第73話 権威を失ったアイリス、末期の妄執
イマクサでの勝利の余韻も冷めやらぬ王都。
私の店は連日大盛況で、スタッフたちは嬉しい悲鳴を上げている。
けれど、そんな光の裏側で、フロンティア家の本館跡地に建てられた粗末な小屋では、陰惨な空気が漂っていた。
「……ない。どこにもないわ。私の100万ゴールドが!」
薄暗い部屋で、アイリスが金庫、ただの木箱をひっくり返して叫んでいる。
髪は乱れ、目は血走り、かつての美しい貴婦人の面影はどこにもない。
彼女が探しているのは、先日怪しい男から借りたはずの大金だ。
「どうして……! 昨日までは確かにここにあったのに! ドレスも、宝石も買ったはずなのに!」
彼女の足元には、大量の紙屑と、ガラス玉のような偽の宝石が散らばっていた。
そう、彼女が買ったものは全て、私が裏で手を回して売りつけた『粗悪品』だったのよ。
金貨もまた、時間が経つとただの石ころに戻る魔法がかけられていた。
まさに、一夜の夢。
「嫌ぁぁぁ! あの頃に戻りたくない! 貧乏は嫌! 惨めなのは嫌ぁぁぁ!」
アイリスが錯乱し、壁に頭を打ち付ける。
彼女の脳裏には、幼い頃の記憶がフラッシュバックしていた。
寒さと飢えに震え、薬も買えずに死んでいった妹の手の冷たさ。
彼女にとって、金がないことは死と同義なのだ。
そこへ、疲れ切った顔のリックザクが戻ってきた。
彼は一日中、瓦礫の撤去作業をさせられていたため、全身泥まみれだ。
「おい、アイリス。うるさいぞ。少しは静かに……」
「あなた! あなたのせいよ! あなたがしっかりしていれば、こんな詐欺に遭わなかったのに!」
アイリスが夫に掴みかかる。
リックザクは抵抗もせず、ただ虚ろな目で宙を見つめていた。
彼の中の『強い自分』という幻想は、とっくに崩壊している。
「……金なら、ないぞ。今日の配給はパン一個だ」
「パン一個!? そんなもので足りるわけないでしょう! 私には栄養が必要なの! 美容液も、新しいドレスも!」
「無理だ。俺たちにはもう、何もないんだ」
父の言葉が、アイリスの理性の最後の糸を断ち切った。
彼女は獣のような咆哮を上げ、部屋を飛び出した。
「……許さない。ストレイ、あの子さえいなければ!」
彼女は確信していた。
自分たちを追い詰めているのが、死んだはずのストレイの亡霊(あるいは本人)であることを。
そして、彼女の歪んだ思考は、一つの恐ろしい結論へとたどり着く。
(そうだわ。あの子を売ればいいのよ。生きていようが死んでいようが、あの子には『価値』があるはず)
アイリスは懐から、一つの黒い石を取り出した。
それは、以前パーティーで知り合った、隣国の公爵バルバロスから渡された『緊急連絡用魔石』。
魔力を込めれば、一度だけ相手に声を届けることができる使い捨ての道具だ。
「……バルバロス公爵。私です、アイリス・フロンティアです」
震える手で石を握りしめ、念じるように声を吹き込む。
「取引を、お願いしたいのです! 我が家の長女、ストレイ・フロンティアを貴方様に差し上げます! 彼女は強力な魔力を持っています。貴方様のコレクションに、きっと相応しいはず!」
アイリスは必死にまくし立てた。
自分の娘を売ることに、何の躊躇いもない。
彼女にとって、ストレイはただの『換金アイテム』でしかないのだから。
石が怪しく明滅し、公爵の低い声が響いた。
『……ほう。あの娘か。「聖女」だの「天才」だのと騒がれているようだが、私の手元に置けば良い魔力タンクになるだろう』
公爵の声が、粘着質な欲望を帯びる。
『いいだろう。その話、乗ってやる。娘を捕らえて私の元へ連れてこい。そうすれば、借金を帳消しにし、さらなる援助も約束しよう』
「本当ですか!? ありがとうございます! すぐに手配します!」
アイリスは狂喜乱舞した。
これで助かる。
また贅沢な暮らしができる。
