第70話 奥義クリームパン理論、暴走する善意を『お直し』
地下水路の浄化作戦から数日後。
イマクサの街は、新たな脅威に晒されていた。
原因は、パンギュウ教が配給していた『夢中粉入りのパン』だ。
水質汚染は解決したけれど、すでにパンを食べてしまった人々の体内に蓄積された毒素が、ここに来て一気に牙を剥いたのだわ。
「お嬢様、現地の診療所がパンク状態です! 患者たちは高熱と幻覚にうなされ、『パンをくれ、もっと膨らませてくれ』と叫び続けているそうです!」
ケイナが悲痛な面持ちで報告してくる。
魔導端末の画面には、苦しむ人々の姿が映し出されていた。
その症状は、まるで肺の中で何かが膨れ上がっているかのような、激しい呼吸困難を伴っている。
「……やっぱりね。夢中粉の副作用は『依存性』だけじゃなかった。体内の魔力を暴走させて、内側から細胞を肥大化させる性質があるんだわ」
私はディスプレイを睨みつけた。
チアキ・ワカタは『パンを膨らませればお腹もいっぱいになる』と信じていた。
けれど、その『膨らませる』という概念が、人体に適用されたらどうなるか。
細胞がパン生地のように発酵し、膨張し続ければ……最後は破裂するしかない。
「このままじゃ、イマクサの住民全員が風船みたいに弾けて死ぬわ。すぐに治療法を見つけないと」
「でも、どうやって? 解毒剤を作るには時間がかかりますし、今の彼らには薬を飲む体力すら残っていません!」
ケイナが狼狽える。
確かに、通常の医療では手遅れだ。
なら、どうするか。
『医療』がダメなら、『服飾』で治すまでよ。
私は工房の机に、一枚の設計図を広げた。
それは、前世で感染症が流行った時に、誰もが身につけていた『マスク』の改良版だ。
ただし、ただの布切れじゃない。
呼吸に合わせて伸縮し、吸い込んだ空気を魔力フィルターでろ過し、さらに吐き出す息に含まれる毒素を吸着・分解する機能を持たせた『魔導呼吸器』だわ。
「いい? ケイナ。パンが膨らむのは、中にガスが溜まる(イースト菌が糖分を分解することで二酸化炭素のガスを発生させるため)からよ。なら、そのガスを効率よく抜いてあげれば、膨張は止まるはず」
「ガスを抜く……ですか? でも、どうやって?」
「クリームパン理論よ」
私は真顔で言った。
ケイナがポカンとしている。
「クリームパンはね、皮が薄くて中身がたっぷり詰まっているのが美味しいの。でも、焼く時に空気を抜きすぎるとペチャンコになるし、抜き足りないと破裂する。重要なのは『適切な通気性』を確保すること」
私は設計図にペンを走らせた。
マスクの素材には、通気性と伸縮性に優れた『エアリー・コットン』を使用。
その繊維の隙間に、ミクロ単位の『排気弁』となる魔力回路を刺繍する。
着用者の呼吸に合わせて弁が開閉し、体内の余分なガスとなる魔力を強制的に排出させる仕組みだ。
「名付けて『クリームパン・マスク』。これを着ければ、体内の膨張圧をコントロールして、症状を抑え込むことができるわ」
……『クリームパン・マスク』
「な、なるほど……! さすがお嬢様です! でも、そんな複雑なマスク、量産できるのでしょうか?」
「やるのよ。今すぐにね。スノッツティ、魔導ミシンをフル稼働させて! ディーノ、素材の調達を急いで!」
「ラジャー! 僕の美学で、最高に息のしやすいマスクを作ってみせるよ!」
「へいへい。人使いが荒いこって」
工房が再び戦場と化す。
私たちは不眠不休でマスクの生産を続けた。
一分一秒が、人々の命に関わる状況だ。
私の指先から紡がれる糸が、希望の形へと編み上げられていく。
「できたわ! 第一便、転送開始!」
数時間後。
イマクサの診療所に、大量のマスクが出現した。
現地の医師たちが、半信半疑で患者に装着させる。
すると、苦しげに喘いでいた患者の呼吸が、みるみるうちに穏やかになっていった。
『おおおっ! 効いたぞ! 腫れが引いていく!』
『息ができる……! ありがとう、聖女様!』
端末から歓喜の声が聞こえてくる。
私は額の汗を拭い、安堵の息を吐いた。
