水のように使い、フロンティア家の跡地に巨大な天幕を張らせていた。
最高級の料理、楽団の手配、そして招待客への豪勢な引き出物。
彼女は完全に舞い上がっている。
自分が「公爵夫人の母」として社交界に返り咲くことを疑いもしない、幸せなピエロだわ。
「お嬢様、会場の音響設備、セッティング完了しました。
マイクには魔力増幅器を仕込んであります。
囁き声一つ逃さず、会場中に響き渡りますよ」
ケイナが端末で報告してくる。
彼女は今、現地スタッフに変装して会場に入り込んでいるのだ。
「ご苦労様。照明の方は?」
「バッチリです! スポットライトの位置、光量、全て計算通りです。
アイリス様が一番無様に見える角度で調整してあります!」
「ふふっ、いい性格してるわね。
さあ、こっちも仕上げにかかりましょうか」
私は工房の鏡の前で、今日の「衣装」を整えた。
淡いブルーのシフォンドレス。
儚げで、清楚で、そしてどこか悲壮感を漂わせるデザイン。
メイクも血色を抑え、目の下に薄くシャドウを入れて「心労でやつれた令嬢」を演出する。
今日は、大事なお客様が来る日だもの。
最高の演技でおもてなししないとね。
カランカラン、と店のベルが鳴った。
入ってきたのは、黒いスーツを着た中年男。
バルバロス公爵の使い、執事のセバスチャンだ。
彼は慇懃無礼な態度で店内を見回し、私を見つけると鼻で笑った。
「ごきげんよう、ストレイ様。
本日は、公爵様より『最終確認』を仰せつかって参りました」
セバスチャンの声は大きく、店内の客たちに聞こえるように調整されている。
公爵は疑り深い男だ。
アイリスが「娘を説得した」と言っても、簡単には信じない。
だからこうして、私の意志を直接確認しに来たのだ。
「……お待ちしておりました」
私は震える声で答え、一歩前に出た。
その瞬間、店内の空気が凍りつく。
客の中に紛れ込んでいた新聞記者たち(ディーノが手配したサクラ含む)が、一斉にメモを取り始めた。
「単刀直入に伺いましょう。
貴女は、公爵様との婚姻を承諾するのですね?
フロンティア家の借金を帳消しにする条件で」
セバスチャンが羊皮紙を突きつける。
そこには、私を「商品」として扱う屈辱的な条項が並んでいた。
私はそれを手に取り、わざとらしく手が震える演技をした。
「……はい。それが、母様の……いえ、フロンティア家の決定ですので」
「ほう。随分と素直ですね。
以前のような威勢の良さはどうしました?」
「私に……拒否権などありません。
家のため、親のため。娘が犠牲になるのは当然のことですから……」
私は瞳に涙を溜め、今にも壊れそうな儚い微笑みを浮かべた。
その姿に、店内の客たちからすすり泣く声が漏れる。
「なんて可哀想な……!」
「あんなに才能があるのに、借金のカタに売られるなんて!」
「公爵って、あの変態公爵でしょ? ひどすぎるわ!」
世論の風向きが変わっていくのを肌で感じる。
よし、いい感じよ。
「では、ここに署名を。
これで貴女は、正式に公爵様の『所有物』となります」
セバスチャンがペンを差し出す。
私はそれを受け取り、躊躇うようにペン先を紙に落とした。
ポタリ、とインクが滲む。
それはまるで、私の涙のようだった(という演出)。
「……書きました」
私がサインを終えると、セバスチャンは満足げに羊皮紙をひったくった。
「結構。では、明日のパーティーでお待ちしておりますよ。
逃げようなどとは考えないことです。
店の外には、我が公爵家の私兵が見張っておりますからな」
彼は捨て台詞を残し、足早に店を出て行った。
その背中を見送りながら、私はその場に崩れ落ちた。
「お嬢様!」
ケイナが駆け寄り、私を抱きしめる。
記者たちが一斉にフラッペを焚く。
『悲劇の令嬢、涙の決断』
『悪徳公爵の魔手、才能あるデザイナーを襲う』
明日の朝刊の見出しは決まりね。
「……うぅっ……ひっ……」
私はケイナの胸で顔を隠し、肩を震わせた。
泣いているフリをしながら、心の中でガッツポーズを決める。
(見たか、セバスチャン。
あんたが持ち帰ったその契約書、私が昨夜徹夜で作った『偽造品』よ。
サインも魔法インクで書いてあるから、数日後には消えてただの白紙になるわ)
公爵はこれで安心し、明日のパーティーにノコノコやってくるだろう。
そして、自分が手に入れたと思った『商品』が、実は爆弾だったことを知るのだ。
「……本日は、もう店じまいにさせてください。
少し、休ませて……」
私はか細い声で客たちに告げ、工房の奥へと下がった。
扉が閉まり、誰の目もなくなった瞬間。
私はガバッと顔を上げ、涙を袖で拭った。
「ふぅーっ! 疲れた!
