第74話 契約の無効と、呼び出された魔獣
アイリスからの一方的な『宣戦布告』とも取れる手紙を受け取った翌日。
私は王都の工房で、最高にゴージャスな『戦闘服』のフィッティングを行っていた。
深紅のシルクに漆黒のレースをあしらい、裏地には防御魔法と衝撃吸収の術式をびっしりと縫い込んだ、対人用決戦ドレス。
これを着て、ノコノコと敵陣へ乗り込む。
それが、私の描いたシナリオよ。
「お嬢様、本当に行くのですか? 罠だと分かっているのに……」
ケイナが涙目でドレスの背中を締めてくれる。
彼女の手は震えているけれど、その仕事は完璧だわ。
「ええ、行くわ。罠があるなら、踏み潰して進むだけよ。それに、私には頼もしい護衛がいるもの」
私は窓の外、待機している馬車を見やった。
御者台には、ゴロツキのリーダー(洗脳済み)が恭しく控えている。
彼らはもう、アイリスの手先じゃない。
私の忠実な下僕だわ。
「行ってきます、ケイナ。留守を頼んだわよ」
「はいっ! お気をつけて!」
私は馬車に乗り込み、フロンティア家の跡地へと向かった。
道中、私は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、再度確認する。
それは、ディーノが密かに入手した、アイリスとバルバロス公爵が交わした『人身売買契約書』の写しだ。
『甲は乙に対し、長女ストレイの身柄を引き渡す』
『乙は甲に対し、借金の帳消しと追加融資を約束する』
(……馬鹿な女。こんな契約、通るわけないじゃない)
私は鼻で笑った。
この契約書には、致命的な欠陥がある。
それは、アイリスにはもう『ストレイを売る権利』がないということ。
先日、ディーノが結ばせた闇金の契約『担保権譲渡』によって、フロンティア家の全権限はすでに私のものになっているのだから。
つまり、彼女は『他人の所有物』を勝手に売ろうとしている詐欺師に過ぎないのよ。
馬車が跡地に到着すると、そこには異様な光景が広がっていた。
焼け落ちた本館の前に、豪奢な天幕が張られ、武装した私兵団が警備を固めている。
その中心で、アイリスが勝ち誇った顔で待ち構えていた。
「よく来たわね、ストレイ! さあ、大人しく捕まりなさい!」
彼女が叫ぶと、私兵たちが一斉に剣を抜く。
しかし、私の護衛(洗脳済みのゴロツキたち)も負けじと武器を構え、睨み合いになった。
「あら、お義母様。父上が危篤じゃなかったの? ピンピンしてるみたいだけど」
私は優雅に馬車から降り立ち、扇子で口元を隠して笑った。
アイリスの背後には、やつれ果てたリックザクが、猿轡を噛まされて縛り上げられている。
どうやら、私の誘拐に反対して拘束されたらしいわね。
少しは見直したわよ、お父様。
「ふん、あの役立たずはどうでもいいのよ! 大事なのは貴女! さあ、この契約書にサインしなさい! 公爵様がお待ちよ!」
アイリスが契約書を突きつけてくる。
私はそれを指先で弾き、冷ややかに言った。
「お断りよ。貴女に私を売る権利なんてないわ」
「な、何ですって!? 私は貴女の母親よ! 親権があるのよ!」
「親権? あら、忘れたの? 貴女は先日、家の全権限を担保に入れたじゃない。返済期限は過ぎたわ。つまり、今の貴女は無一文の居候。私に対して何の命令権も持っていないのよ」
私が真実を告げると、アイリスの顔が凍りついた。
彼女は自分が何をしたのか、ようやく理解し始めたようだ。
「う、嘘よ! あれは……あれは夢だったはず!」
「夢じゃないわ、現実よ。……ねえ、出てきて頂戴。証人さん」
私が指を鳴らすと、天幕の奥から一人の男が現れた。
バルバロス公爵の代理人、執事のセバスチャンだ。
彼は冷徹な目でアイリスを見下ろし、静かに告げた。
「……フロンティア夫人。彼女の言う通りですかな? もし貴女に売却の権利がないのなら、これは公爵家に対する重大な背信行為、すなわち『詐欺』になりますが」
「ひっ!? ち、違います! 私は……私はただ……!」
アイリスが狼狽える。
セバスチャンは私の方を向き、恭しく一礼した。
「ストレイ様。公爵は貴女の才能を高く評価しております。もし貴女が自らの意志で公爵の元へ来てくださるなら、この愚かな女の罪は不問にしましょう。いかがですか?」
なるほど。
私が権利者なら、私自身と交渉すればいいと考えたわけね。
悪くない判断だけど、相手が悪かったわ。
「お断りします。私は誰のものにもならない。私は私のものよ」
きっぱりと拒絶すると、セバスチャンの目が細められた。
「……残念です。では、力ずくで連れて行くしかありませんな。公爵は、欲しいものは必ず手に入れる方ですので」
彼が合図を送ると、周囲の私兵たちがじりじりと包囲を狭めてきた。
アイリスは「助けて!」と叫んで逃げ惑う。
カオスね。
でも、これが私の望んだ舞台だわ。
「いいわ、かかってらっしゃい。私の『お直し』が、どれほど痛いか教えてあげる!」
私は銀の針を構え、戦闘態勢に入った。
毒親と変態公爵、まとめて相手してやるわ!