彼女は光を失った石を投げ捨て、暗い庭で一人、高笑いを上げた。
その様子を、屋根の上から監視していたディーノが、呆れたように見下ろしているとも知らずに。
「……懲りないねえ。偽金掴まされてもまだ、夢を見てやがる」
ディーノが呟き、懐から自分の端末(ポケベル型)を取り出す。
カタカタと器用にボタンを押し、短いメッセージを送信した。
『ドクオヤ ウゴク バイバイ ケイヤク』
王都の工房で、私はそのメッセージを受け取り、冷ややかに微笑んだ。
「ご苦労様。……さあ、舞台は整ったわ。お義母様が仕掛ける『人身売買』という名の茶番劇。私が最高に派手な『カーテンコール』に変えてあげるわ」
毒親との最終決戦が、静かに幕を開けた。
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アイリスは公爵から受け取った前金――最高級の魔石(実は私が裏で流通させた追跡機能付きの模造品)を使い、裏社会のゴロツキたちを雇い入れた。
彼らの仕事は、ストレイ・フロンティアを誘拐し、公爵の元へ送り届けること。
報酬は、成功すればさらに倍。
金に目の眩んだ男たちは、二つ返事で仕事を引き受けた。
「へっへっへ、楽勝だぜ。お嬢様一人捕まえるだけだろ?」
「ああ、魔石もたっぷり貰ったしな」
ゴロツキたちが酒場で祝杯を上げていると、彼らの懐に入れた魔石が怪しく明滅し始めた。
それは私が仕込んだ『洗脳誘導』の術式。
彼らの思考に干渉し、無意識のうちに私の命令に従うようにプログラムされているのだ。
『……貴様らの主人は、アイリスではない。ストレイ・フロンティアだ』
『彼女の命令は絶対。彼女のために働き、彼女のために死ね』
脳内に直接響く声に、男たちの目が虚ろになる。
彼らはもう、ただのゴロツキではない。
私の忠実な『捨て駒』だわ。
一方、何も知らないアイリスは、小屋の中で必死に手紙を書いていた。
ストレイをおびき出すための、嘘で塗り固められた手紙を。
「……これでいいわ。『お父様が危篤です。最後に一目会いたいと仰っています』。あの子は父親には弱いはず。これを見れば、のこのこと戻ってくるわ」
彼女は手紙を封筒に入れ、ゴロツキの一人に手渡した。
「いいこと? これをストレイの店に届けなさい。そして、あの子が出てきたところを捕まえるのよ。失敗は許さないわ」
「へい、お任せくだせえ。……必ず、成功させますよ」
リーダーがニヤリと笑う。
その笑顔の意味を、アイリスは完全に読み違えていた。
数時間後。
王都の工房に、一通の手紙が届いた。
私はそれを一読し、鼻で笑ってゴミ箱へ捨てた。
「父が危篤? よくもまあ、こんなベタな嘘を。あの人なら、私が死んでも酒を飲んでるわよ」
「お嬢様、どうしますか? 罠だと分かっていて飛び込むのですか?」
ケイナが心配そうに尋ねる。
私は立ち上がり、新しいドレスの袖を通した。
それは、これから始まるショーのために仕立てた、機能性抜群の『戦闘用カクテルドレス』だ。
「ええ、飛び込むわ。だって、脚本家が私なんだもの。最高のクライマックスを用意してあげないとね」
私はゴロツキのリーダーに目配せをした。
彼は恭しく頭を下げ、私の護衛として背後に控える。
「さあ、行きましょうか。お義母様が待っているわ。感動の再会(という名の断罪)を、プレゼントしてあげる」
私は店を出て、ゴロツキたちが用意した馬車に乗り込んだ。
行き先は、フロンティア家の跡地。
そこには、アイリスが勝利を確信して待ち構えているはずだ。
「……ふふっ。楽しみね。彼女がどんな顔をするか」
馬車が揺れるたびに、私の胸の奥で愉悦の炎が燃え上がる。
毒親への復讐。
それは、どんな宝石よりも輝く、最高のエンターテインメントになるわ。
次はいよいよ、アイリスとの直接対決。
彼女の妄執を、私の現実で粉々に打ち砕いてあげる。