「ふぅ、間に合ったわね。でも、これは対症療法に過ぎないわ」
私は画面の向こう、パンギュウ教団のアジトがある方向を見据えた。
マスクで症状は抑えられても、元凶である『夢中粉』を断たなければ、根本的な解決にはならない。
そして、その粉を作らせているチアキ・ワカタも、また被害者の一人なのだ。
「……待ってなさい、チアキちゃん。貴女のそのおバカな暴走、私が責任を持って止めてあげるから」
私は次なる一手、教団への直接介入、カチコミの準備を始めた。
武器は、このマスクと、そして私の説教『ツッコミ』よ。
+++++++
王都の工房で、私は魔導端末のモニターに釘付けになっていた。
画面の向こう、イマクサの教団集会所では、暴走した幹部たちがチアキに無理やり杖を振らせている。
彼女の魔法によって巨大化したパン生地は、今にも破裂しそうなほど膨れ上がり、危険な魔力光を放っていた。
「まずいわね。あのままじゃ、イマクサの半分が吹き飛ぶわ」
「お嬢様、どうしますか!? 現地のディーノさんたちだけでは、あの爆発は止められません!」
ケイナが悲鳴を上げる。
物理的な攻撃で止めようとすれば、刺激で即座に爆発する。
なら、内側から『ガス抜き』をするしかない。
「ケース、中継局の出力最大! 私の魔力を現地へ転送するわ!」
「了解です! 接続完了! いつでもいけます!」
私は端末に手をかざし、意識をイマクサへと飛ばした。
魔力糸を通じて、私の精神体、アバターが、チアキの目の前に実体化する。
もちろん、周りの人間には見えない、私と彼女だけの意識空間だわ。
『……え? 誰? 天使さま?』
チアキが虚ろな目で私を見る。
彼女の心は、薬物と洗脳によって深い霧の中に閉ざされていた。
『違うわよ。通りすがりのスタイリストよ。……ねえ、チアキちゃん。貴女、本当はこんなことしたくないんでしょ?』
『したく……ない? でも、みんながお腹空いてるから……パンを……』
『そのパンは、誰も幸せにしないわ。貴女が本当に作りたいのは、もっと可愛くて、みんなが笑顔になるものじゃない?』
私は彼女の深層心理にアクセスし、前世の記憶――『ムツゴロウ』への愛着を刺激した。
彼女の目が、少しだけ揺らぐ。
『ムツゴロウ……? あ、私、知ってる! ヌルヌルしてて、なんか可愛い生き物!』
『そうよ、それ! その可愛さを、このパンにぶつけるの! 爆発させるんじゃなくて、形を変えるのよ!』
私は彼女の手を取り、杖を一緒に握ったような感覚を送った。
私の制御魔法が、彼女の暴走する魔力を包み込み、創造のエネルギーへと変換していく。
『変身!』
私たちの魔力が共鳴し、現実世界の巨大なパン生地がぐにゃりと形を変えた。
モニター越しに見るその光景は、圧巻だったわ。
膨張のエネルギーが収束し、巨大な、けれど愛嬌のある『ムツゴロウ型パン』へと再構築されていく。
『……できた。か、かわいい〜!』
チアキが歓声を上げる。
その瞬間、彼女の中から毒素が抜け、洗脳が解けたのが分かった。
現地のディーノたちが、呆然としている幹部たちを一網打尽にする様子も映し出されている。
『ありがとう、お姉さん! 私、思い出したよ!』
『よかったわね。貴女の才能、ウチで買い取るわ。
イマクサで新しいブランドを立ち上げなさい。
名前は……『ムッタん♥』なんてどう?』
『ムッタん♥! 最高! 私、やるよ!』
チアキの笑顔が弾ける。
これで教団の問題は解決ね。
私は意識を王都へ戻し、深く息を吐いた。
「ふぅ、疲れた。遠隔操作での精密作業は、肩が凝るわね」
「お疲れ様です、お嬢様! また一つ、伝説を作りましたね!」
ケイナが冷たいタオルを差し出してくれる。
やれやれ、人使いの荒い世界だわ。
「さて、これで教団は壊滅。チアキも味方につけた。あとは……残った『膿』を出し切るだけね」
私は地図上の『ハッチクン』のアイコンを睨んだ。
彼のような古い因習に囚われた役人がいる限り、イマクサの復興は進まない。
次のお直し対象は、彼に決まりね。
私の仕事は、まだまだ終わらないわよ。