+++++++++
私の宣言を合図に、戦場の空気が弾けた。
公爵の私兵たちが雄叫びを上げて突進してくる。
彼らの剣術は統率が取れていて、ただのゴロツキとはレベルが違う。
けれど、私には最強のドレスがあるわ。
「そこよ! 右!」
私が叫ぶと同時に、ドレスの裾が意思を持ったかのように動き、迫り来る剣を弾き返した。
『自動防御』オート・ガードの術式。
私が反応するより早く、服が私を守ってくれる。
私はその隙を突いて、銀の針を投擲した。
「眠りなさい!」
針が兵士の鎧の隙間に突き刺さり、麻痺毒を塗った糸が神経を麻痺させる。
バタバタと倒れる兵士たち。
その混乱に乗じて、洗脳済みのゴロツキたちが側面から突撃し、戦線を崩壊させていく。
「くそっ、なんだあの女は! 強すぎるぞ!」
「魔法使いか!? 弓兵、援護しろ!」
セバスチャンが焦りを見せ始める。
彼は懐から奇妙な笛を取り出し、高らかに吹き鳴らした。
ヒュルルルゥ……!
不快な音が響き渡り、地面が大きく揺れた。
「な、何だ!?」
足元の土が盛り上がり、巨大な口が姿を現した。
地下ミミズ『サンドワーム』
しかも、軍事用に改造された特大サイズだわ。
「グルオオオオッ!」
ワームが咆哮し、酸の液を撒き散らす。
私のドレスは『防汚』機能で弾いたけれど、周囲のテントや木々は溶けて煙を上げている。
これはまずいわね。
物理攻撃が効きにくい相手だわ。
「お嬢様、下がってください! あんな怪物、まともに相手をしては……!」
ケイナが悲鳴を上げる。
ディーノも短剣を構えたまま、攻めあぐねているようだ。
「……いいえ、逃げないわ。あんな汚い虫に、私の庭を荒らされてたまるもんですか」
私は一歩前に出た。
ワームが私に狙いを定め、巨大な顎を開けて襲いかかってくる。
その口の中には、数え切れないほどの牙が並んでいる。
「ショウちゃん、影の糸を最大出力で!」
『承知した。あの下品な口を縫い合わせてやろう』
私の影から黒い帯が伸び、ワームの身体に巻き付く。
動きが止まった一瞬の隙に、私は空中に魔法陣を描いた。
イメージするのは、巨大な『ファスナー』
「開け! 異空間の入り口!」
ズザザザザッ!
空間が裂け、ワームの頭上に巨大なファスナーが出現した。
私はそれを勢いよく引き下ろす。
中から現れたのは、大量の『塩』。
イマクサの塩田から転送した特製の岩塩だ。
「ナメクジもミミズも、塩には弱いのよ! たっぷり味わいなさい!」
ドサアアァッ!
数トンの塩がワームに降り注ぐ。
浸透圧の急激な変化に、ワームはのたうち回り、体液を噴き出しながら縮んでいく。
「ギャアアアッ!」
断末魔の叫びと共に、ワームは干からびて動かなくなった。
圧倒的な勝利。
セバスチャンは腰を抜かし、言葉を失っている。
「……ば、馬鹿な。軍用ワームが一瞬で……」
「言ったでしょ? 私の『お直し』は痛いって。さあ、次は貴方の番よ」
私は銀の針をセバスチャンに向けた。
彼は震え上がり、脱兎のごとく逃げ出した。
残された私兵たちも、武器を捨てて降伏する。
「……ふぅ。片付いたわね」
私は乱れたドレスを整え、振り返った。
そこには、呆然と立ち尽くすアイリスと、涙を流して安堵する父の姿があった。
「ストレイ……お前、本当に……」
「勘違いしないで。貴方たちを助けたわけじゃないわ。私の敷地内でゴミを散らかされるのが嫌だっただけ」
私は冷たく言い放ち、アイリスに近づいた。
彼女はもう、私を見る目にも怯えの色しか浮かべていない。
「今回の件、高くつくわよ。貴女の『人生』で払ってもらうから覚悟しなさい」
私は彼女の手首に魔封じの手錠をかけ、ディーノに引き渡した。
これで、全ての障害は排除された。
あとは、この勝利を確実なものにするための『仕上げ』だけ。
次はいよいよ、ディーノからの報告と、公爵へのカウンターパンチね。




