第75話 ディーノの報告「コウシャク ゲキド」
王都から遠く離れた隣国、バルバロス公爵領。
その居城の最上階、執務室には、怒号と破壊音が響き渡っていた。
「ええい、役立たずめ! サンドワームの一匹も使いこなせんのか!」
ガシャーン!
公爵が投げつけた高価な壺が、執事セバスチャンの足元で砕け散る。
セバスチャンは泥だらけの燕尾服のまま、床に額を擦り付けて震えていた。
「も、申し訳ございません……! ですが閣下、あの娘は異常です!
巨大なワームを一瞬で干物に変え、私兵団を無力化したのです!
あれは人間ではありません、化け物です!」
「黙れ! 化け物だろうが何だろうが、私は『金』を払ったのだぞ!」
公爵が机を叩く。
彼が怒っているのは、ストレイの強さに対してではない。
自分が「前金を払ったのに商品が届かない」という、商取引上の不義理に対してだ。
「しかも、報告によれば、あの母親には最初から娘を売る権利などなかったそうではないか!
家の権利はすでに娘の手に渡っていた?
ならば、あの契約書はただの紙切れ、私への詐欺行為そのものではないか!」
公爵の顔が朱に染まる。
プライドの高い彼にとって、田舎貴族にコケにされたという事実は、何よりも耐え難い屈辱だった。
「許さん……断じて許さんぞ!
アイリスも、その娘も、まとめて捻り潰してくれる!
総員、出撃準備だ! 傭兵部隊も動員しろ!
フロンティア家の領地ごと焼き払い、あの小娘を私の前に引きずり出してこい!」
「は、はいっ! 直ちに!」
セバスチャンが逃げるように部屋を出て行く。
その一部始終を、天井裏の通気口からじっと見下ろしている影があった。
ディーノだ。
彼はセバスチャンの馬車に張り付き、ここまで潜入していたのだ。
(……やべえな。あの豚公爵、本気で戦争をおっぱじめる気だぜ)
ディーノは音もなく屋根の上へと移動した。
ここなら誰にも見つからない。
彼は懐から、銀色に輝く金属製のカード――『Fカード』を取り出した。
これはストレイが開発した、魔力で動く最新鋭の通信端末だ。
肌に密着させておけば、体温と魔素を吸って勝手に充電される優れもの。
今はバリ3本。通信可能だ。
(文字数は……30文字までか。詳しく打ってる暇はねえな)
彼は近くの茂みに隠してあった『中継機(リュック型)』のスイッチを入れ、Fカードをかざした。
ピピッ、と電子音が鳴り、小さな液晶画面が点灯する。
彼は慣れた手つきでボタンを押し、短いメッセージを打ち込んだ。
『コウシャク ゲキド センソウ アリ』
『アイリス サギ 2カコック』
(公爵激怒。戦争あり。アイリス詐欺。2ヵ国[公爵軍と傭兵]来る)
送信ボタンを押すと、画面に『ソウシン カンリョウ』の文字が浮かび上がった。
情報は瞬時に、王都にある『親機』へと飛んでいく。
(頼むぜ姐さん。この火種、どう消す?)
ディーノはカードをしまい、再び闇の中へと消えていった。
一方、王都の『フロンティア・テキスタイル』本店。
深夜の工房で、巨大なサーバー『親機』が低い唸りを上げていた。
その横にある端末から、チリン、という受信音が鳴る。
「……おや? ディーノさんからですね」
夜勤をしていたケースが、眠い目をこすりながら画面を覗き込む。
そこに表示されたカタカナの羅列を見て、彼はおにぎりを喉に詰まらせそうになった。
「せ、戦争!? 社長! 大変です! ディーノさんから緊急連絡が!」
奥のソファで仮眠をとっていた私が、ガバッと起き上がった。
ドレスの上に作業着を羽織り、端末の前へ走る。
「見せて。……『コウシャク ゲキド』『センソウ アリ』……なるほどね」
私は短い文字列から、現地の状況を完璧にシミュレートした。
セバスチャンが失敗の言い訳に「ストレイは化け物だ」と報告し、さらに「アイリスには権利がない」という事実も伝わった。
結果、公爵は「騙された」と激昂し、面子を保つために軍を動かそうとしている。
「単純な男ね。暴力で解決しようとするなんて」
「笑ってる場合ですか!? 戦争ですよ!?