シリアスな演技って肩凝るわね!」
「お、お嬢様……。切り替え早すぎです」
ケイナが呆れている。
影からディーノが出てきて、親指を立てた。
「最高だったぜ姐さん。あの記者たち、ボロ泣きしながら帰っていったぞ。
これで世論は完全にこっちの味方だ」
「ええ。公爵が悪者になればなるほど、明日の『ざまぁ』が盛り上がるわ。
……さて、泣いてる暇はないわよ。
最後の仕上げにかかりましょう」
私は作業台に向かい、製作途中のドレスを広げた。
明日の主役、アイリスが着る『感謝のドレス』だ。
純白の生地に、美しい刺繍が施されているけれど、その裏地には凶悪な魔法陣がびっしりと書き込まれている。
「ショウちゃん、影銀糸を。
このドレスに『自動解体』の術式を編み込むわ。
トリガーは、私の歌声。
サビの最高音で、一気に弾け飛ぶように設定して」
『フン、悪趣味な女だ。だが、その手際は認めよう』
ショウちゃんが協力してくれる。
針が走るたびに、ドレスは美しく、そして危険な輝きを増していく。
「待ってなさい、お母様。
貴女が一番輝く瞬間を、私がプロデュースしてあげるから」
工房の窓から、夕日が沈んでいくのが見えた。
長い夜が始まる。
そして、その先には、運命のパーティーが待っている。
全ての準備は整った。
あとは、幕が上がるのを待つだけだわ。
++++++++
王都の夜が更けていく。
セバスチャンが持ち帰った『署名入り契約書』を受け取ったバルバロス公爵は、その内容を隅々まで確認し、満足げに口元を歪めた。
「ククク……。所詮は小娘か。
親の借金という人質には勝てなかったようだな」
彼は上機嫌でワインを煽り、控えていた将軍に命令を下した。
「軍の動員は解除だ。
これ以上騒ぎ立てて、王家に目をつけられるのも面倒だからな。
明日のパーティーには、私兵団の一部だけを連れて行く。
『花嫁』を迎えに行くのだから、華やかに着飾っていくとしよう」
公爵は勝利を確信していた。
ストレイが大人しく従うと信じ込み、警戒心を解いてしまったのだ。
それが、私の狙い通りだとも知らずに。
一方、王都の『フロンティア・テキスタイル』工房。
深夜にも関わらず、明かりは煌々と灯っていた。
私は作業台に向かい、最後の一針に全神経を集中させていた。
「……できた」
目の前には、完成したばかりの『感謝のドレス』が横たわっている。
純白のシルクに、金糸で織り込まれた複雑な紋様。
一見すると、王族の礼服にも劣らない美しさだが、その裏地には私の魔力糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
「このドレスは、着る者の魔力に反応して『形状記憶』する。
つまり、アイリスが興奮して魔力を高めれば高めるほど、ドレスは彼女の体に密着し、逃げ場をなくしていく。
そして、私の歌声という『鍵』が回された瞬間、全ての結び目が解け、彼女の虚飾を剥ぎ取るわ」
私はドレスを丁寧に箱に納めた。
まるで、時限爆弾をセットするかのように慎重に。
「お嬢様、会場の方も準備万端です。
音響、照明、そして特設ステージの下に隠した『真実の映写機』。
いつでも起動できます」
現地から帰ってきたケイナが報告する。
彼女の顔には疲労の色が見えるけれど、その瞳は期待に輝いていた。
「ありがとう、ケイナ。
貴女のおかげで、最高の舞台が整ったわ」
「いえ! お嬢様のためなら、これくらい!」
私は彼女の頭を撫で、自分自身の準備に取り掛かった。
クローゼットから取り出したのは、深紅の生地で作られた一着のドレス。
明日のパーティーで私が着る、『戦闘用カクテルドレス』だ。
デザインはシンプルだが、動きやすさを最優先に設計されている。
スカートのスリットは深く、中には短剣や魔法薬を隠し持てるホルダーが縫い付けられている。
そして何より、この生地自体が『物理無効』と『魔法反射』の特性を持つ、キメラの皮をなめして作った特注品だわ。
「……これを着るのは、あの時以来ね」
私はドレスを体に当て、鏡の中の自分を見つめた。
前世で売れない芸人として、必死に舞台に立っていた頃の自分。
あの頃の私は、笑われることが怖くて、必死に虚勢を張っていた。
でも今は違う。
笑わせるためなら、自分の命だって賭けてみせる。
それが、私の選んだ生き方だから。
「ストレイ様、準備はいいかい?」
工房の入り口から、アルフォンスが顔を出した。
彼は明日のパーティーに『公爵の友人』という建前で潜入し、内部から騒ぎを煽る役割を担っている。
着ているのはもちろん、私が仕立てた『スターダスト・タキシード』だ。
「ええ、完璧よ。
貴方は貴方で、しっかりと『引き立て役』を演じてちょうだいね」
「任せてくれ! 僕の美学で、会場をカオスに陥れてみせるよ!」
アルフォンスがウインクをする。
頼もしいような、不安なような。
でも、彼ならきっとやってくれるはずだわ。
「ディーノ、ショウちゃん。
あんたたちは『裏方』よ。
公爵が逃げ出そうとしたら、全力で足を引っ張って」
「へいよ。泥試合は得意だぜ」
『フン、影縫いの術を見せてやろう』
仲間たちがそれぞれの持ち場へと散っていく。
私は一人、静まり返った工房に残った。
窓の外、東の空が白み始めている。
決戦の朝が来る。
「……さあ、行きましょうか。
私の人生を賭けた大舞台。
最高のショーにしてあげるわ」
私はドレスを纏い、銀の針を髪に挿した。
その姿は、まるで戦場に向かう戦乙女のようだった。
フロンティア家、最後の晩餐会。
その幕が、今上がろうとしている。