公爵家の私兵団に傭兵部隊まで来たら、この店なんてひとたまりもありません!」
ケースが悲鳴を上げる。
確かに、真っ向からぶつかれば勝ち目はない。
私の魔法は強力だけど、戦争をするためのものじゃないからね。
「落ち着きなさい。戦争なんてさせないわよ。
彼が欲しいのは『商品(私)』と『メンツ』。
なら、それを餌にして、彼を私たちの土俵に引きずり込めばいい」
私は新しいFカードを取り出し、ディーノへの返信を打ち込んだ。
『リョウカイ サクセン ヘンコウ』
『パーティー デ ゼンブ カタヅケル』
送信。
私はニヤリと笑い、ケースに向き直った。
「ケース、徹夜よ。
公爵の軍勢を『お客様』として迎えるための、最高の舞台装置を設計するわ」
「ええっ!? ま、また無茶振りを……!」
「やるのよ。これは戦争じゃない。
フロンティア家主催、最初で最後の『大晩餐会』。
アイリスにはホステス(生贄)になってもらって、公爵にはスポンサー(カモ)になってもらうわ」
私の頭の中で、新たな脚本が出来上がっていく。
アイリスの虚栄心と、公爵の傲慢さ。
その二つを利用して、彼らを一箇所に集め、まとめて社会的抹殺する。
法廷闘争なんて生温い。
エンターテインメントで裁いてやるわ。
「ケイナ! 起きて!
アイリスに手紙を書くわよ。『公爵様がお怒りです。謝罪のためにパーティーを開きましょう』ってね」
2階からバタバタとケイナが降りてくる。
ショウちゃんも欠伸をしながら起きてきた。
「さあ、みんな! 準備はいい?
ここからが、本当の『お直し』の時間よ!」
深夜の工房に、私の号令が響き渡る。
物語は、決戦の舞台――『全裸の王様』パーティーへと向かって、静かに、しかし確実に動き出した。
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深夜の王都。その静寂を切り裂くように、店の扉が乱暴に叩かれた。
ドンドンドンドン!
閉店後の静かな店内に、ヒステリックな叫び声が響き渡る。
「開けなさい! いるのは分かっているのよストレイ!
私を嵌めたわね! 出てきなさい!」
扉の向こうにいるのは、アイリスだ。
彼女は私が裏ルートで流した情報――「公爵がアイリスを詐欺師として処刑しようとしている」という噂を聞きつけ、錯乱状態で乗り込んできたのだ。
「……来たわね。予定通りよ」
私は飲みかけのコーヒーを置き、ケイナに目配せをした。
ケイナは怯えながらも頷き、鍵を開ける。
扉が開いた瞬間、アイリスが転がり込んできた。
髪は振り乱され、ドレスの裾は泥で汚れ、かつての「氷の華」と呼ばれた美貌は見る影もない。
「ストレイ! 貴女、知っていたのね!?
私が公爵様に売った権利が、無効だったことを!
そのせいで、公爵様が軍を率いて私を殺しに来るって噂が立っているのよ!」
アイリスが私に掴みかかろうとする。
しかし、床に仕込んであった魔法陣が淡く発光し、彼女の足元の摩擦係数をゼロにした。
「きゃあっ!?」
アイリスは無様に転倒し、私の足元まで滑ってきた。
私はそれを冷ややかに見下ろす。
「あら、お義母様。夜分に随分と元気ね。
でも、人聞きが悪いわ。騙したなんて。
貴女が勝手に『他人のもの』を売ろうとしたのが悪いのよ。
自業自得じゃない?」
「うぐっ……! だ、だって! お金がなかったのよ!
貴女さえいなくなれば、また幸せになれると思ったのに!」
アイリスは床を叩き、泣き叫んだ。
自分の娘を売ろうとしたことへの罪悪感など微塵もない。
あるのは、自分の計画が狂ったことへの怒りと、迫り来る公爵への恐怖だけだ。
「……それで? 私にどうしろって言うの?
一緒に公爵と戦えとでも?」
「ち、違うわよ! 貴女が公爵様のところへ行けばいいのよ!
『私が悪うございました』って頭を下げて、大人しくお嫁に行きなさい!
そうすれば、公爵様の怒りも収まるわ!」
呆れた。
この期に及んで、まだ私を犠牲にしようとしている。
本当に、救いようのない人だわ。
「お断りよ。なんで私が、貴女の尻拭いをしなきゃいけないの。
公爵が欲しいのは貴女の首よ。詐欺師の首ね。
私が行ったところで、貴女の罪が消えるわけじゃないわ」
「そ、そんな……! じゃあ、私はどうなるの!?
処刑されるの!? 嫌よ、死にたくない!」
アイリスが私の足に縋り付く。
その姿は哀れで、滑稽で、そしてどこまでも醜悪だった。
でも、ここで突き放しては面白くない。
彼女には、もっと高いところから落ちてもらわなきゃいけないんだから。
「……そうね。見捨てるのは簡単だけど、家族として見過ごすのも忍びないわ」
私はわざとらしく溜め息をつき、彼女の肩に手を置いた。
「いいわ、お義母様。助けてあげる。
公爵の怒りを鎮め、貴女が生き残れるかもしれない『唯一の方法』を教えてあげる」
「ほ、本当!? 何でもするわ! 教えて!」
「パーティーを開くのよ」
「パ、パーティー?」
「ええ。公爵がここに来たら、盛大な『謝罪パーティー』を開いてお迎えするの。
名目は『ストレイ・フロンティアの嫁入り、および両家の和解の宴』。
貴女はその主催者として、最高のおもてなしをするのよ」
アイリスがポカンと口を開ける。
状況が飲み込めていないようだ。
「いい? 公爵は面子を気にする男よ。
軍を動かして小娘一人捕まえるなんて、外聞が悪いと思っているはず。
そこへ貴女が『娘を説得しました、どうぞお納めください』と下手に出れば、彼も矛先を収めざるを得ないわ」
もちろん、それは嘘だ。
公爵の怒りはそんなものでは収まらないし、私も嫁に行く気なんてサラサラない。
これは、彼らを一箇所に集めるための『餌』だ。
「貴女が公式の場で恭しく謝罪し、私を花嫁として差し出すポーズを見せれば、少なくともその場での処刑は免れるはずよ。
上手くいけば、追加の援助金だって引き出せるかもしれないわね」
『金』という単語が出た瞬間、アイリスの目に光が戻った。
彼女の脳内で、都合のいい妄想が膨らんでいくのが手に取るように分かる。
「そ、そうね! パーティーよ!
私が主役の、豪華絢爛なパーティー!
公爵様も、着飾った私を見れば、きっと機嫌を直してくださるわ!」
彼女は立ち上がり、ドレスの裾を払った。
さっきまでの怯えはどこへやら、すでに女主人の顔つきに戻っている。
単純で、強欲で、愚かな人。
「でも、お金はどうするの? もう一文無しよ?」
「心配しないで。パーティーの費用は、私が用立ててあげる。
その代わり、準備は全て貴女がやってね。
招待状の発送、会場の設営、料理の手配。
公爵様が満足するような、最高の舞台を整えるのよ」
「ええ、任せて! 私、パーティーの準備なら得意よ!
見てなさい、王宮の舞踏会にも負けない素晴らしい宴にしてやるわ!」
アイリスは高笑いを上げながら、店を出て行った。
その背中は、死地に向かう道化そのものだった。
店に残された私たちは、しばしの沈黙の後、同時に息を吐き出した。
「……姐さん、悪い顔してたぜ。悪役令嬢も裸足で逃げ出すな」
影からディーノが現れ、呆れたように言う。
私は残ったコーヒーを飲み干し、ニヤリと笑った。
「失礼ね。これは『親孝行』よ。
お義母様が一番輝ける舞台を用意してあげたんだから。
……もっとも、そのスポットライトは、彼女の粗を照らし出すためのものだけどね」
私は壁のカレンダーを見た。
決戦の日まで、あと数日。
それまでにやることは山積みだ。
「ケイナ、ショウちゃん。忙しくなるわよ。
アイリスの裏で、会場に『仕掛け』を施すの。
マイク、照明、スクリーン。
そして、彼女に着せる『感謝のドレス』の製作もね」
「はいっ! お嬢様!」
『フン、退屈しのぎにはなりそうだ』
私の号令で、チーム・ストレイが動き出す。
公爵の軍勢が到着するまでに、完璧な処刑台を作り上げる。
それが、私たちのミッションだわ。
さあ、準備を始めましょう。
史上最悪で、最高に愉快なパーティーのために!




